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おおかまちと娘

「おおかまちも連れていっていい?」公園に行く準備をしていると娘が言った。「いいよ」そう我が家にはお父さんはいないが「おおかまち」がいた。

それは娘が言葉を覚え始めたころ。わたしは実家で暮らしていて、玄関には母が懸賞で当てた30㎝くらいのキューピーちゃんが飾ってあった。
それは大事に飾られていた。わたしには賞味期限が切れる前日のカチコチのバームクーヘンしかくれない母だが、孫のかわいさに勝るものはなかったらしく母は人形遊びをしていた娘のもとにキューピーちゃんを連れていき、「こんにちは、キューピーちゃんです」と言った。
娘は「キューピーちゃん」といカタカナまみれ全裸人形の名を理解も発音もできなかった。キョトンをする娘に母は焦り「お、おともだち!この子はおともだちよ!」と言った。娘は保育園に行っていたからか「おともだち」という合言葉で心の扉を全開にした。娘は満面の笑みでこう言った。
「おかまち」
母は否定せず「そう、この子はおかまち。よろしくね」と言った。その日からキューピーはカタカナの名を捨て「おかまち」となり娘の大親友になったのである。
娘の成長を見守り続けたおかまち。娘に絆創膏ブームが訪れた日、娘はおかまちのデコに赤ペンで出血をぐりぐり書き、それを初めて見たように「いたかったね、だいじょうぶ?」と言いながら絆創膏を貼っていた。やってることはDVとあまり変わらない気もするがいつも変わらずおかまちは微笑んでくれていた。
いつからかはわからないが、「おかまち」から「おおかまち」に呼び名は変わりますます人名感を強くしたおおかまちであったが、ぽぽちゃんとメルちゃんいう最強ライバルに娘の心は時折揺らいだ。「ポポちゃん、ミルク飲むって」そうだおおかまちはミルクどころか口すら開かない。何を飲ませようとしてもその上がった口角から流れ落ちるだけなのだ。「メルちゃんお風呂で髪の毛の色変わるって」そうだおおかまちの髪の毛は毛すら生えてない。ちょぴんとした色のついたとんがりが髪の毛なのだ。後頭部には何とも知れない哀愁すら感じる。かわいいお洋服を着たポポちゃんやメルちゃんをおもちゃ屋さんで眺めては「やっぱりおおかまちがいい」とデコに絆創膏を貼った全裸のおおかまちを抱きしめる娘。高い買い物をせずにすんでほっとできるのもおおかまちのおかげなのだ。
ある日、初めて娘と手芸屋さんにいった。裁縫を大の苦手とするわたしには珍しいことである。娘が好きなビーズやかわいい布などがたくさんあり娘は興奮していた。色々見て回っている最中、娘が叫んだ。
「ママ!おおかまち!!!!おおかまちがいっぱいいる!」振り返るとそこにはたくさんのキューピーちゃんが並んでいた。「ちいさいおおかまち!!おおきいおおかまち!!おおかまちたくさん!!」初めて見るおおかまち軍団に驚いた娘は大声で叫んでいた。そして店内にいた全ての人が「おおかまち」という謎のワードに消化不良を抱えていた。娘の興奮を抑えようと私は焦りながら言った。「あのね、おおかまちはおおかまちじゃないの。本当はキューピーちゃんって名前なの」そういうと娘は「おおかまちはおおかまちだもん…」と悲しそうに言った。しょんぼりする顔を見て申し訳なくなり「そうだね、おおかまちはおおかまち(おともだち)だもんね…」と言う他なかった。
湯船で浮かぶおおかまち。しまじろうを戦わせられるおおかまち。滑り台の上から地面に叩きつけられるおおかまち。どんなだっておおかまちは微笑んでいた。
しかし時の流れとともにおおかまちと娘は自然消滅した。
中学生になった娘にふと「あんた、おおかまちのこと覚えてる?」と聞くと「なにそれ」と驚くべき返答が返ってきた。あんなに一緒にいたおおかまちの記憶が全くないらしい。おおかまちとのエピソードを話すと娘は「うける」とだけ言った。思春期は言葉数を最小限に絞ってくる。
そんなある日娘とテレビを見ていると「テレッテテテテーテレッテテテテ♪~」という陽気な音楽とともにキューピー三分クッキングが始まった。その音楽に合わせて野菜たちと踊るおおかまちを見て娘はボソッと「…なんかかわいい」と言った。その言葉が聞こえたのか、おおかまちは嬉しそうにウインクをした。
おおかまちのことをわたしは忘れない。いつか孫が生まれたら実家に連れていき「この子はおおかまちよ」と教え込むつもりである。きっとまだ絆創膏がついたままのおおかまちはあの日と変わらず微笑んでいてくれるであろう。

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