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ずっと英語をやってきたけど、別に語学が好きなわけじゃなかったと気づいた

こんにちは、とりコレクターです。
今回はつぶやきで書くには長くなりすぎるふとした気づきがあったので、記事にしてみます🐣

わたくしnote上ではあまり大っぴらにしてこなかったのですが、学生時代から今の仕事まで一貫して英語をやってきています。
(一応英検1級、TOEIC最高985点(くそぅ)を取りました。一応。)

英語で自分の世界が広がったし、場合によっては英語のほうが心地いいし、もはやわたしの人生の半分は英語でできてるし、英語を見聞きしたり使うのも好きです。

でも、ある程度の語学力まで到達したらなんだか満足してしまって、自分自身の英語学習欲というのはそこまで強くはなくなりました。
それに、他の言語を学ぶ気が起きない。世の中英語一辺倒じゃないほうがいいとは思うものの、自分がちょっとかじった他言語はあっという間に忘れちゃう。。(つまり、本気で身につけようという気がない)

一方、英語好きや仕事で英語を使ったり教えたりする人たちにはいわゆる「語学オタク」がたくさんいて、究極まで英語を極めたり、他の言語も積極的に学んでいたり。
わたしはそうなれない自分に違和感と罪悪感を抱えていました。「英語やってる、(一応)英語でごはん食べてる人」としてこれでいいのか?

しかし気づきました。わたしが好きなのは「語学そのもの」や「語学を学ぶこと」ではなく、「新しい考え方や世界の見方を知ること」や「考えや感じたことを表現し共有すること(自己表現と相互理解)」だったと。

なぜなら、わたしが人生で大切にしている価値観に、以下があるから。
1. 知る/考える(知識を得て使い、視野を広げ、考えを深める →物事の本質を見極める)
2. 自己表現する(自分の知識や考えを表現する/伝える)
3. 他者のコアな部分に影響を与える(他者の上記1‚2を後押しする)

なんで急にこんなことに気づいたかというと、最近すごく英語ができる知人が「英語もっと勉強したほうがいいかなぁ」と悩んでいたから。
わたしもそういう悩みあった。というかずっと持ってた。というか今もちょっと持ってる。

でも「そうだね、やらなきゃね」って言うのはなんだか抵抗がありました。というのも、語学力向上(どころかキープさえ)ってほんとに終わりがないのです…
そして終わりはないけど義務感や強迫観念はある目標って結構危険だなと。やってもやっても足りなくて、満たされなくて不安や焦りがつのる。仕事の能力とか性格なんかにも通ずる気がします。例えば「仕事/気遣いがデキる人」であるための努力って終わりがない。(「デキる」の定義にもよるけど)

「やらなきゃいけない(気がする)から」というだけで際限なく語学力を高めようとするのって、考えるだけで気が滅入っちゃう(わたしは)。
ので、今後迷いそうなときは大切な価値観という原点に立ち返って、「わたしがやりたいのって、語学オタクになることじゃなかったよね?」と気づいて調整したいなと思います。
それで、「自分が心からやりたくて、楽しいからやってる」という風にしたいな。

なのでわたしこれとてもいいと思うんですよ、りあこさん!(勝手にご紹介、ごめんあそばせ)


以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました~🐣🎵



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