見出し画像

幸せと不幸せの分岐点

私自身今まで順調じゃなかった。幸せだらけでは本当になかった。でもある時思った。幸せや不幸は引き寄せられる。だからネガティブ(不幸)は手放そうと思った。
しかし、なかなかネガティブという存在は手放そうにみえるが手放せない厄介な存在だった。
普通の人からみた当たり前の幸せに私はどれだけ執着していたのだろうか。
また、それを見ては自分を卑下し続けていた。
目の前に在った「幸せ」というものを私は「不幸」だと錯覚していたのだ。

若かれし頃(10代)七転八倒した日々。
認知症になった祖母とうつ病の母との間で苦しんだ時間。
在宅で介護をしてたけれどどうしても精神的限界を感じ、病院から入居施設へ祖母を送った。
車中ずっと祖母は私に「自宅へ帰れる?」と聞き、私は笑うしかなかった。事情を察した施設のドライバーさんが「よい所ですよ」と言ってくれた。
入居をさせた母が号泣することがどうしても許せなくて激昂してしまった私。
それでも幾度とくる困難に私はどれだけ立ち向かっては負けをしてきたような気がする。
ある時は警察に、ある時は救急車に。
入居した祖母が亡くなって7回忌過ぎた頃ようやく祖母の介護や人生を私なりに咀嚼できた。

誰かの人生のためにではなく、自分の人生歩きたい。運転手は私だ!
そんな風に感じられたのも数年前だった。
それから私は人を助けるという行為を手放した。
他人を助けられるのは他人当事者本人であるからだ。
そしてまず自分の幸せを優先させた。
どこか遠い国へ慈善する気持ちより、わがままかもしれないが私が幸せになる!ということを大切にした。
そして、ささやかながらそんな幸せ貯金をしていた。
ヘルプマークを所持しているので席を譲ってもらうと「すみません」だった。頭の中で変換できなかったので、最初はたどたどしかった。そして「すみません…(1秒)…ありがとうございます!」
いきなりありがとうというのはすごく抵抗があった、またいい慣れていたせいで「すみません」が定着していた。
言葉を替えるトレーニングだと思った。
言葉が変わったとき、実は試練があった。
不幸の導きという名の試練だろうか。
否定否定へと導かせるなにかの災いというべきなのだろうか。
私はこれに乗っていたらたぶんいまの幸せに気づけなかったなといまでも思っている。
聖書でたとえるなら「サタン」だろうか。
私には必ず「分岐点」があった。
人間だからベストチョイスはしていない。
そしてこれからも幾度となく「分岐点」に出会うであろう。
でも私は手放しながら生きていこうと思う。

サポート協力よろしくお願いしますm(_ _)m 貧民torichanに投げ銭をば(・ω・;#)