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私と音楽

私が音楽に出会ったのは幼少期。

なんなら年齢すら覚えていない。多分幼稚園の年中くらいの時なので5歳くらい。


とあるピアノ教室の前を通った時にピアノの音が聴こえて、お母さんに

『私もピアノ弾きたい』

って言ったのが始まり。ここから親からすれば金銭的に地獄のような日々が始まったと思う。


私は、前を通ったピアノ教室に通うことにした。

ただこの教室が地獄だった。いやすべては私が悪いのだけれど。

私は基本的に三日坊主で、何か物事が長く続いた試しがない。俗にいう『コツコツ』何かを成し遂げるのが嫌いだった。だからピアノを弾けるようにはなりたかったけど、練習はしたくなかった。このおかげで何が起こるか。そう、先生に怒られるのだ。それもバチボコに怒られる。先生にはよく、あんたは周りの子より進むのが遅いんやから、がんばって練習しなさいと言われた。指回しもままならないし、一曲一曲両手で弾けるようになるまで一ヶ月くらいかかった。もともと譜読みが得意ではなかったので、余計に遅れた。でも練習はしなかった。レッスンの一時間前に少しだけ弾いて、レッスンに向かうことを繰り返していた。今思えば、せっかく河合のアップライトを買ってくれた両親、主に母親に悪いことをしたなと思う。

レッスンの一時間前に弾いただけじゃ、もちろん成長は見込めない。毎回怒られるレッスン。練習しなければ怒られ続けるのに私はそれをやめなかった。

どんどんピアノ教室に通うことが嫌いになった。なんなら親に泣きついて辞めると先生に言いに行ったこともある。

辞めると言いに行った時、先生に引き止められた。意外だった。正直すぐやめさせてもらえると思っていた。まあ先生からすればレッスン料が一人分入らなくなるから、あまりいいものではないのかもしれない。

その時先生に、

『毎週ここで練習するくらいの気持ちで来ていいから、練習もしなくていいからレッスンにおいで。』

と言われた。私はわかったと言って教室を後にした。


次の週のレッスンの日、ビクビクしながら教室に行った。

すると先生は優しく出迎えてくれた。今までの怖い先生は何処かに行ってしまったかのように、嘘みたいに優しかった。譜読みが出来てなくても全く怒らないし、なんなら一緒に譜読みした。先生がお手本でピアノを弾いてくれたり、音当てゲームなんかもして楽しくレッスンした。

この辺りからだんだんピアノが好きになった。相変わらず周りの子よりは弾けないし、先生に怒られることもあったけど曲を弾けるようになったり、何より今までは嫌いで仕方なかった練習を少しだけするようになった。


それから私は小学生になって、初めて一つ目標ができた。

私の小学校は、5年生以上になると音楽会で学年合唱の伴奏のピアノを生徒が弾くようになる。

毎年毎年、その伴奏のピアノを私と同じ教室に通う子たちが弾いていたのを見て、私も伴奏をしたいなと思った。

5年生になるまでにも、音楽会の学年合奏のピアノは弾けるのでずっと弾いてきてはいたものの、合唱のピアノに憧れた。多分私は優越感を味わいたかったんだと思う。前奏や間奏の時のピアノだけになるあの瞬間に、観客である私たちや保護者はピアノだけに集中する。あの伴奏を弾く先輩たちがカッコ良かった。私もあの注目の的になりたかった。注目の的になって、私はこの学年で一番ピアノが弾けると思いたかった。実際にはそんなことは決してないのに。

運命の5年生。私は必死に練習した。今までなら考えられないくらいにピアノを弾いたと思う。先生も必死にレッスンをしてくれた。本来レッスンがない日にもレッスンを入れてくれた。怒られて泣きながらレッスンを受けた日もあるし、その日は帰りに近くの公園に寄って涙が引くまでブランコに乗った。家に帰ってからも気が狂ったように弾いた。本気だった。最後の方は先生も褒めてくれて、怒られることもなくオーディションの日を迎えることができた。

オーディションには確か私を合わせて3人いたと思う。もしかしたらもっといたのかもしれないけどよく覚えていない。私にとって最大のライバルは、いつも合奏のピアノを取り合ってきた他の2人だったから。その子たちには負けたくなかった。なぜかは知らないけれど。

1人はお母さんがピアノの先生で、ピアノ教室をしている子。もう1人はピアノ教室に通ってて、私よりもちゃんと練習もしてる子。

今までも負けたことはなかったけど、今回は特に譲れない。だってこんなに練習したのは初めてだから。ここで負けたら今までの努力が無駄になる気がした。

オーディションで私の弾く番になった。もう何年も前の話なので全然覚えていないけれど、音楽室のピアノの椅子に座ってピアノに手を置いた瞬間、めちゃくちゃ震えて緊張したのに、弾き始めると弾けることが楽しくて、緊張を忘れていつも通りに弾けたことは鮮明に覚えている。


結果は私が合格した。私が合唱の伴奏者になった。


嬉しかった。今までの努力がちゃんと報われた気がした。先生にも伝えたら、すごく喜んでくれた。伴奏が決まってからも定期的にその曲を見てくれて、アドバイスをくれた。

そして本番の日、私は無事に伴奏を弾き終えた。

楽しかった。めちゃくちゃに楽しかった。ピアノを1人で弾いている時には感じられないほどの気持ち良さだった。清々しい気持ちになった。


今思えば、なんで私が合唱のピアノをあんなに弾きたかったのか、それは目立ちたいとか、自信をつけたいとかそんなんじゃなくて、単純に「誰かと音楽をするのが楽しいことを知っていた」からだと思う。

合奏のピアノを毎年弾き続けてきて、あのピアノの椅子に座ることが大好きだった。あそこから見るみんなの必死に鍵盤ハーモニカを演奏する姿、他の楽器を演奏する姿を見ながら演奏するのが大好きだった。

ピアノは1人で曲を完結できてしまう楽器だ。1人でオーケストラの曲をも弾けてしまう。同時に何個もの音を鳴らすことが出来て、好きな時に好きなように自分だけで音楽ができてしまう。それがピアノのいいところであり、私のピアノの苦手な部分でもある。

私はピアノという楽器を演奏するには向いていないと思う。1人で曲を作るよりみんなでセッションした方が楽しい。

合奏のピアノや合唱のピアノは、私だけじゃ、ピアノだけじゃ曲が成り立たない楽譜になっている。ピアノの他に楽器や声が重なり合うことによって一つの音楽が完成する。


楽しかった。誰かと一緒に音楽をするのはとても楽しかった。


だから、今までしたことがなかった合唱のピアノに興味があった。ピアノに声が重なるのはどんな気持ちになるのか知りたかった。

初めて私のピアノにみんなの声が乗った時、鳥肌が立つくらいにワクワクした。それと同時にめちゃくちゃ緊張した。私が止まったらみんなの声も止まってしまうと思った。でもすごく楽しかった。体育館で練習をする時、永遠に合唱の練習だけしてたかったくらいには楽しかった。


この小5で合唱の伴奏をしてから、私は合唱のピアノを弾くのが好きになった。

小6の時も合唱の伴奏をした。中学に上がってからも度々合唱コンクールで伴奏を弾いた。やっぱり何回弾いても楽しいし、それと同時に自分に責任があるのが怖かった。

それでもやっぱり1人で弾く時よりは何倍も楽しい。誰かと作る音楽はこんなにも楽しい。

自分の弾くピアノには自信はなかった。ピアノ教室には私より年下なのに上手い子もたくさんいたし、中学校には伴奏なのにクラシックの大曲を弾いているレベルに上手い子にも出会った。高校に上がればもっと遠い存在にも出会った。そんな中だとやっぱり自分の弾くピアノに心からの自信はなかった。正式には自分の中の少しばかりの自信はどんどんなくなった。

でもそんなのどうでも良かった。私は音楽が好きで、みんなと一緒に音楽を作れていることが嬉しかった。


それから私は中学で吹奏楽部に入ってサックスを吹いたり、声楽を学んだりした。小学生の時には学校のクラブ活動の担当の先生に誘われて、地域のジャズバンドで演奏をしたりもした。

いろんな形で音楽と付き合ってきたけど、私の音楽との出会いの原点は間違いなくピアノで、この小学校の時の音楽会のピアノだったように思う。

サックスを吹いていても、もちろんソロで曲を吹くのも好きだったけれど、私はそれより誰かと一緒に吹く曲が好きだったし、和音がハマったときや曲が完成されていく方が好きだった。私は正直ピアノよりサックスの方が好きだと自分で思っているのだが、その理由は紛れもなくサックスは単音しか基本的に出すことが出来ないから、誰かの力を借りないと曲が出来ないところにあると思う。


中学高校と、私は音楽の教師になることを夢見てピアノを練習し、音楽の勉強を真面目にしてきた。高校の時にはピアノの先生に他の先生を紹介してもらい、本格的に三年間をかけてピアノに打ち込もうとした。ピアノの練習も、ソルフェージュも、楽典もちゃんとした。相変わらずコツコツするのは苦手で楽典の宿題は当日ギリギリまで残して、レッスンの時間のギリギリまで車の中で解いてた。先生に間違ったところを見直したか聞かれても、見直していない、正式には見直す時間もないくらいギリギリに終わらせたのに、見直しましたとか言ってた(先生ごめんなさい)。

結局、自分1人でする音楽は孤独でどんどん楽しくなくなった。ピアノのレッスンは楽しかったし、曲を仕上げるのもそこそこ楽しかった。今まで知れなかった景色が新しい先生のおかげで知れたし、先生のレッスンは毎回吸収できるものが多くて本当に楽しかった。個人的にこの時期にいろいろあって精神的に参っていたのと、受験で追い込まれてたのも重なって、高3の夏休みに耐えきれずピアノは辞めた。あの時諦めずにちゃんと通っていたらまた違ったのかと今でも思うけれど、あの時の私は私で必死だったなと思う。


そんな私は今結局音楽の専門学校に通って、音響や裏方関係の勉強をしようとしている。音楽が好きで仕方なくて、演奏する側や、誰かにその技術を教える側じゃなくて、もっと違う形で音楽と関わり続けたいと思った私の最後の選択肢は、裏方のお仕事をしてアーティストを支えることだった。

裏方のお仕事が素敵だなと思うのも、音楽は1人の力では成り立たないと思うからこそだ。演奏という形で関われなくても、一緒に一つのステージを作ってお客さんに楽しんでもらうのも一つ、立派な音楽の形だと思う。そのお手伝いをしたい。

自分はまだ、具体的にどんな仕事に就きたいかはハッキリしていない。でもどんな職種につくことになっても、誰かと一緒に何かを成し遂げるのは楽しいのかもしれない。

それを教えてくれたのは紛れもなく、私の今までの音楽人生だったと言える。


一番初めに辞めたいと先生に言いに行ったあの日ピアノをやめずにいたから、私は今音楽の専門学校に通っていて、なんでも三日坊主で続かなかった私が、未だにサックスを手元に置いて演奏している。

あの時のピアノの先生や、新しい世界をたくさん見せてくれた高校生の時のピアノの先生、私にサックスを一から教えてくれた中学の時の吹奏楽部の顧問、他にもたくさんの私に音楽と関わり続けるきっかけをくれた人達には本当に感謝しかないし、何よりこんなに振り回したにも関わらず私にいいものを与え続けてくれた両親には頭が上がらない。


音楽に出会ってから、私の人生は確かに変わった。

普通に生活していたら見ることがないようなホールから見る景色を見ることが出来たり、一緒に演奏してくれる仲間や音楽の話を楽しくできる友達に出会えたり、色んな場所で演奏してきてたくさんのお客さんに出会えたり、そして何より私自身の感性の幅が広がったと思う。

言葉が通じなくても音楽で心を通わせることが出来るとかよく聞くけれど、あながち間違いでもないのかなと思うようになった。国や文化が違っても音楽ならその壁を越えられるのかもしれない。

そんな可能性のあるものと出会えたことを誇りに思うし、あの日ピアノを弾きたいと言った私を褒めたい。もちろん今まで音楽をなんだかんだ続けてきた私も褒めたい。


やはり、音楽はいいぞ。大好き。


どんなジャンルでもいい。何か一つでもあなたにとってかけがえのない曲や、楽器、音楽が現れますように。いっそのこと音楽じゃなくてもいい。しんどい時や辛い時に救いの手を差し伸べてくれるような、楽しい時や嬉しい時にその感情が二倍にも三倍にもなるような、そんなものにあなたが出会えますように。


そして私が、いつか1人でも多くの方のそんなものに出会う機会を、音楽に出会う機会をお手伝いできるような、そんな人になれますように。


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