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『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期9話を語る。

こんにちは。蕩です。物語も終盤ですね。
実は先日、Liella!のアコースティックライブに行ってきたのですが、全員の顔がずっと鮮明に見える程度には良い席だったので、今までにないくらい表情を拝みつつ滅多にないパフォーマンスも堪能できて最高でした。

さて、帰りの電車で虹ヶ咲9話も観る日々。
予想通りミアの担当回ということで、前回の集大成を魅せた後の話数としては、どんな話を作っても熱量の差に難しい部分があると思っていたんですけど、構成として非常に綺麗なお話になっていたと思います。

印象的なのは"手"だったのではないでしょうか。

キャラに寄り添う感想、台詞から生み出す解釈はもちろですが、今回も自分らしく"映像表現"にも触れていきながら、『虹ヶ咲学園』というコンテンツの存在を楽しむ以外に"アニメーション"としての面白さも伝えていく記事にできたらいいなと、何となく考えています。

最後まで読んで頂けたら幸いです。
いや読んで。読むべき。読みなさい。読んで😭
気軽にぜひぜひ。よろしくお願いします。

「The Sky I Can't Reach」

絵コンテ:青柳隆平
演出:尾上晧紀
ダンスパート絵コンテ・演出・作監:中山直哉

総作画監督:
横田拓己, 小野田将人, 冨岡寛, 山本亮友
©2022 プロジェクトラブライブ! 
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
『I'm Still...』

心の奥にある答えは、本当にそれでいいの?
まだ見たことない世界を見てみたい。(和訳)

ミアのソロ楽曲「I'm Still...」から歌詞引用の開幕。
話数において印象的なのは"手"であったと挨拶でも書きましたが、その中でも特に"胸に手を当てて気持ちを抑えようとしている"芝居も目立つことから、歌詞の中で使われる「心の奥にある答え」と強く重なっていると考えられるため、納得の引用ではないでしょうか。

さらに、前回ではミアも思わず微笑んでしまうような最強のパフォーマンスを見て、ありのままの自分を表現している同好会の姿に夢を重ねる中で、まだ彼女にとっては"見たことのない世界"を"見てみたい"という気持ちから、自分を表現していく展開の物語にピッタリな歌詞を使用しているなあって、個人的には思いました。

この前のスクールアイドルフェスティバルで
私は100パーセント出し切った。

でも…あの子たちはもっと…それ以上だった。
僕の曲じゃ…あの子たちには敵わないってこと?(ミア)

そうじゃないわ…。ただ…。(嵐珠)

今度は絶対負けないような最強の曲を作る。
まだ僕の曲を歌ってもわなきゃ困るんだ。
(ミア)

前回のスクールアイドルフェスティバルのパフォーマンスという"理屈抜き"で魅せる姿から、嵐珠は「全然敵わなかったわ」といった表情を浮かべて身を引くような心情が表現されていたのはわかりましたが、上の画像の通りに、ミアの"目を逸らす"表情芝居から、彼女も侑ちゃんに対する微笑みと同時に「負けた」と自覚していたことがわかる場面だったと思います。

そして、同好会のアクスタが飾られてるボードに敵意を剥き出しと言いますか、劣等感とイライラが棲んでいるような視線を送りつつも、部屋を後にするって流れによって"全体的に余裕が無い"ことを感じられました。

ただ、ミアはどこか音楽を"勝敗"として認識している部分があるため、「絶対負けない曲」「敵わない」といった言葉を並べていたんですけど、そもそも"ラブライブ(=大会)"に出場するわけではないし、同好会にとっては"勝負"なんて思っていないんですよね。

加えて、"勝負"をしようとしているのに、音楽の名家であるテイラー家としての存在意義に自分自身を縛り続けていることと重ねて、幼少期に抱えてしまった"大好きを歌うことのトラウマ"の間接的な克服として、ランジュを通した"自分以外の存在がいることで勝負をすることできる"って逃げと矛盾を抱えていた方針が、もどかしさと弱さを孕ませて"全体的に余裕がない"ことに繋がっていったような気がします。

ランジュは帰らせないよ。曲を作ってる。
"ランジュのため" の最高の曲だ。

それを聴けば、ランジュの気持ちも変わるさ。
ランジュにやめられたら、(僕が) 困るんだよ。

ランジュのためじゃなくて、"自分のため"ですよね。

自分が作った最強の楽曲をランジュが認めてくれなくて「悲しい」等の感情ならわかりますが、「困る」っていう感情は完全に"自分のため(=自分の目的を果たす手段が消えてしまうから)"で、そんな気持ちで作った楽曲は商業的に成功したとしても、"特定の相手を変える楽曲にはなり得ない"っていうのが肝心なところ。

以前、ランジュが侑ちゃんに対して「自分の夢を重ねて満たされてるだけ」と言ってましたが、栞子が薫子さんに対する"スクールアイドル(=姉の夢)"に自分を重ねていたように、今回はミアが"ランジュ(=間接的表現)"に自分の夢を重ねて、世間から認められていく様を"満たされるよう思っていた(=自分のために相手を手段として使っていた)"ことに繋がるのすごいです。

この時点では、ミアとランジュの意見が交わることがない展開を予想させること。また、ミアは"勝負"にこだわり続けているという点では"諦めていない"ことを強調する一方で、まるで闘争心のないランジュは"諦めてしまった"といった、双方の熱量の差を感じられる描写になっていたんじゃないかなって思いますね。

ここまで、ミアとランジュが違える描写(この後に明確に描かれる)を映していましたが、次は唯一の友達と呼べる存在である"栞子"とも、「あの…」と相手の様子を伺いつつも話しかける気まずさとともに、体格差があるのは承知ですが、わざわざ"足並みが揃わない(=気持ちが合っていない)"カットを挟むことで、こっちの2人も"違えている"と思わせるの良かったです。

タイミングを伺うことで尋ねる瞬間を"合わせる"ことは可能でも、足並みのような"自然に合う"動作に関しては"絶妙に合っていない"という点で、上辺の部分で相手に気を遣うことは出来ていても、"心が一致する"ことは現状において遠い状態であることが伝わる。

そして、最初に話し始めた栞子が「スクールアイドルに憧れていたことを黙っていてごめんなさい」と、ある意味で"自分の気持ちを伝える"ことが克服を含めて出来ていることに対し、ランジュは黙ったまま逃げる。

この時に"被写界深度を浅く"して、ランジュの手前の眼を印象づけることで、彼女が閉じ込めたままにしている悩みを打ち明けるかどうか迷っているといった張り詰めた感情を読み取れますし、非常にランジュの内面に入り込める場面のため、どこかリアリティを感じるフィルムになっていたような気が…勝手にしています。

ただ…ランジュは打ち明けることができない。

吐露するかどうか悩む際は被写界深度の浅さとともに眼元のみを映す距離感の近さ。しかし、やっぱり本心を語ることはできないと「悩む→やめる」の流れで、カメラの引きから世界が広がり"我に返る"を描写した後、フレームアウトすることで、彼女が"逃げている"と視覚的に表現する流れからも、数少ない味方を失おうとしている環境に繋がっていて苦しくなりましたね。

君のため(=僕のため)に書いた
君のため(=僕のため)の最高の一曲だ。(ミア)

でも…これは"私の曲じゃない"。(嵐珠)

本当は"君のため(=ランジュ)"じゃなくて、"僕のため(=ミア)"の楽曲であることは、きっと聴いている中から滲み出てしまっていて、そういった"他人を利用した自己顕示欲"は隠し通すのが難しいという話。

前回で、侑ちゃんに対して「ベイビーちゃんのために作った楽曲なら喜んでくれるさ」といった旨の言葉をミアが送っていましたが、その構図が成り立って大団円になったのは紛れもなく「侑ちゃん↔同好会」が互いに相手の立場に立って「喜ばせたい」「一緒に表現したい」という気持ちが重なって放出することができたから。

侑ちゃんは全くもって「みんなのために」「みんなが喜ぶために」なんて恩着せがましい言葉を掛けていないのも明確な違いで、ミアはわざわざ言葉に出して"認めさせたい"といった欲を抑えきれず、最終的には激怒とともに言葉を吐き捨て、"柱"を境目に"2人の考え方が合わない"といった道を違える表現に繋がるの辛い。

でも…僕はわかっていなかった。
"テイラー家の名"が如何に大きいものか。

何千という夢が、新しいディーバを待ち望んでいた。

ただ歌が好きで、
楽しむことしか考えていなかった自分が、
それに応えられるのか。

うわ〜〜〜。ここ。めっちゃ辛くなりました。

幼い時の"純粋無垢な楽しい"を表現しようとする気持ちを"胸に決めて"と思わせるよう、胸に手を添えた芝居とともに"前向きな表情"だったはずなのに、自分がテイラー家という名家の下に生まれた期待を背負っている現実を大人たちの"無慈悲な拍手"が伝えてくるのを感じ取った瞬間、"胸に閉じ込めて"と内側に強く握る芝居に変わり、"後向きな表現"に変化していく様はギュッとなりました。

もちろん、自分はただの一般人ですが、それでも大勢の前で発表する機会は何度かあって、毎回のように緊張に押し潰されていました。名家としての莫大な期待とは程遠いですけど、やっぱり人前で何かする時は周りの視線が怖くなりますし、観ている側に"期待されている"といった思い込みが働いてしまうのは否めません。

そういった感情が内側から働きかけてくることで、ミアは純粋に表現することから逃げて、名家の人間として生きていくための手段を…方法を見つけようとした。

だから、ミアは"誰か"を通して"自分"を伝える。
だから、ミアは"誰か"を通して"居場所"を作る。

それも方法なんですけど、成り立つのは"ミア""誰か"の気持ちや方針が一致することが絶対的な条件になっていて、こういう点においても"侑ちゃん""同好会"の関係は全てが噛み合っているから、条件が成立して互いに"自分"を表現可能にしていたんですよね。

でも、ミアのように「誰かを利用することで間接的に自分を認めさせる」なんて精神では、"誰か"に意図が読み取られてしまいますし、そういう意図を知ったうえで一緒に表現してくれる"誰か"なんておらず、邪念が混ざり込んでいる表現なんて、結局は"自分"を伝えることも"居場所"を作ることもできずに行き止まり…。


でも…ミアちゃんはここにいるよね。
ここはミアちゃんの居場所にならない?

私、ミアちゃんの歌聴きたい。

ミア・テイラーじゃなくて、
"ミアちゃんの歌"が聴きたいな。

歌が好きなら、
その気持ちを無かったことにしないでほしい。

ここならきっと、
ミアちゃんが望むものを叶えられる。(璃奈)

歌いたい…「歌いたい」んだ。(ミア)

夢を叶えるのがスクールアイドルだよ。(璃奈)

でも…璃奈ちゃんが"手"を差し伸べてくれた。

相手の気持ちが力によって物理的に感じる場所、そして相手の気持ちに寄り添いたいと願う時に身体が動いてしまう場所って、"手"であることが多いと思います。

ミアはランジュと意見が合わずにすれ違い、苛立ちを手すりに当たるよう"手"を叩きつけて傷つけるカットを印象づけた後に、次は差し伸べられた"手"を振り払う芝居で繋ぐことにより、どこか"手"に対するマイナスなイメージを抱いてしまいますが、璃奈ちゃんが諦めずに"手"を包んでくれたり、"手"を差し伸べる描写が重なることで"プラス"な印象に変わっていく。

最終的にはどうでしょうか、ミア自身が自ら"手"を伸ばすことで"手"という部位から、彼女の表現に対する気持ちが「マイナス→プラス」に移り変わっていく様子を自然と汲み取れたと思いますし、「歌いたいんだ」と気持ちの吐き出しと連動するよう"手"が璃奈ちゃんのいる側に向かっていくシークエンスは、まさに彼女が抱える全てを"手"に託したように受け取れて最高です。

ミアのライブ演出でも"手"が非常に強調されたものになっていますが、この場面において、璃奈ちゃんが悩んでる自分に"手"を差し伸べてくれたおかげで踏み出すことができた経験があったからこそ、あのパフォーマンスに繋がっていったんだと、個人的には思います。

また「夢を叶えるのがスクールアイドル」という言葉。

表情だって出ない、部屋からもダンボールからも自分の殻からも出られなかった璃奈ちゃんが、胸に閉じ込めたままでいられなかった"スクールアイドル(=夢)"を叶えたからこそ、こうやって言えるの素敵ですよね。

ある意味では"ミア・テイラー(=周りが期待して作り上げられた誰か)"ではなく、"ミアちゃん(=自分も周りも望んでいる正真正銘の自分自身)"の歌を聴いてみたいし、表現してほしいって聞こえる言葉を掛けることができるのも、璃奈ちゃんのいいところです。

もうすぐ、ランジュは飛行機で出発してしまう。
ラブライブは"空港"から絶対に逃れられない。

冒頭では、ランジュが"同好会のアクスタ"をボードに飾っている場所を通り過ぎていましたが、日本から出発する際には同好会の中に"自分のアクスタ"を真ん中に置いたまま去るのが苦しいと言いますか、「あの輪の中で楽しく活動している自分を想像してたのなら…」とか思うと、さすがに苦しさが渋滞しちゃいました。

更に、"スクールアイドル活動をしていた自分"の痕跡である"スクールアイドルの自分のアクスタ"を置き去りにすることは、完全に活動自体を"思い出"として葬ったまま去ることになり、記憶や経験を後向きなモノとして、また改めて"自分の中に閉じ込める出来事"が積み重なるんじゃないかなあ、とも思うんですよね。

だから、彼女が飛行機に向かう足は止まらない。
誰か彼女を止めたいと願う人間がいてくれるのなら…。

物語序盤から同好会メンバーだってランジュに寄り添う気持ちは伝わりましたが、やっぱり担当回には"最も傍にいるべき人間"が道を作るわけで、ミアの担当回ではあるものの、救いたい対象であるランジュが"救ってほしいと願う対象"は"ミアと栞子"なんですよね…。

2人が眉間に皺を寄せるほど、キャラ的にはクールに役目を果たす人間というギャップとともに、揃って"同じ方向(=助けたいと願う気持ち , 一緒に表現したいと願う気持ち)"に従うよう、全力で駆け抜けていくカットには青春はもちろんのこと、彼女たちの賭ける想いが伝わってきて、軽率に涙が出そうになりました(笑)

また、前回は窓が開いていて、"風(=スクールアイドルの仲間たち)"が吹いていたのに、ランジュは風が吹き込む方には視線も向けず、反対を向いて"諦めた"ような表情を浮かべていたのが印象的でしたよね。

ただ、ミアが"空を掴む"と同時に"強風(=スクールアイドルに引き寄せる)"が発生。前回は知らないフリをしていたものの、今回は無視することが出来ないほどの強風にランジュが反応することは、ミアが無理矢理でも届けたいと願う想いが"風に乗った"と解釈できるような気がします。何か。そんな気がしたんです。

冒頭で、ランジュが「届かない」と嘆いていた"空"に伸ばしても掴むことすらしなかった"手"を覚えていたミアだからこそ、きっと「僕は届いて掴むぞ」と見せつける中で「ランジュも一緒に」と声を掛けるような対比になっていたんじゃないかなあ。素敵ですよね。

今回は「The Sky I Can't Reach」がサブタイトル。
確かに、ミアが"自分だけ(= I )"だったら、スクールアイドルであったり、"望む景色や夢(=空)"に到達することはできなかったかもしれないけど、璃奈ちゃんや周りの人間に支えられることでスタートラインを超えることができた今なら…届くかもしれない。

さて。始まります。「stars we chase」のライブ。
ミアはランジュと一緒なら、ランジュはミアと栞子と一緒なら、お互いが"I"ではなく、"We"として駆け抜ける気持ちを知れるのなら、届くはずのなかった"星や空(=望む景色や夢)"に届くかもしれない。

まずは"鳥籠"を彷徨うカットから開幕。
ランジュも栞子も同様に"鳥籠"がライブ演出に組み込まれていましたが、ランジュだけは"鳥籠"に囲まれた場所で感傷に浸っているだけなのに対して、ミアと栞子は「どこにあるのか」と辺りを見回すような"自分自身で切り開く必死さ"を汲み取れる点が特徴的でした。

栞子は自らの道を切り開く"鍵"の在り処を、あの日に夢見た時からずっと"青い羽根"を栞として挟んでいたから、あの日からずっと探し続けたから、再び夢とともに見つけることができたって構成だったと思います。

一方で、ミアの場合は"ランジュ(=青い鳥 , 自分を表現する者)"「パーフェクトに見えた」って台詞と重ねると、ずっと幼少期から自分の殻に閉じ篭っていた経験を克服するため、"青く輝く鳥籠(=自分を表現する者たちの数々)"を見定めて、間接的に自己表現を託そうとしていたものの、"青い鳥"は自分の意志を無視するよう"勝手に飛び立ってしまっていた"。

ただ、ミアはランジュをパートナー関係と称して日本に着弾した結果として「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のパフォーマンスに"表現者の空"を見てしまったよう、今回は見定めていたはずの"青い鳥"が勝手に飛び立っていった先に"無数の白い鳥(=虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 , 自分の存在を伝えるよう飛び回る集団)"の景色を見てしまった構成が最高です。

きっと「私もこの"空"に届きたい」と強く想った。

だからこそ、昔から胸の中にはあったものの閉じ込めたままにしていた"鍵(=大好きだった歌うことで自己表現をする)"が再び現れ、真っ白な虚無で塞ぎ込んだ部屋の扉を開けることができ、その先に"自分が望んだ形で輝いている自分たち"が待っているの天才か。

ここで"手"を印象づける振り付けくるの最強。

最初は自分を傷つけて相手を振り払うための"手"だったはずなのに、璃奈ちゃんが自分を救い出そうと差し伸べてくれる"手"を見せてくれた。その経験とともに自分で掴み取ろうとする"手"を知り、今度は自分が"誰か(=ランジュ)"を救おうとする"手"として、振り付けに混ぜ込んでくるのが、まさに物語を経た象徴として受け取れるものとなっていた気がします。

この振り付けの時の歌詞和訳は「様々な色彩を放つあの星が"僕ら"を照らしてる」なので、ミアが"自分"を照らしてくれる星を見つけただけでなく、スクールアイドルという様々な色彩を放つ星が"僕ら(=ランジュも含めた自分たち)"を照らしてくれるから一緒に来て大丈夫と誘っている具体的な情景としても、"手"を差し伸べる振り付けがマッチしていると思いましたね。

最後は、現在の進化した"黒衣装のミア"が満点の星空に想いを浴びるよう拡散することで、歌うことにトラウマを抱えていた幼少期の"白衣装のミア"にも輝きが舞い降り、あの時の自分すら歩き出す"鍵"が現れる。

悩み続けている白衣装のミアに対して"黒衣装のミアの手"だけが映り、昔の自分に対しても"背中を押す"ことで踏み出した先には"夢を掴もうとしている現在のミア"が立っているのは何かこう、「昔の自分を迎えに来たよ」みたいなドラマを思い浮かべてしまいますね。

踏み出した先で待っていた黒衣装のミアが、両手を差し伸べるだけでなく、"昔の自分"を胸の中に取り込んだ直後に、今度は自分の想いを届けるよう"再び両手を伸ばす"振り付けには、「昔の自分ごと連れて行って一緒に表現する」といった意志すら感じるライブでした。

ついに「君はどうする」と、ライブを終えた直後にも直接話しかけると同時に"手"を伸ばすのは、完全に話数におけるテーマとして成立している予感がしますね。

位置関係としても、前述のライブパートで右側に立つミアが"左側の誰か"に向かって、手を差し伸べるような振り付けが含まれていたことに対して、このカットは答え合わせのよう右側にミア、"左側にランジュ"がいることで「さっきのライブパートに存在した"左側の人間はランジュ"だった」と思える構成に仕上げてくる締め括りの繊細さは、アニガサキの強みを感じます。

無理よ…!! 無理なのよ…。
私は…誰とも一緒にいられないの。

昔からそうなの。
仲良くなりたいと思うのに、
どうしても上手くいかない。 

初めは良くても、
段々と遠巻きになって、離れていった。

だって…わからないんだもの。
何が悪いのか、何で避けられるのか。

どうやっても人の気持ちがわからない。
だったら…もう一人でいようって。


ああ…ランジュがついに本音を吐き出しました。

やっぱりそうだったんですよね。悪気があるような態度を取っている雰囲気は全くなくて、どこか自分を含めた周囲との関わり方に"諦めた"様子を浮かべていることが多かった理由として、1話で"孤高の存在"を象徴していたことに繋がってくる回収は半端ないです。

彼女の1話のライブで"水に満たされた鳥籠"を退屈そうと言いますか。自分の認識とは異なる人間との関わり方をしている周囲は窮屈そうなのに楽しく過ごしているのは何故なのだろうかってことを知るために"自分も水に満たされた鳥籠"の中に飛び込むも、自分には周囲の気持ちが理解できないため、"水(=自分には理解の及ばない関係)"を一気に排出し、"空虚な鳥籠(=自分のみでパフォーマンスするしかない思考)"に自身が決意することで居座り続けるって意味だったのかも。

最終的には"水に満たされたアクアリウム"は文字通り当たり前ですが、自分は"水(=自分には理解の及ばない関係や感情)"の中で過ごせないけど、"水の中にいる存在を基盤に頂点に立つことはできる(=相手の気持ちは理解できなくても認めさせることはできる)"的な意図が演出に組み込まれていたのかもしれません。

過去に囚われたままじゃ、
いま目の前にいる人の気持ちを
踏み躙ることになるんだぞ。

ランジュ、僕と君は似ているよ。
ずっと過去に囚われ、夢に手を伸ばさずに来た。

でもここは、今までの場所とは違う。

はあ…ミアが言えるのはこの話数があったから。

相手の気持ちがわからないのは当たり前なところもありますが、ランジュだけでなく、ミアも栞子も"決めつけてしまう"という点で「相手の気持ちがわからない」部分は共通していますし、夢に手を伸ばすことをしなかったという点においても、ある意味での"鳥籠という名の過去"に囚われていたところが似ていますよね。

ただ、ミアは"今までと違う"ことを知れた。

栞子が「適正がない」と決めつけて夢に手を伸ばせないと思い込んでいたのは"違う"と知れたよう、ミアが自身を表現せず「求められたものを評価してもらう」と自分を抑え込むことが"違う"と知れたよう、ランジュだって「誰とも一緒にいられない」なんて決めつけてしまった過去を"違う"と言える場所があるんです。

その場所は「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」。

前回の侑ちゃんが決意表明とともに"ハイライトが回転する"カットがありましたが、今回はランジュの内面に革命が訪れる瞬間に"ハイライトが回転する"なんて前向きな共通点が見つかったのも嬉しいところだね。

ライバルでも…"友達"になれる?(ランジュ)

今更…。(ミア)

同好会が最初から表現し続けた「ライバルで仲間」「仲間でライバル」を体現するよう、話数の最初から強調し続けた"手"を取り合うことで、虹ヶ咲学園スクールアイドルという存在に"新しい風(=新しいスクールアイドルの仲間)"が吹き込む圧巻の構成でした。

この瞬間、最後に手を取ったのがランジュであるという点から、栞子とミアだけが"鍵"を持って自身の殻を破った意味として"2人がランジュすら連れ出す鍵を手に入れた"ことに繋がり、まさに"鳥籠"から物理的にも精神的にも飛び出すことができた物語になったね。

ようこそ。「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」へ。

ずっとずっと3人が正式に加入する日を自分も夢見ていましたが、1話から地道に重ね続けてきた伏線や感情たちを回収することにより、想像以上に"トキメキ"を浴びるものとして完成されたような気がしています。

まだまだ始まったばかりの"12人と1人"の物語も残すところ短くなってきたものの、完全に全員が揃った状態のパフォーマンスは観れていないので、いつか本当の最終話で望んだ景色を観れたら、悔いはありません。

個人的に好きなところ

机にベターって倒れる侑ちゃんかわいい。
いつも表情豊かに楽しませてくれるの最高か。

栞子に褒められて照れてるのかわいい。
でもちょっと寂しそう。それもかわいい。

髪ボサボサになるまで頑張ったんだね(笑)
良い笑顔です。めちゃくちゃ喧嘩してたけど。

ハンバーガーしか食べないタイプの人間か。
ハンバーガーしか食べないタイプの人間って何だ。

ぜひ。家でもお願いします。
ずっと手探りするので、何か置いといてください。

カロリーメイトを頬張る侑ちゃんかわいい。
普段からめっちゃ食べてそう。ご飯も食べようね。

表情が…良い。天元突破レベルで良い。
多元宇宙迷宮から出られないくらい可愛い。優勝。

果林さん。4話と7話はかっこよかったのに。
あとは基本ポンコツ発揮する要員になってて笑う。

ガチで何が起きてるかわからない様子なの好き。
彼女は朝香果林なのか。何も知らない大泉洋なのか。

ずっと夢中で楽曲制作してたから寝不足。
ぐっすりと満足した表情で寝てるオチまで完璧。

今回のダンスパート絵コンテ・演出は、1期7話の彼方ちゃん回と同様に"中山直哉さん"ということで、画面比を変更したライブに対する特別感であったり、範囲が限られることで"特定の部位"に勝手に注目してしまう作りが良かったです。ほとんどCGパートやイメージカットを使用せず、キャラクターの内面に没入できる構成や芝居が印象的で、やっぱり天才だと思います。

絵コンテ・演出は"青柳隆平さんと尾上晧紀さん"。
テーマに置いてある"手"が非常に話数内容と重なっていましたし、画面の"寄り , 引き"を展開と噛み合わせた構成であったり、キャラクターの心情が確実に伝わってくるフィルムは観やすかったです。個人的には"5話(戸澤俊太郎さん)"に並ぶくらい好みなフィルムになっていました。ライブ含めた話数の一貫性も好き。

脚本は1期(7話,11話)の平林佐和子さん。
彼方ちゃん回と幼馴染回を担当してましたが、今回もキャラクター単独の成長というより、"誰か"に対する感情が衝突する鋭さと深みが出る話数で抜擢されているような気がします。なので、新メンバー3人が想いをそれぞれ隠していたり、衝突させたり、そういったモノが溢れる今回の登板には納得の神様を崇めています。

総括

リアタイ視聴してる時は「ミア担当回っぽい物語が淡々と進んでいる」程度に思っていたのですが、落ち着いた状態で再び観てみると「2期の中で最も良い」と言いますか、"2期を放送する意味"を最も感じられる話数になっていたんだなって認識することができました。

個人的に"好みなフィルム"だったんですよね。
キャラクターの感情や台詞だけを追いかけると、駆け足気味に感じる部分はありましたが、あくまでコンテンツである前に"アニメーション作品"ですし、こうやって余白を生んで"フィルムの中に託された感情"を読み取っていく楽しさ、そして"託された感情"が伝わりやすい話数だったこと込みで、今回は素敵なお話でした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆さんが"9話"に対して、自分が目にする範囲では絶賛の声が多かったんですけど、どんな感想を持っているのか気になる部分があったので、何かこう意見交換でもすることができたら嬉しいなって思います。

拡散よろしくお願いします。noteの"♡"も励む。
今回も案の定、読んでくださった皆さんには「長すぎるだろ」と思われていそうですが、記事を沢山の人に読んでもらえるほど嬉しいことはないので、周りのアニガサキを視聴している方に広めてくれたら、泣いて、喚き散らかして喜びます。心がスタンディングオベーション。

次回は10話の記事でお会いしましょう🌈🌈
他のアニメ記事も準備するから、よろしくちゃん。

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