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『タワーマンション 2029』 ショートショート


ここは2029年の東京。町は10年前と比べても、さほど変化はない。近未来的なバイオと融合した建物とか曲線で描かれる銀色の車や無駄のないスリムなファッションとか透明な道路とか…そんなものは無い。いつの時代もそうだ、未来というものは劇的ではなく少しずつ変わっていく…いわばエッシャーの絵みたいな静かなるメタモルフォーゼをしていくのだ。だから変化に気付きにくい、それは何事においてもそう、もしそれが悪い方向へと静かに転げ落ちていても。そこには一人一人の暮らしがあるだけだ。

ここの駅前には数年前新しくタワーマンションが建った、これもまた1つの変化だ。俺は現在32歳、身体は少しずつ太くなり重くなった、これもまた変化だ。毎朝出勤のために駅へと向かうがタワマンが出来たことで朝はやけに混むようになった。この渋滞を生み出した窓のたくさん付いたあの忌まわしき塔を、毎朝俺は睨みつけていた。でも一方でそれ以外では人が増えるのも悪くないと思う。その一番の理由は子どもだ。
つい数週間前のことだった。駅から出るとランドセルを背負った三人の子どもたちがわーわー騒ぎながら駆け回っていたのだ。あぁこんな光景がまだあったのかと思った。大人になると忘れていたが子どもってこんなにエネルギーに満ちているんだ。俺はタワーマンションを見上げた、たくさんの窓その一つ一つに誰かの暮らしがある。ここにどれほどの子どもが居るのだろう。…多ければ多いほどいいと思った。駅前を駆け回る子どもは太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた、彼らの動き回る影その黒の濃さ、あぁ子どもが未来の光が確かにそこに生きているんだ。

仕事から帰り、家で一人ソファにもたれながら俺はそのことをぼんやりと思い出していた。最近は超高齢化社会だ…子どもの姿なんてめっきり見なくなったな。あの子らきっと駅員に怒鳴られただろう。「子どもは騒ぐんじゃない!黙ってろ、大人の迷惑だろう」って。そういう考え方、今の日本じゃ当たり前だ。俺が子どもの時分にはどうだっただろう。思い出してみるとあの頃から始まっていたのかもしれない…2009年頃かな、遊ぶ場所がなくてマンションの空き地で遊んでたら大人に怒鳴られた。その時感じたんだよな、あぁここらは全部「大人の土地」なんだって。子どもはそこを借りているんだ。だから子どもは我慢しなくちゃいけない、大人様に迷惑かけないようにしなくちゃならないんだって。そういえばいつしか学校から帰ってくればYouTube見たりゲームしたりそういう生活になっていたな。今の子どもは運動能力が落ちたなんて言うけどそれって子どもにとっては知ったことではないよな。
ふと気がつくと、時計は午後8時半をさしていた。いけないもうこんな時間かせっかく少し早く帰ってこれたのにぼっーとしてしまった。早く録画を消費しないと。また明日も仕事なんだ。

朝、家を出ると何やらすぐ向こうの方に人だかりが出来て騒がしくなっていた。その人だかりの中にいた五十代くらいの女に俺は聞いてみた。
「あ、あのどうかしたんですか」
「ここに幼稚園を作るっていうんです!」
女は随分と憤ってた、集団の中でやけに盛り上がっているのだ。自覚はあるのだろうか。怒りのボリュームはこの人的にはこれで合ってるのだろうか。
「へぇ幼稚園ですか」
「そうなのよ、ここは長閑で静かなのが良かったのに。タワーマンションも建っちゃって幼稚園まで出来たらもう騒がしくって仕方がない。ほらあんたも痛感してるでしょ、朝の通勤ラッシュ全部あのでっかいタワマンのせいよ」
女の口調は嫌味たっぷりだった。よくドラマで見る姑が嫁に嫌がらせするときみたいな。
「え、でも子ども達と通勤ラッシュとは関係がないですよね。確かに通勤ラッシュはキツイですけど、町に子どもたちの声が溢れるのは…」
「ちょっと!あんたもしかして建設に賛成っていうの!?」
それがあまりにも大きい声だったので周りの人が皆こちらをじろりと見た。
「あ、いや何でもないです、ハハ。じゃあ急いでるんで…」
俺はしばらく苦笑いしたその引きつった筋肉を戻せぬまま駅へと歩みを進めた。電車に乗り始めて何個目かの駅でようやく、はぁと溜息をつくように席に腰掛けた。
子どもが騒音か…あんたらの方がよっぽど騒音だよ。まぁこれも今に始まったことじゃないよな。すると右の方から子どもの声が聞こえた。
「おじいさん、どうぞ」
幼稚園の制服を着た女の子が年老いたおじいさんに席を譲っていたのだ。朝から一人で電車に乗ってわざわざ遠くの幼稚園へ行っているんだ。自分より何倍も背のある大人たちの中でその子は必死に立っていた。
それを見た時いてもたってもいられず俺は「どうぞ」とその子に席を譲った。
その子は申し訳なさそうな顔をして「ありがとうございます」と言って座ってくれた。
今、俺が席を譲らなければこの国は終わりだと思った。彼らは光だ。子どもがいるから大人も輝くんだ。本来もっと大事にしなくてはならない。子どもが申し訳なさそうな顔をするのはボールをふっ飛ばして窓ガラスを割ってしまった時くらいで良いんだ。子どもは自由に駆け回るのが仕事なんだ。かつてはそうだったろう。かつては。もしくはそれが叶わなかった世代が大人になったのなら今度こそ叶えてあげようじゃないか…。そんなことを思いながら電車に乗っていると車窓から遠ざかっていく駅に由美の姿が見えた…気がした。

半年後
幼稚園の建設は結局、続行されることとなった。あたりまえだ。幼稚園の建設は違法行為ではない。子どもの声がうるさい?そんなもの大人が我慢すればいい。それでも幼稚園の工事は始まってすぐにまずは防音壁の建設から始まった。これを最初に見せておかないと住民を納得させることが出来ないらしい。一種のパフォーマンス…しかし壁は確かに作られる。その見た目はさながら刑務所。そうか大人は子供が目障りなんだ、邪魔なんだ。…なんて怖ろしいことだ。でもきっと一部の大人はこう言うだろうな「そんなことはない」「子どもは宝だ」「それは一部の人が言ってるだけだ」と、それも確かに事実の一面だ。でも俺が本当に怖いのはもっと大多数を占める人、つまりそれを黙ってみてる人、心の何処かで「まぁ、仕方ないよね」と思ってる人かもしれない。それにこの国の進んできた方向、これこそ子どもに対する態度じゃないか…。この国で未来を生きていく子どもたちへ送る未来が素敵なものだと胸を張って言えるのか。…あぁでも俺だってその被害者だと思い込みながら加害者になっているのではないだろうか。この国への絶望を感じるたびに同時に自分の無力さを痛感する。俺には日々生きねばと働き詰めながらなんとか息をし、それでもたった1票を投ずる力しかないのだ。
ちっぽけな自分に酔ってこの国の未来を憂いていた頃。いや、国をよくするためにはそのくらいの意識が必要だろうと思うのだが。そんなときに久しぶりに由美から「また会って話をしませんか」という連絡が来たのだ。

由美と知り合ったのは大学生の頃だった。サークルで知り合ってすぐに意気投合して付き合い始めた。卒業後も連絡を取り合ってその後、五年くらいの交際期間を経て遂に俺と由美は結婚することになったんだ。あの頃は本当に幸せだった由美は本当に話が合う、この世で一番の最高のパートナーだと思った。こんな可愛くて気の合う人と出会えたんだ、あの時自分は世界で一番幸せだった。
二人ともピクサー映画が大好きだった。だから二人で好きな映画を見ながらよくこんな話をしてた。
「ねぇ子どもが出来たら一緒に映画みたいね。もっと大きいテレビとソファ買ってさ」
俺がそう言うと由美は目を輝かせて
「それ良い!あ、そうだ。ねぇ二人の目標ノート作ろうよ」
そう言って由美はノートに子どもと映画を見るという夢を書いた。
「映画は何がいいかな、トイストーリーは絶対に見せたい!」
「はは、そんなに焦らなくてもいくらでも観れるよ、たくさん。僕たちが知らない新作もね。本物のおもちゃもたくさん買ってあげたいな」
「自分だってめっちゃ想像してるじゃん」
「ねぇ…子ども何人欲しいとか…ある?」
「うーん、私は三人姉妹だから三人がいいかな」
「そしたら賑やかになるねぇ」
「ねぇ」
そうして二人でよく笑った。あんなに未来が楽しみだったことって今まであっただろうか。今思うと俺は若かったな。恥ずかしいことも何度も言ってたかもしれない。でもあの時はとにかく本当に幸せだったんだ。嘘じゃない。由美だってそのはずだ。
でもそんな日々が続いていくと思ってたある日、俺が仕事から帰ってくると由美は一人で暗い部屋で泣き崩れていた。慌てて駆け寄って肩を抱くと由美は震えてて息が出来ないくらい泣いていた。
「大丈夫か、どうしたんだよ」
そう聞くと由美は震えた声で「ごめんなさい」とだけ言った。
その日はそれだけが精いっぱいだった。それから少し落ち着いて由美の話を聞いた。結果から言えばふと気になって病院に行ったらしいのだが、そこで医者から自分は妊娠が出来ない身体だということを知らされたのだという。かける言葉は全然見つからなかった。俺はどうしてあげることも出来なかった。俺は由美が本当に好きだったし愛していた。だから子供なんていらない、いなくても由美が居ればそれで良い、それだけで十分すぎるくらいだ。心の中でそう思っても子どもを楽しみにしていた由美のことを想うと何も声をかけてやれなかった。しばらくは沈黙だけが部屋を満たしていた。いや、俺はずっと言い訳をしてるだけだな。由美のツラさを俺は抱えきれなくて逃げていたのかもしれない。俺はダメな人間だ。ただ心の奥で神様を恨んでいた。あまりに酷いじゃないか。こんなむごいことどうして出来るんだって、どこにぶつけたら良いか分からない気持ちをそういう投げやりな方法で処理して結局、俺は自分のことばかりだった。あの時由美を引っ張れるのは自分しかいなかったはずなのに。
それから数週間があり由美は実家へと一度帰ることになった。
一人減った部屋。それだけで随分と広く感じられるのが不思議だ。寂しくなって、何気なくテレビをつけると子どもが虐待で殺されたというニュースをやっていた。ここに産みたくても産めない人間が居るのにと、俺は単純な怒りの感情を抱いた。でもすぐにあることを思い出した。いつか由美とテレビを見てたとき、こういう虐待のニュースを一緒に目にしたときがあった。その時も俺は怒った「こんなやつらは親になる資格はない」と。でも由美は違った。
由美はじーっと考え込んでてて、それから「虐待で亡くなった子、すごくかわいい名前だね」とそれだけ言った。
俺には最初その意味が分からなかった。
「酷いよね、こんな可愛い子をさ」
「うん、でも本当は大切にしたかったんじゃないかな…。きっと悩んでたんだよ子育てに。誰かが手を差し伸べることが出来ていれば、未来は変わってたかもしれないのにね。誰が悪いとかじゃなくてさ…助けてあげたかったな、みんな」
由美はそういう考え方が出来る人だった。俺には親のだらしないのが目立って見えて腹がたったのに、由美の目にはそういう世界が映ってるんだな。尊敬出来る人だなとそれでもっと由美を好きになったりした。彼女は俺が持ってない目を持っていた、凄く素敵なものを。

大通り沿いのカフェ、その日は良く晴れて空は青く涼しい風も心地よく吹いている陽気だった。由美は窓側の席で一人、俺を待っていた。遠くからその様子が見えた。あの頃よりずっと落ち着いた印象だ…ってあたりまえかな。その顔を見ると由美との思い出が昨日のことのようにいくつも思い出された。すごく時間が経ってしまったようだけどまたこうして出会えたんだ。せめて笑って。
「あ、由美…だよね。久しぶり」と顔覗き込むようにして静かに声をかけた。
「久しぶり」
「あ〜なんか緊張するなぁ…はは」
「私だってそうだよ」
「うん……あ、とりあえずなんか頼むか」
不思議だな。由美はあの頃と違う人のようでやっぱり変わらない。俺には…気さくに話しかけてくれている。俺のことはその目にはどう見えてるんだろう…なんてあの時由美から逃げておいて今さらこんなこと考えてるなんて最低だな…自分。もうどう思われても自業自得だし由美の人生にとって、もう俺は関係のない人だ。俺は…過去の人だ。
「あ、じゃあ私コーヒーのホットと…あとパンケーキを。どうするの?」
「え、あ〜そうだな。俺はホットコーヒーだけで…」
注文を取った店員がはけていく。
「コーヒーだけでいいの?」
「あぁ…まあそんなに今はいいかなと思って」
「ふーん」
「由美はさ、昔からパンケーキとか甘いもの好きだったよな」
「うん、そうだね」
「うん…」
「…あーなんか、元気にしてる?」
「え?あぁ、まあまあかな」
「そう。まぁ、なら良かった」
「そっちは、最近…どう?」
って聞くのが俺には精いっぱいだった。でもそれでも思いきったほうだ。というかこれでもし良い返事じゃなかったら、俺どうするつもりなんだろう。
「元気だよ。絶好調」と由美は笑った。
「ああ。良かったよ」
パンケーキとコーヒー二つが運ばれてきた。
そういえば緊張していて忘れていたけど今日、連絡をくれたのは由美の方だったな。なんだろう、何を言いに来たんだろう。今さら…俺なんかに。
「あ、あの…今日会おうって連絡くれただろ?何か伝えることがあるんだよね…多分」
すると由美は少し口を閉じて座り直して背筋を伸ばしてからこう言った。
「私、結婚するの」
「あ、………お、めでとう」
「ははは、なんて言われても困るか」
「いや、そんなことないよ。本当におめでとう…と思ってるよ」
「…うん、そう」
「あの…由美」
「なに?」
「あの…今さらこんなこと言っても仕方がないし、これは自分の為に言ってる甘えだと思うし、でも…あの時は本当に何も出来なくて申し訳なかった…」
って…なんで俺はこのタイミングでこんなこと言ったんだろう。でも由美が別の人と結婚するって分かってもう一生謝れないかもってそう思ったのかもしれない。どうしても伝えたいことがあって。
「俺は本当に由美と一緒になって、絶対に幸せにしようなんて思ってたのに。結局由美を全然引っ張ってやれなくて、挙げ句の果に何もかもあやふやにして関係を終わらせてしまった。酷いことをした。頭の中で考えてばっかりで最終的には自分が楽になる決断ばかり選んでしまってたんだ。本当に申し訳なかった。…ごめん」
少し沈黙があった。それから由美は小さくつぶやいた。
「……どうしようもなかったよ」
「え?」
「あなたにも私にもどうにもならなかった。あんなこと考えてもいなかった。私はあぁどうして神様、こんな酷いことするんですかって毎日泣くことしかできなかった。そういう時にあなたがもっと隣に居てくれてたらって考えたこともあったけど、そう思うたびにいつも、いや、でもあなただけは幸せになってほしい。私は置いていかれてもいいってそういうふうにも心の何処かで思ったの。だってあの頃の私達には二人が頑張って解決するような問題じゃなかったから」
「…本当に、ごめん」
「もう、謝らなくていいのよ。それにだからこそ伝えに来たんだから、結婚するってこと」
「ああ…。そうだよね。でもどうしても謝りたかったんだ…俺が………。いや、そうだな。本当に結婚おめでとう。由美は絶対に幸せになるよ…。こんなことしか言えないけど」
なんか俺、何を言っても全然ダメダメだな。
「あと…子どものことだけどね。私、今の人と話し合って養子を取ることにしたの。最近増えてきてるでしょ。血のつながらない親子って。いろいろ調べて今は色んな選択肢があるんだなぁって分かったの」
「養子か…そうだな。最近、多いって聞くよ、絶対に上手く行くよ」
その時、窓の外を幼稚園帰りの子どもたちが何人か元気よく走って行った。それを由美も見てたのだろうか。ふと思いついたように由美は話し始めた。
「ねぇ、あの頃の私達まだ子どもだったよね。体ばっかりは大っきかったけど」
「子ども?」
「うん。うまく行かなくて駄々をこねて泣きわめく五歳児と同じ、人生なんてもう全部嫌になるくらい、予定通りに行かないことばっかりなのに。ホント、人生って失敗の積み重ねに過ぎないなぁって三十年生きてきて痛感してるよ。でもさ、人生って面白いよね、あの頃はあんなに深刻だったことが今では今ある幸せに繋がってたりする。あなたと笑ったことも泣いたことももう今の私にとっては過ぎ去った風みたいでまるで一瞬の事のようなの。だけどその日々が確実に今の私の形を作ってる。あの日の風が私の肩に触れた感触を私は一生忘れられないのよ、それなのに無駄な事なんて一つもないのにあの頃は自分の思い描いた世界だけが全てだった。あなたも私も。だから子どもみたいにどうにもならないことを泣いたりわめいたりしてさ……」
「そう、かもね…まだ子どもだったのかもしれないな。」
今の俺だったらあの頃の由美になんて声をかけるんだろう。子どもだったって…じゃあ今はどうなんだよ。俺はいつまで経ってもまだ歩き方も分からない気がするよ。由美の目には今の俺はどう見えてる?

それから二人で少し近況を話してから店を出た。結局俺は一つ言いたいことを言えないままだった。
「はぁ。今日はありがとうね。久しぶりに逢えてよかったよ」
「うん。……そうだ、由美…なんかこんな帰り際になって今さらもっと早く言えよって感じなんだけどさ、実は俺も今日ずっと伝えようと思ってたことが本当はあったんだ。」
「え?」
「…あの日からしばらくあって、実は俺も自分の体のこと、病院に行って調べたんだ。そしたら俺も駄目だったんだってことをさ…」
「うそ…」
「はは、おかしいよな 」
「…全然おかしくないよ。だって…」
「病院行ったらさ、あなたのは問題があるってそう言われたんだ。結構さらっと…」
「…そうだったんだ」
「俺と由美はところどころ似てるところがあったけどこんなところまで似てたんだよ。だからそれが言いたくて、また話を戻すようで申し訳ない。けど…要するに何が言いたいかって、だから俺も由美と同じだってこと。あの日の由美の気持ち、今さらになってやっとちゃんと分かったんだよ。…うん、まあそういうことなんだ」
「そっか、大変だったね…」
「だから…今日はありがとうって伝えたくて」
「ありがとう?」
「…うん。由美の言葉…俺、正直救われたよ。前向きな由美を見て、そうだよなまだいろいろ選択肢はあるんだって。この先、人生がどうなるかなんて分からない。それなのに落ち込んでばかりはいられないなぁって。勝手にそんなことをさ…」
「そうだね。…う〜ん。月並みなことしか言えないけどきっと大丈夫、頑張れ。生きてるんだから、いろいろあるよね。」
「あぁ、ありがとう」
由美は最後は笑顔で俺の話を聞いてくれてそして励ましてくれた。はぁ結局、俺が由美に助けられてる。いや、思い出せばそんなことばかりだったかもな。
帰っていく由美の後ろ姿は逞しかった。穏やかな日の光が君を静かに照らしていた。

その後一人帰り道を歩いていると急に前の道がすーっと暗くなっていった。
あーこれは…俺は振り返ってタワーマンションを見た。この時間になると太陽がタワーマンションの影に隠れてこの街には縦長の影が出来るんだ。なんだか俺は少し笑えた。こんなバカでかい人工物が出来たおかげで洗濯物が乾かなくなったり景観が崩れたり駅が混雑したり…街ってなんて単純なんだろう。それも全部、人の仕業だ。この影の中にもたくさんの人が住んでる。いろんな人生が潜んでる、暮らしが溢れてる。
あぁそうだな。俺は少し無理やりなことを思った。「人生はタワーマンションみたいだ」立ち上がる時はみんなの期待を背負って堂々立ち上がったはずなのにそれから時が経つと邪魔だのなんだと悪口を言われたり嫌な思いをしたり、それでも生まれてしまった以上立ち続けるしかないんだ。それに俺の中にはタワマンみたいにたくさんの人が宿ってる。その一つ一つはもはや思い出せない。あの人は今どうしてるだろう…そんなこともう分からない。でも確かにその小さな一つ一つが俺を作ってきて、その中のいくつかの大切な思い出が自分の人生になる。窓の明かりは人それぞれ白い人オレンジの人、同じようで細かな違いもある。俺の明かりは何色だろう。俺も誰かの人生の一部にちゃんとなれてるだろうか。…そんなこと考えてもわからないよな。歩き続けていくしかない、人生は。
もう本当に日も沈んできて、ぽつぽつとタワーマンションや街の明かりが灯り始める。明かりがあれば夜だって怖くはない。子どもだって歩ける。暮らしを失わなければまだどうにかなる。明日も仕事だろう、家へ帰って早く寝ないとな。
日の光に負けないくらい眩い街灯の下を俺は家へと歩みを進めた。一歩ずつ確かに。

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