見出し画像

『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期7話を語る。

ブログを書く適正がない。どうも。蕩です。
前回は「せつ菜が好き」という気持ちが何倍も大きくなる話になっていたと思います。ライブが始まった瞬間に轟く"のびのびとした歌声"は最高でしたし、今まで抱えてきたモノを解き放つ素晴らしい回で卒倒。

今回は何と…"栞子回"になってました。
ここまでの間で小出しにする部分はありましたが、彼女の問題に大きく触れる場面はなかったので、どうゆう展開でライブまで連れていくのか序盤は心配な気持ちもあったんですけど、本当は心配してませんでした(?)

アバンで過去に薫子さんがスクールアイドル活動を続けてる姿に夢を見るも、ラブライブ出場が叶わず、悔し涙を流している光景に「適正がないから後悔する」と極端な考え方を持ってしまった事実を提示した時点で、何となく展開の面白さに安心した部分はありました。

さて、今回も自分らしい観点で解釈やフィルムの表現についてお話していこうと思うので、全身を翡翠色に塗りたくった状態のまま記事を始めていきますね。

最後まで読んで頂けたら幸いです。
読んでください。読もう。読みなさい。読んで😭
気軽によろしくお願いします。

「夢の記憶」

誰もが幸せになれる世界。
私が望む世界。

それはどこにあるのだろう?

栞子ソロ楽曲「決意の光」の歌詞引用から開幕。
原曲では「私が望む"遥かな"世界」という歌詞になっているのですが、今回の内容を踏まえると、栞子にとって"スクールアイドル"は薫子さん(=お姉ちゃん)"がやっていた身近な存在な事が前提にありますよね。

また、この話数で栞子は"スクールアイドル(=私が望む世界)"になりますし、運営側として再び身近にスクールアイドルと接しているため、"遥かな"と形容するほど遠い世界ではなくなっていると思いますし、そういった点からの変更点だったのかもしれません。

ラブライブ本選出場は…叶わなかったけど…。

この時点で涙腺ピンチ姫でした。
ラブライブはシリーズを背負う高校が「ラブライブ」に出場して優勝する物語を描くもので、もちろん優勝を掴み取るまでに"敗北""挫折"を味わうことは当たり前のようにありますが、彼女たちは作品の主人公なので最終的には優勝できる道を走れているんです。

ただ、作品の世界線として"スクールアイドル"は絶大な人気を誇っていることから、同じ夢を抱いて走ろうとする高校生たちはたくさん存在していて、「本選出場すら達成できないまま消える高校」もいます。

それを改めて実感する瞬間だったと言いますか。
特に虹ヶ咲は「ラブライブ」に出場しない唯一の世代でもあるため、余計に鋭さを孕んだ台詞になっていたと思いますし、薫子さんの涙と"日笠の演技"が素晴らしいのマリアージュで、突如として涙を誘われました。

「高校生になったら、絶対スクールアイドルやるんだ」
って言ってたんだよ?

私たちの代ってパッとしなくてさ。
ラブライブも予選落ちだし、
当時は栞子をガッカリさせちゃっただろうけど。

でも、これは姉の勘なんだけど。
「やりたい」って気持ちは変わってないと思うんだよね。

エマちゃんも言ってましたが、「やりたいと思った時からきっともう始まってるんだよ」の解釈から"自分が目指すものを見つけた瞬間(=目指すものに対する時間が動く)"に時計の針が動き出すと思うんです。

ただ、栞子は幼少期に抱いた"やりたい気持ち"をリアルタイムで鍵を閉め、そのまま高校生になっても鍵を閉めたままの状態であることから、ずっと"時計の針を止めていた"ことになるので、そういう点でも最後のライブパート演出に組み込まれた"時計の針"に繋がってくると勝手に考えています。

また、1期のソロ活動はもちろん、2期はユニット活動として「やりたい」気持ちを表現し続けている虹ヶ咲のメンバーだからこそ、自分の「大好き」を抑制している栞子に手を差し伸べたいと思い、満場一致で彼女のもとへ走り出していく展開に説得力を体感。

私はスクールアイドルはやりません。
もう…諦めましたので。


私は…自分の適正を最大限発揮できる
生き方をしたいと考えています。

身の丈に合わないことに入れ込むより、
向いていることだけに全力を尽くす。

そうすれば…
皆さんの役に立てるし、喜んでもらえます。
それが間違っているとは思いません。

さて、まず、せつ菜たちが「スクールアイドル活動を始めてみましょう」と声を掛けることに対し、栞子は「諦めましたので」と断る場面で"左上の画像"から、同好会と栞子の間に"パラソルの支柱"を配置して両者を分断することにより、考えが相容れないことを表現。

加えて、栞子を背景の"階段側面の傾斜"は微妙なラインですが、パラソルの支柱が"フレーム内フレーム"になっているので、栞子が心理的にも行動的にも"閉じ込められている(=スクールアイドルをやりたいという夢を抑圧している)"ような意図を汲み取れる構図になっていたと思います。

お姉ちゃんの涙を"後悔"であったり、才能と努力を持っても叶わない夢があると幼少期に感じてしまったのは誰にも止められることではないので、仕方ない部分はあると思うんですけど、私たちは"自分が向いてることに励む人間"より、"自分が大好きと信じていることに励む人間"を応援したいと声を掛けたくて辛い🗣

そして、お姉ちゃんに憧れを持った幼少期の回想や写真でも"ステージに上がっていない"うえに、今回もせつ菜たちからのスクールアイドルの誘い(=階段の上 , ステージに登る機会)を断り、"階段を降りる(=スクールアイドルとしてステージに登ることを諦める)"のも辛くなってしまう描写だったと思います。

スパスタの3話でも可可ちゃんが千砂都ちゃんをスクールアイドルに誘った際に、可可ちゃんは"階段の上"にいたんですけど、千砂都ちゃんは"階段を降りる(=スクールアイドルになる機会を潰す)"流れが組み込まれていたのを思い出してしまいましたね。

栞子の表情、特に"瞳"を安易に映すことはしないといった意図が一貫している話数でしたし、前述の階段の意味的な面からも"登ってくる薫子さん""降りてくる栞子"で現在における「やりたいもの」を実行できているかどうかの違いであったり、単純に進行方向が異なることで"すれ違い"とも受け取れる場面でした。

ねえ、お姉ちゃん。
ステージに立つってどんな感じ?(🔖)

立ってみる?(🟥)

え。ダメだよ。私スクールアイドルじゃないし…。(🔖)

じゃあ、いつか自分で立ちなさい。(🟥)

ここでも"ステージ""客席"の違いを強調していると言いますか、たとえば幼い頃の「この消防車乗ってみる?」みたいな言葉に対して「うん」と答えて嬉々として乗っちゃうのが自然な流れに思えます。

でも、栞子は"適正"を考える個性があるので、幼いながらも彼女にとって「まだ自分にはスクールアイドルの適正がない」と直感的に思い、ステージの存在を"適正を持つ人間の場所"として観ていたのかもしれません。

だから「ダメだよ」って言葉が出てくる。

百歩譲って「私はいいや」なら控えめな性格とも受け取れますが、この後に差し込まれる"栞子が薫子さんと特訓をする(=適正を満たすための努力)"描写と"目標だった薫子さんの夢が敗れる(=才能があった姉でも叶わずに後悔する)"展開からも、やっぱり「自分には適正がない」と受け取ってしまったため、あの時も「ダメだよ」って言葉が出てきたんじゃないかなって。

向いていることだけするとか。
皆をサポートするとか。
それだけ聞けば、正しいって思うよ。

でも…それって…
後悔するんじゃないかな。

でも…いや…そうなんですよね。
最後に明言していますが、明言せずとも薫子さんが後悔している様子は全くありませんでしたし、実際に栞子は未だにスクールアイドルに執着していることから、始められないことへの"未練"が窺えます。

そして、たとえば侑ちゃんは"ミアと比べて"音楽の才能(=作曲の適正)が"大規模な商業的"にあるとは正直言って思えませんし、音楽科の中でも悩み続けて奮わない様子はあるものの、全く夢に後悔していません。

他のメンバーもアイドル活動を始めること、自分のやりたいアイドル像に走り出すことに悩み抱えている瞬間は多々ありましたが、誰一人として後悔をしている姿は見えません。むしろ"大好きでやりたいことをしている姿によって夢を与える"ことができてます。

ここが…三船さんの
"夢"がはじまった場所でしょ?(侑ちゃん)

だから、栞子も"夢"をはじめていいんです。
栞子の「やりたいこと」を始めて全然いいんです。

幼少期はスクールアイドルに憧れ、お姉ちゃんのステージ効果も相まって"明るい背中"なのに、スクールアイドルを始められる高校生になった今の方が"暗くて寂しい背中"になってるなんて寂しいじゃないですか。

1期の自分たちの担当回と最終話で紡いだ「夢がここからはじまるよ」を回収するよう、夢をはじめることができた彼女たちが繋ぐバトンによって、今度は「栞子の夢がはじまる」世界があっていいじゃないですか。

確かにあの時は悔しかった。
でも、今ではやってよかったって思ってる。

そう。"悔しい""後悔"は違うんです。
薫子さんはスクールアイドル活動を全力で取り組んだからこそ"悔しい"のであって、スクールアイドル活動を始めなかった場合に"後悔"が残るんですよね。

栞子はお姉ちゃんが"スクールアイドルを始めたことに後悔している"と思って「同じ轍を踏まないように」と宣言していましたが、実際は"スクールアイドルを始めないまま過ごす"ことこそ、栞子が絶対に避けたいと願った"後悔(=同じ轍を踏む)"になってしまう。

この脚本構成が見事すぎて泡吹いてました(笑)
「やらないで後悔よりやって後悔する方が良い」なんて綺麗事は言いませんけど、憧れの存在である薫子さんが経験を語るのであったら、栞子が「やらないで後悔」する理由は全くありませんよね。始めるしかない。

みんなの"夢を叶える日"だよね。(エマちゃん)

"やりたい気持ち"があなたにあるなら、
それだって十分、"適正"なんじゃない。(果林パイセン)

また、ラブライブは「みんなで叶える物語」であり、スクールアイドルフェスティバルは「夢を叶える場所」であるのに、そんな場所を開催する重要な彼女が"夢を叶えようとしていない"のも変な話ですよね。

それは作品の中においても、私たちにとっても"偽りのスクールアイドルフェスティバル"であり、不都合によって開催が危ぶまれるも沢山の人間が動いて実現することができた空間には"夢""素直"といった"純粋な衝動"に溢れるべきで、それこそが"あるべき姿のスクールアイドルフェスティバル"だと思うんです。

加えて、果林さんの「やりたい気持ちが"適正"」という台詞があまりにも良すぎて吠えました。実際に虹ヶ咲の世界線では大会がなくて"実力"を味わう機会というのは結構少ないのですが、それでも同好会や他のスクールアイドルが"トキメキ"を拡散出来ているのは「やりたい気持ち」を爆発させているからなのかなって。

そういう風に仮定するなら、スクールアイドルになるための"適正(=やりたい気持ち)"という答えに帰ってきますし、"適正(=能力 , 才能)"と信じていた栞子の視野を大きく広げる台詞と同時に"夢がはじまった場所に光が射し込む"変化まで完璧でした。

栞子が舞うまで。ライブが始まるまで。あと少し🔖
冒頭から"口元だけ"を映して次のカットに移ってしまう一貫した意図がありましたが、こうやって彼女の中で決心がついて曇り空が晴れた時に"ゆっくりとパンアップ"することで表情が見えるのも、彼女の心情が狙い撃ちで伝わってくる効果的なカメラワークでした。

最後は、記事の序盤で"階段を降りる(=スクールアイドルになる機会を諦める)"カットがあると書きましたが、決心がついた彼女は薫子さんの「いつか自分で立ちなさい」って言葉を実現するよう、自分の決意で"階段を上る(=スクールアイドルのステージに登る)"ことで演出を回収。さあ。ライブのお時間です🔖🔖 

まずは"色んな服装の栞子"が登場🔖
同じ服を毎日のように着る人もいますが、基本的には生活の中で"色んな服"を着て外出しますよね。

なので、きっと幼少期から今に至るまでの間に"何度もスクールアイドルを目指そうとした結果"として、何度もスクールアイドルになるための"鍵"が置いてある図書館に立ち寄ったことを、"服装が違う(=心の中のあらゆるタイミングで鍵を探しに来た)"ことで示しているのかもしれないなっていう開幕でした。

次は地球儀…ではなく、"天球儀"です。
通常の天球儀は単に"外側から星を眺めるだけ(=自分が目指してる星=スクールアイドル)"であるということ、また歌詞の「自分は今の自分だけ」で何も変わらないことを"天球儀を回さずに定点"で見続けている芝居で表現しているようにも受け取れますね。  

しかし、天球儀を回す(=星の種類が広がる)ことでメロディーもアップテンポに変わり、"広大な星空(=才能の海)"を見ることで"周囲の星(=個人に合った適正)"を探している中、"自分の星(=スクールアイドル)"を見つけたって解釈もアリかも。

μ's →「白」
Aqours →「青」 
Saint Snow → 「紫」(ちょっと番外編)
Liella! → 「白」

栞子の名から取るように"栞"を挟むの天才。
本当はスクールアイドルになる夢を諦めることなんて出来なくて、前述した"何度も図書館に訪れている(=スクールアイドルの夢を諦められない)"と重ね、いつでも夢のページを開けるように、あの頃からずっと栞を挟んでおいたんだろうなって考えたら、泣いた。

ラブライブシリーズにおいて"羽根"はとても重要なアイテムであり、上記のような配色で作中に登場してくるのですが、Twitter でも見かけた「Aqours が叶わなかった夢」を薫子さんも抱えていたので、「青」が混ざっていたという解釈もとっても素敵だなって思います。

個人的には、今までラブライブシリーズで登場した"スクールアイドルに舞い降りる羽根(=白 , 青)"を栞子は何色に染め上げるのか」といった意味の"バイカラーの羽根"の提示くらいで受け取ってますね。

そして、あとで触れると思いますが、きっと"羽根"の関連性としては既存ソロ楽曲「翠いカナリア」で、鍵のモチーフになっている"蝶"は既存ソロ楽曲の「決意の光」から拝借したアイディアだと勝手に思ってます。

"鍵"を開けた瞬間に広がる輝く世界。
サビに入るまでの回想パートは"舞台も表情も暗い"といった一貫性を持たせつつ、鍵を開けると"舞台も表情も明るくなる"変化が素晴らしかったです。

1期でも1話で歩夢がトキメキを始めつつも"ほとんどカメラ目線にならない"のに、12話で侑ちゃん絡みの問題も解決して成長した彼女は"カメラ目線"でライブをしてくれる変化を見せたの思い出しました。

ここの"足の芝居"も良かったです。
"境界線(=スクールアイドル)"を少しずつ越えようとする振り付けも展開と合っていますし、境界線を越えた先には"純粋にスクールアイドルを目指した自分"が泣きながら座っていて、目の前にいる薫子さんが励ましてくれているのが何とも…グッとくる。

加えて、この時の薫子さんって髪が短いのでスクールアイドル時代だと思うのですが、前述の"境界線を越えたことでスクールアイドルになった自分"も、あの時の自分に「夢を叶えたよ」と迎えに行くような位置関係(=薫子さんと同じ側)になる流れになっているので、そこも含めた"足""境界線"って演出なら最高。

「決意の光」

ひらひらり空を舞う"蝶"のように
僅かでも風を起こして
やがて誰かの背中を押す日まで

今回はライブを始める前に、同好会も薫子さんも「応援をしたい」"背中を押す側"から言葉を強調して送っていたのが印象的だったんですけど、背中を押すって物理的に考えて「後→前」になりますよね。

聴いたことない方もいると思いますが、栞子がアニメ始まる前に持っていたソロ楽曲の「決意の光」の歌詞には上記のように「やがて誰かの"背中を押す日まで"」って言葉があるんですけど…。

さて…"翡翠色の蝶"「後→前」に飛んでます。
同好会はスクールアイドルを現在進行形で、薫子さんはスクールアイドルを通して"背中を押す"人間になっていたところ、このライブで栞子も「やがて誰かの"背中を押す"人間」になった演出に受け取れませんか??

「翠いカナリア」(既存ソロ楽曲)

果てしなく広がる空 自由の羽広げて
叫んでいる 翠いカナリア

ついに羽根が"翡翠色"になりました。優勝です。 
最初は天球儀で外側から空を眺めていたけど、最後は自分も星(=スクールアイドル)になり、そして"翠いカナリア"として自由の羽を広げて飛び回る勇気を手に入れることが出来たんだろうって考えるだけで涙目。

今までの自分が抱えていたモノを放出するよう、扉のように腕を開く振り付けも良いですし、まさに閉じ込めた過去ごと連れてって気持ちを「叫んでいる」ようなライブパフォーマンスは「EMOTION」でした。

最後は"0時で止まっている時計"が、あの時からずっと諦められずに"栞を挟み続けてた"ことで、再び時間が動き出す"鍵"を見つけ、"スクールアイドルとして生きる時間が動き出した"って構成はたまらん。

栞子が目覚める描写もあったように、"心の鍵"も彼女は閉め続けていて、それを心の中の図書館を探し回って開けることができたから、"目覚めた(=心の扉が開いた)"という物語まで素敵な…号泣回でした🔖🔖

嵐珠の"疎外感"

栞子に話しかけたものの、たくさんの生徒たちと接して頼られている姿にある種の"劣等感 , 嫉妬(=ランジュは他生徒と馴れ合っていない)"を感じて、"表情は見せずにフレームアウト"していたのが印象的でした。

話数の序盤というのもあり、直接的な表現は避けつつも彼女が抱えるモヤモヤ。加えて、何処か栞子とは住む世界が異なってきたことを察しているため、栞子に"気を遣って消える(=フレームアウト)"の苦しい。

自分にサインを貰いに来たファンの子たち。
とても嬉しい気持ちを"友達"と共有して感情を広げている光景から、サインを貰いに来てくれるファンと向き合う間はスクールアイドルとして"凛々しい表情"を魅せるものの、彼女たちの楽しい様子を見る時はただの高校生として"寂しそうな表情"を浮かべるの辛い。

タイミング悪すぎる。ミアちゃん登場。
馴れ合う気のないランジュとある意味で性格が一致していると認識されてるミアが、同好会のメンバーと一緒にハンバーガーを食べてる光景に驚きが隠せない。

さっきは栞子が遠くに行きそうだったのに、数少ない近距離で接するミアまで"自分の入れない世界"に行ってしまう不安が襲いかかってくる。

最後のこれ…めっっっちゃ辛くて頭抱えました。
栞子に関して"パラソルの支柱"によって境界線が作られてると書きましたが、ランジュにも"柵"で区切ることで"閉じ込められている , 飛び出せない(=フレーム内フレーム)"を表現していたの意地悪すぎる。

画面の奥側では"輝くステージ""栞子と同好会が仲睦まじく触れ合っている"のに対し、ランジュは"柵に閉じ込められて影に包まれている"んですよね。

序盤では表情を見せずにフレームアウトしていたと思うんですけど、あの時から"届かない眩しい光景"を危惧していて、実際に目の当たりにしたことで「あの時もこうゆう表情だったのかもしれないな」って思わせる表現と構成は何て言うか…ずるいです。しんどいわ。

最後。長くなりました。いつもすまん。

栞子のライブパートでは図書館と本の表紙に"鳥籠"があったんですけど、彼女は"鍵"を手に入れることで暗い空間からも、閉じ込めていた扉からも飛び出すようなパフォーマンスを披露していたので、きっと"鳥籠の鍵を開けて外に出た"んだと思います。

一方で、1話のランジュのライブパートでも"鳥籠"が登場していて、1話の記事で演出の詳しい考察は書いたので省略しますが、彼女は"水中"という息苦しい空間だけはサビの前に跳ね返したものの、"鳥籠は閉じたまま"で飛び出す描写はなかったんですよね。

なので、やっぱり「馴れ合わない」と言った時のランジュは全て本心というわけではなく、どこか"鳥籠に閉じこもって鍵を閉めたまま"接していて、それが現在進行形で続いているのが現状なんじゃないかなって。

1期の1話でも歩夢のライブパートで「ロケットが発射する」「手が離れる」「カメラ目線じゃない」って伏線を組み込んで最終的に回収しましたが、今回触れた件についても回収する瞬間があると信じてます🌈🌈

個人的に好きなところ

久しぶりの中須作画爆発たいむ👑
かわいいです。アホな娘は大体好きです。

彼方ちゃん楽しみすぎて
夜しか眠れなかったぜぇ〜〜。

は??????かわいいな?????
推しがかわいい。最高です。ぜぇ〜〜の破壊力🐑

推しが妹とライブしてる。とても良いです。
いや。これはさすがに良すぎる。電通案件か?

個性強すぎるって😇😇
虹ヶ咲のみんなもインパクトなら完全敗北だよ😇😇

邪神ちゃん!?ゆりね!?ドロップキックなのか!?
とか思ってました。紫苑女学院の子たち結構好き。

さすがにただの面白い人。ただの限界オタク。 

声優さんが『波よ聞いてくれ』のミナレだから、奇声をあげる演技とか天才なの納得。サンライズに捕獲。

ドン引きのせつ菜。ここめっちゃ好き。爆笑。

あんなにバレるの嫌がってたし、逆に心の底から全力で応援してくれる副会長の姿に嬉しそうだったのに、普通に目の前で限界オタクになってるやつ見てドン引いてるの面白すぎる。当たり前の反応すぎて笑う。

せつ菜ああああああ楽しそうだなああああああ。
いいぞ。前回は泣いたけど。今回はペカペカだな🎙

まさかの…tofubeatsで叫び散らかしました。
単純に好きなんですよね。そりゃ楽曲も刺さるわ。

おお…これは…良い。これも電通案件か?

"影"がないと言うか。むしろ"全て影"と言うか。
『とらドラ!』の時からずっと好きな画なんですよね。

照れちゃってるのかわいい。しおこ。しおってぃー。
慣れてない感じもかわいい。栞子のままでいきます。

どなたも自分のやりたことを体現されている。

聞きたかった言葉です。これが聞きたかった。
果林さんに言われる前に気づいてたんですよね。

"才能(=適正)"がないから私には無理なんて言ってましたけど、きっと文化祭の出店に携わってる全ての人間が"才能がある"なんてことはないのに、やりたいことを体現してる人間たちの空間に触れて、栞子は笑顔になることができてるのって答えじゃないですか。

彼女たちは文化祭とスクールアイドルフェスティバルを盛り上げたい(=やりたい気持ち)だけで、それが生み出す空間は素晴らしいものだったということは、やっぱり"適正(=やりたい気持ち)"なんです。

総括

せつ菜と彼方ちゃん推しなんですけど。
栞子に「推せ」と殴られる回になってました。

ユニット回も好きなの前提ですが、あれってユニットの中でも"特定の誰か"にスポットを当てているのに、成長した証明のライブは"ユニット"なので、ドラマが与える感情の大きさに対して、ライブに募る想いは少し分散してしまう感覚になるんですよね。

なので、こうやって1話のランジュであったり、今回の栞子のように"1人"に焦点を当てて"1人"がライブをする方が感情移入つよつよになりがちです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
本当にいつも長くてすみません。反省してます。

リプとコメントお待ちしてます。最大の励みになる。
今回で栞子推しになりそうって方もめちゃくちゃ多い気がするし、自分も気持ち揺らいでるので、どんな感想でも撃ち込んでくれると嬉しい気持ちになります!!

拡散の方もお願いします。noteの「♡」もぜひ。
ぜひ周りのライバーさんやアニガサキを視聴している方にも広めてくれると嬉しいです。よろしくちゃん。

次回は8話でお会いしましょう。さんきゅう🌈

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?