【短文】午後5時、クローゼットの中

小さな音で目が覚めた。

ピピッ、ピピッ、と規則正しく鳴り響くアラームを止めて、時刻を確認。午後5時。15分程寝ていた。パタン、とスマホのカバーを閉じて、そのまま机の上に戻す。

そうだ、机の上。

「痛いなぁ……」

無理な姿勢で寝ていたせいで首周りが痛い。

「痛い、痛い……」

誰にともなく呟く。ぐっ、と伸びをする。椅子の背もたれがぎいっ、と小さく軋む音がする。後ろのクローゼットから発せられる謎の引力に導かれるように、さらに背中を反らす。

馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れないが、このクローゼットには謎の力がある。

実際、私の姉は、このクローゼットの中へ入って行ったきり、そのまま帰って来なかったのだから。

「姉さん、そこにいる?」

返事はない。わかってる。もう3年も前の話だ。

「私もそっちに連れてってよ……」

もう何度そう願っただろう。でも駄目だった。私はそこには行けない。

馬鹿馬鹿しい。クローゼットの中だなんて。

そう言ってお父さんもお母さんも、あっちに行ったまま帰って来なかった。

そこには何があるの?

私にはわからない。姉も、両親も、親戚の人や私を心配して訪ねて来た友達に知らない大人達も、みんな連れて行かれたから。

連れていかれない私には、知る術なんてない。

私はここで、何食わぬ顔して、1日を過ごすだけ。ただ、もしかしたら……もしかしたら、私も引き込まれてクローゼットの中へ行く時がくるのではないかという淡い期待を胸に、孤独と絶望で犇めき合う胸に……一縷の望みを託して。

そんなに、難しい話ではないはずだ。

どういう理屈かわからないけれど……最初にいなくなった姉は、ちょっと行ってくるねって、まるで近所に散歩でも行くくらいの気軽さで中に入って行き、ばたん、と。姉は跡形もなく消えていた。

クローゼットの扉を開けて、閉めて、開けて……何度やっても、そこはがらんどう。何もない。

はあ?クローゼットの中に人が入ったまま出て来ないなんて、そんな馬鹿な話ないでしょう。あれよあれよという間に、みんなも中に消えてった。

私ひとり残して。

とにかく、中に入る。

今まで何度やっても駄目だったけど、次は入れるかもしれない。不安……余計なことは考えない。そうただ中に入るだけ。だってみんなそうやっていなくなったんだから。そこにはきっと常識では考えれない不思議な力があるはず。やれる。私にだって、きっと。できる。

クローゼットの前に立つ。もう何十回目かもわからない。

早く私も中に入れて。そう強く願う。


とん、とん、とん。


中から音がした。

え?

思わず目を見張った。

この瞬間をどれほど待ち望んだか。

ようやく訪れた変化。今まで何をしても、どんなに祈ろうと叶わなかった、明らかな異変。

恐る恐る、手を伸ばす。怖い。

ずっとこうなって欲しいと思っていたのに、いざとなると躊躇してしまう。

目の前で起こった異常事態に期待と不安が入り交じり、自然と呼吸は浅くなり、取手を掴む手が震える。

大丈夫。音がしたということは、中で何かしらの変化が起きたという確かな証拠なのだから。

きっと、その時が来たんだ。

ようやく、私が中に入る番になったんだ。


――――がちゃり、と。

扉を開くと、そこは。


部屋の明かりに照らし出された、何もない空間が口を開けているだけの、何の変哲もない光景がそこにあった。



……はい、そうです。ここに姉は入って行ったっきり、帰って来ません。両親も、他にも沢山の人が、この中に囚われたまま、もう二度と戻って来なくなってしまったんです。

……ええ、大丈夫です。ただ思い出してしまって……姉と過ごしていた、もう二度戻らない日のことを……。

はい……ありがとうございます。もう頼れる人がいなくて……。本当に、こんな危険な頼みをきいていただき、何とお礼を言ったらいいのか……。

……はい……ええ、そうですね。続きは、無事に姉を連れ帰ってきてから。すみません、本当に嬉しくって………つい。

……それでは、お願い致します。

どうか姉を、両親を、いなくなった皆のところへ………



――――――私を連れていくための犠牲になってくださいね。


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