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「冬アニメ OPアニメーション3選」を掘り下げる。

こんにちは、初めまして。蕩と申します。
普段はTwitterでアニメ感想を呟いているのですが「文字数に縛られたくない日もある!140字の壁を天元突破したい!」という沸々とした感情を爆発させるために重い腰を上げてブログという形にしようと思ったこの頃、これが初投稿です。

今回は2021年冬アニメの中で個人的に気になるOPアニメーションを3つ選んで軽く掘り下げてみたので、気分のままに最後まで読んで頂けると幸いです。いや、めちゃくちゃ喜びます。握手します。


①『ホリミヤ』

絵コンテ演出:石浜真史
作画監督:飯塚晴子

待ってました石浜真史のOP。
1分半に詰め込まれた四角形モチーフの演出が特徴的であり、一度も同フレーム内に2人以上が収まることはないのが印象深い。

一貫してアニメーションの中に個々の仕切りを作ることで、青春を駆け抜ける彼らの"プライベートエリア"を連想させられる。「踏み込んでほしくないのに踏み込んでほしい」といった思春期らしい我儘な気持ちと、そこに勝手な解釈を発展させるなら意中の相手(友達を含む)に"フレーム"を乗り越えてほしいと願っているように感じる描写も多く見受けられる。


次にこのカット。視聴している方は感情の矢印を把握していると思うが、堀と宮村はお互いのことだけを見つめている一方で、吉川が何も見つめていない(=好きな人がいない)状態から透の方を向くのは恋愛感情(現段階では曖昧)が芽生えることを示唆しているのではないだろうか。

加えて、移動するクレジットが真ん中で停止すると同時に視線が合うことで個々を認識。音ハメも合わさることで物語が始まる予感をキャッチできる秀逸な演出。


最後はこのカットに注目。『ホリミヤ』と言えばの売り文句である超微炭酸を取り入れ、背景がシュワシュワと弾け飛ぶような作り。そして閉じ込められた宮村を取り囲む毒々しい液体は行き場のない感情を表現しているのではないだろうか、本編でカラフルに塗られたシルエットが登場人物から分離する描写もその一つ。

宮村も毒々しい液体も四角形から零れ落ちないのは、やはり"プライベートエリア"や漏れ出すことができないリアルな気持ちのイメージを受ける。堀が連れ出してくれると嬉しいが、現段階では堀の方が依存している描写が重なっているのでこれは妄想の延長線くらいに思ってほしい。


一貫してクレジットが記号的に移動するようなお洒落でユニークな面も石浜真史の通常運転。全体的に影が目立つ暗いトーンのフィルムが"どこか息の詰まる青春"を強調させて『ホリミヤ』という作品への興味を掴むには文句なしの素晴らしさ。原作勢としては待望のアニメ化。喉元を過ぎる超微炭酸。もっと吉川を活躍させてくれ。


②『進撃の巨人 The Final Season』

絵コンテ演出:林祐一郎

煙が舞い上がるカットを繰り返すのが非常に印象的で「過ちは繰り返す」といった意図を感じる。モノクロの世界をカラフルに彩るのは煙だけであり、後は人間も建物も灰色という皮肉。戦争の中では絶望のみが有機物として存在し、それ以外は全て無機物に帰すような恐怖を煽る作り。

次に兵士たちの機械的な行進。
戦争の中では人間も無機物として平伏し、軍服を身に纏ったクローンが一斉に歩みを進めるような印象。まるで個性(顔,歩き方,感情)を放棄したイメージすら抱く画は気持ちが悪い。


そしてここだ。
何もかも無機物的に砕け散る呆気なさ。

巨人爆弾と飛行船だけではなく、丁寧に見ると「立体機動装置をつけたパラディ島の兵士」「マーレの軍服を着た兵士」の造形が描かれているのは"人種による命の差"など存在せず、戦争の前では尚のこと道具として平等である様を強調することで残酷さを意識させている。


最後に降り注ぐ雨粒は原爆投下による"黒い雨"の比喩に見える。作品の代名詞である巨人も、技術の発展により生み出した兵器の到達点も置き換えれば"原子爆弾"と言うことができてしまう。そして一歩も引くことができない状況からこれらを惜しみなく使用し、自身の脅威をアピールした結果の末に荒れ果てた光景と降り注ぐ雨粒に言葉を失う。

主要人物が全くと言っていいほど登場しない斬新さ、そして世界に対し兵器が猛威を振るうことで掴み取るための掌から全てが零れることを示し続ける。加えて神聖かまってちゃんが送る「僕の戦争」の神秘的かつ脳裏に密着するメロディーが合わさることで『進撃の巨人』のラストに相応しい形になった逸品。

彼らが主張した自由とは一体何だったのか、戦争に意味があったのか。私は最後まで見届けたいと思う。


③『呪術廻戦』

絵コンテ演出:山下清悟 
作画監督:平松禎史

"手"で撮影したようなカメラの揺れ具合に違和感。安定しない視覚情報を与えて不安を抱かせることで、本能的な気持ち悪さを誘うのが特徴的なフィルムから始まる。このハンディ感がたまらなく好き、私の趣味を撃ち抜かれて心を掴まれた。

そして黒い衣装に包まれた呪術師の面々が歩き出しているシーンを映した後に、信号の色が"青→黄"に切り替わる演出。この先からは安全が担保されないと警告を示しているように受け取れる。

次に真人が軽い気持ちで液体(=人間)に息を吹き込むことでシャボン玉(=改造人間)にする比喩表現が秀逸。歪んだ魂がいつ壊れてしまうかわからない儚さを植え付けられるカット。Twitterで考察してる方もちらほら目にしたが、シャボン玉がクラゲ(=順平)を連想させる描写は制作陣の心が鬼なのだろう。いいぞ、もっとやってほしい。この手の大好物は摂取したい。

さてさて大好物の話は置いといて、この一連の流れの間に黄色信号は"赤信号"に切り替わっていることに間違いない。進んではいけないのだ。だが彼らは警告すら振り切って激しい戦闘を繰り広げていることから、明るくない未来が待つことを推測させる信号機を利用した演出が良い。


さらに触れるなら、やはりこの一枚。"影"を利用することでメカ丸の心情や結末を上手く表現している。彼は先天的に莫大なハンデを負う代わりに強力な呪力を得られる「天与呪縛」の運命にあり、当然のように周囲に対して劣等感を抱いている。その劣等感を影によって意識させる一方で、左肩に"光"が当たっているのは「生身で触れ合いたい」といった秘かな願いを代弁しているのかもしれない...と思いたい。

しかし、前半クールのOPで虎杖と順平が笑顔で向かい合う一枚を挟んだ鬼畜っぷりを考慮すると淡い期待に終わると思った方がマシ。原作から展開を知っているため深く言及はしないが、非常に魅力的なキャラであることは頭に入れておいてほしい。



全体的に早朝のような青夕暮れのオレンジが目立ち、作品のイメージに近い"夜の暗闇"らしい描写が少ない違和感も見過ごせない。そこで一旦考えてみると、「深夜より、早朝の爽やかさや夕日の美しさを目の前に自身の無力を自覚したり、虚無感に襲われる機会が多いのかもしれない」と思ってしまった。そんな気がしてきた。

前クールのクオリティに対する期待を超え『呪術廻戦』の世界に一層引き込む作りになっている仕上がりとなった一品。


総括

皆さんはどの作品のOPがお気に入りですか?

『ゆるキャン△』『ワンダーエッグ・プライオリティ』も掘り下げたかったのですが、今回は3つを厳選して拙いながらも触れてみました。ブログ初投稿なので、皆さんの意見や感想を頂けたら嬉しいです。辛口でも喜びます。少しはお手柔らかにお願いします、蕩けてしまうので。

では、また次回会いましょう!

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