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自分の心に寄り添って生きていきたい

自転車を漕ぎながら、もし「夫の年収が 1 千万円、タワマン暮らしの主婦」が、自分が働いていないことにコンプレックスを持ち、仕事をしようと焦っているとしたら、と考えてみた。私ならその主婦に、ラッキーな境遇なんだから趣味でもなんでも楽しんじゃえよ、と声掛けすると思う。仕事をしているかどうかなんてどうでもいいじゃない、生活がなりたっているのなら、と。極端な例を考えることで、今の自分の問題が少しクリアになる。

うちは決して金持ちじゃなく、生活はカツカツだけど、それでも暮らしはなんとかなっている。なので私がフルタイムで働いていなくても、今すぐに問題が発生する状況ではない。ただ、息子が今後私学や医学部を希望した場合、貯金が足りないかも、という懸念はある。それにお金がもう少しあれば、あとちょっとだけ贅沢ができる。例えば晩ごはんを作る元気がないときにサッと外食しちゃうとか、いつもお世話になっている父母にプレゼントを贈るとか、一目惚れしたかわいい雑貨を買っちゃうとか。私はブランド物に興味はないし、化粧品も薬局で売ってる安物だし(そもそも化粧の頻度が低いし)、散髪は 3800 円だし、服もあまり買わないし、その辺の出費はかなり少ない。お金をかけているのは漫画くらいだ。漫画はリラックスのための生命線なのでここをケチると心が持たない。なので、月 5 万円くらい余分の収入があれば十分だと思う。

前回の躁転時は、今振り返れば異常な緊張の下にあった。仕事をしなければ、お金になることを絞り出さねば、と必死で、自分ができそうなことを長大なリストにしてそれぞれをプロジェクトととし、少しでも収入につながる在宅の仕事を作ろうと焦っていた。

なぜパートじゃなく在宅の仕事を探していたかというと、人と接する仕事がとても恐かったからだ。今の私は、すぐに傷ついて回復に時間がかかってしまうから。これまで、結構マッチョな人生、挑戦する人生を送っていたことを考えると、随分臆病になったと思う。100 人を超える聴衆を前にして長時間しゃべる発表をこなし、自分よりはるかに優秀な人が集うゼミや合宿に挑戦して、劣等感にまみれながらも成長のためにしがみつき、何もかも初めてのことばかりの留学に飛び込み、外国でたったひとりの暮らしに耐えた。自分を追い込む新しい場所に飛び込む無茶な勇気だけは、誰よりも持っていて、人と接すると緊張するのに、無理くりスイッチを入れて社交的に振る舞っていた。おかげで得るものは多かったし、履歴書は豪華になった。でも現在になってふと心をよぎるのは、達成感とか、高揚とか、自尊心の高まった瞬間ではなく、恥をかいたり打ちのめされたりした傷のほうばかりだ。突発的によぎる嫌な記憶が苦しくて「神様、どうかそばにいて」と祈っている。

高校時代から苦手だった物理や数学を、予備校の力を借りて無理くり上達させ、大学でも劣等感に苦しみながら自分を追い込み、博士課程で物理の特別研究員になった。研究者として初めて給料をもらったことは、昔を思えば信じられない快挙だった。結局、これ以上自分を苦しめることに疑問が湧き、博士課程を中退し、非常勤講師の軽い仕事だけをするようになって今に至る。私の積年の夢は、研究者になることだったから、給料をもらった時点でその夢は叶ったといえる。思い描いていたみたいに、教授になって人類の知の蓄積に貢献することはできなかったけれど、夢は叶ったからもういいのだ。必死に生きてきた人生の前半はこれで一段落にして、第二の人生に踏み出すことにした。今の私は臆病で、新しい仕事にも二の足を踏んでいる。でもそれは、傷つきやすい自分自身に寄り添うようになったからだと言える。それは一歩、自分に正直な人生への接近だと思う。

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