私の経歴①
こんにちは。とりです。
私の経歴について紹介していきます。
公立大学に行くために福祉を選択
父子家庭で育った私。暗黙の了解で私立進学は難しそうだと察し、家から通える公立大学を探していました。
見つけたのは、偏差値が高いor看護や医療系or倍率低めの福祉の大学。
ひとり親育ちだし、自分にも何かできることがあるかも〜とやんわりした理由で福祉大学へ進学を決めました。
(それ以外は受かる自信がなかった)
たくましく生きる親子と出会い児童福祉に決める
福祉大学での学びは、嫌いではありませんでした。
やっぱり自分がその立場だったこともあって児童福祉分野には特に興味があり。
ボランティアや実習も児童福祉分野に行っていました。
そんな中、実習で虐待やDVから避難する母子と関わる機会がありました。避難する経緯の記録を見るととても壮絶な人生を歩んでいるのに、目の前の親子は、いたって「普通」。
特に、屈託なく笑う子どもの笑顔と元気が印象的でした。
大変な状況の中でもこんなにたくましく生きている、親子のために力になりたい、と思うようになりました。
(私の大学は、実習先の分野/高齢.障害.地域.児童などは決められるけど、具体的な実習先は先生の配分によるんです。私に母子支援を振り分けてくれた先生に感謝、、、)
24時間対応は家事に自信がなくて避けた
児童福祉に興味があったので、児童養護施設への就職ももちろん視野に入れていました。
しかし、お父さんやお祖母ちゃんからほとんど家事を教わってこなかった私。夕飯もレトルトやコンビニ弁当が多かったので料理の基本のきの字も知りません。
ここでも私の劣等感が炸裂。
子どもたちに家事や生活の知恵を教える自信がない。
24時間の関わりや、業務に家事が入っていない就職先を探していました。
母子生活支援施設で小学生〜18歳を担当
私のやりたい仕事、やりたくない仕事を叶えてくれる場所が「母子生活支援施設」でした。
私は少年指導員として7年弱、小学生〜18歳の子どもとそのお母さんへの支援に携わりました。
入所する母子全員には日常的に関わるので、妊産婦さんや生まれたての新生児、未就学児と関わることももちろんありました。
0〜18歳、幅広い年代の"子どもの成長"と"お母さん目線の子育て"に関われたことは、自分の人生にたくさんの彩りを与えてくれた大事な経験です。
しかし、そんな貴重な経験が積めた職場を7年弱で退職しました。私の経歴②に続きます。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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