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映画『すずめの戸締り』

監督が大好きな、学生を使った日常を飛び出すSF。
主人公の女子高生すずめは”閉じ師”と呼ばれる災害を未然に目視することができる超能力者との出会い、ともに戦う冒険(家出?)をする。


本作品の最大のネタバレは、3.11東日本大震災を題材に描いた物語であるということ。序盤の屋根の上に乗り上げた漁船の絵で、当時のニュースを思い出し、あの時の出来事に重ねて語りたいのだと思ってみていたが、物語終盤で具体的に3.11だと明言されるため、とても複雑な気持ちになる。

個人的には東日本大震災を描くのであればKVにキャッチコピーで入れるべきメッセージだと思う。「実は震災の話でした」で扱うべき題材じゃない。
また、災害の規模や凄惨さを簡単に伝えるために便利に使われたようで納得できなかった。新海監督はやはり「画を見せたい」監督なので、かっこいいSF描写の添え物のように震災設定を引用されたことで非常に印象が悪い。

評価点はなんといってもアニメーションクオリティ、躍動感あふれる”みみず”との戦い。ここは手放しで称賛すべきパフォーマンス。
ただ、物語としては『君の名は。』同様に「ん?」と思うシーンが多く、特に自分のように理屈っぽく作品に納得感を求める方々にはおススメできない作品です。

1回目のみみずは遠くの学校に出てきて、通りがかりの人(のちの友人)にバイクに乗せてもらうことで間に合うようにたどり着いた。しかし、2回目のみみずで同じように遠くの遊園地に出てきても、次のカットで遊園地の入口についている。
要石から生まれた猫「ダイジン」はSNSでつけられた名前にも関わらず、2つ目の東京の要石から生まれた黒猫「サダイジン」は名前の由来もわからない。初登場した瞬間に「おまえはサダイジン!?」。その初登場も、同伴する叔母に憑依して、心の内にある闇の部分を言わせまくって主人公と喧嘩させて「お前は叔母さんじゃない!誰だ!」って言って出てきた割には、そのあと特に何の説明もなく仲間として随伴する。

新海監督にとっては、前者の場合、奥の山に見える遊園地越しに、手前を走る少女が描きたいのであって、別に目的地までの距離を伝えたかったわけではない。後者の場合は、黒猫を印象的に登場させたいだけで、別にこの親子の関係性を密に描きたいわけじゃない。

常に描きたいものが優先されているため、物語のテーマや、シーンの持つ意味が伝わってこないので納得感がない。
鑑賞後、この映画が震災を描きたかったのか、恋愛を描きたかったのか、親子を描きたかったのか、家出娘の町の人との出会いを描きたかったのか、何もわからないままでした。すべて少しだけ手を付けて放ったらかし。あえて一つに絞るならやはり震災なんだろうけどなぁ…と、強烈な題材に対して消化不良を起こしている。


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