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『犬王』を一緒に見届けようぜ。

こんにちは。蕩です。「狂騒」を見届けてきたぜ。

絶賛公開中の『犬王』というアニメ映画を観ました。
湯浅監督作品が好きなので、この作品も好きであろう前提で劇場に足を踏み入れたところ、何かもう滅茶苦茶に暴れ回っている"2人"に心をグッと掴まれました。

音楽が大好きな人間としては、音楽が光り輝くアニメ作品が大好きな人間としては、これ以上ないくらい「熱狂に包まれたミュージカル作品」だったと思います。

なので、今回はその『犬王』が爆発を巻き起こしてしまった魅力について"ネタバレなし"で語っていこうと思っているので、最後まで読んで頂けたら幸いです。

「設定と物語の魅力」

室町の京の都、猿楽の一座に生まれた異形の子、犬王。周囲に疎まれ、その顔は瓢箪の面で隠された。

ある日犬王は、平家の呪いで盲目になった
琵琶法師の少年・友魚と出会う。

名よりも先に、歌と舞を交わす二人。 
友魚は琵琶の弦を弾き、犬王は足を踏み鳴らす。

一瞬にして拡がる、二人だけの呼吸、二人だけの世界。

「ここから始まるんだ俺たちは!」

壮絶な運命すら楽しみ、
力強い舞で自らの人生を切り拓く犬王。

呪いの真相を求め、
琵琶を掻き鳴らし異界と共振する友魚。

乱世を生き抜くためのバディとなった二人は、
お互いの才能を開花させ、唯一無二のエンターテイナーとして人々を熱狂させていく。

頂点を極めた二人を待ち受けるものとは――?

歴史に隠された実在の能楽師=ポップスター・
犬王と友魚から生まれた、時を超えた友情の物語。
©2021 “INU-OH” Film Partners

公式のあらすじって地味に読む気になりませんよね。

自分の言葉で端的に説明するなら、天罰によって盲目になってしまった「友魚」と、巡り巡って化物のような姿で生まれてきた「犬王」が出会って意気投合し、お互いの魅力を常に開花させ合うことで"型破りなパフォーマンス"とともに大衆を熱狂の渦に巻き込んでいく、縦横無尽で滅茶苦茶なミュージカル調の作品です。

この説明だけを聞くと、「盲目なんて可哀想」「化物の姿を描くなんて酷い」なんて生暖かい同情に包まれてしまったり、ご時世的に反感を買いそうですが……。

この2人。自身の特徴に"全く悲観的じゃない"!!!

あくまで"盲目""化物の姿"は2人を引き寄せるだけの特徴になっています。むしろ、知識云々以前に直感的な演奏センスを求められる琵琶を掻き鳴らすほどに長けているのは"盲目"であったから。大衆を熱狂に包むくらい型破りな舞を踊ることができたのは"人間離れした異形の身体"があったから、とポジティブの塊。

歴史に対する造詣が必要なのかって心配をする方もいると思います。確かに、造詣がある事に越したことはないのかもしれませんが、正直なところ「全く何も知らない状態で楽しめた」と、筆者は視聴後のインタビューで語っていたので、そういう不安は全く必要ありません。

矢継ぎ早に2人が芸能を通して"意気投合する様"
瞬く間に"大衆が魅了されていく様"。だけで十分。

簡単に言ってしまうなら、私たちは言語を理解できなくても繋がれる手段を持っていますし、その手段として最も代表的な"芸能(=音楽 , ミュージカル)"を余すことなく発揮している作品なので、映像から滲み出て、観客である私たちの身体にまで流れ込んでくる"熱量"を体感することが出来た瞬間。きっとそれが至高です。

「現代的なパフォーマンス」

何よりも特徴的なのは"現代的パフォーマンス"
イメージ的には、時代背景とともに昔の芸能を演出したものであり、琵琶等を使用して奏でているため、やっぱり「趣深い演舞をしているのだろうか」なんてことを最初は連想すると思うんですよね。自分はそうでした。

でも…全く違うんです。"エレキギター"なんです。
もちろん映像として弾いているのは"琵琶"で間違いないんですけど、耳に入ってくる音は紛れもなく"エレキギター"であるという違和感がとても心地良い。

というか、基本的には"バンドサウンド"です。
重厚感あるサウンドとももに、彼らが想う"自身の存在を証明するための音"を叫ぶようシャウトで伝えてくる時もありますし、まさに聴覚的には「和が掻き鳴らすロックンロール」と呼んで、差し障りないと思います。

一方で、「犬王」が披露する"舞"に関してもイメージの中にある堅い雰囲気の"趣深さ"はなく、宣伝文句として掲げられた「ポップ・スター」という点から「マイケル・ジャクソン」を彷彿とさせるダンスが紛れ込んでいるなど、とても親近感のあるミュージカルです。

観客も感化されて"ブレイクダンス"を踊り始める瞬間もあるのですが、湯浅監督の「いまできることは昔でも大概できる」といった発言と重ねるよう、まさに現代においてポピュラーである"芸能"を、まるで作中の室町時代にも「自然と存在していたように」描いていく。

どうですか。観客たち。…「フェス」じゃない??

ライブハウスや音楽フェスに出現するタイプの人間である自分的には「これは現代フェス」と迷いもなく思ってしまったくらい「フェス」の熱量を誇張なく捉えている描写が多々あり、観客たちが盛り上がる姿を‬"カメラが後ろに下がりつつ撮る"ことで、演舞会場の"密度や奥行き"を感じられて、非常に臨場感を味わえます。

また、観客が演者に対してアクションを起こさないようステージ間際に"セキュリティ‬"という壁の役割を果たす人間が現代にはいるんですけど…600年前である作品の"室町時代"にも存在しちゃってるの面白い(笑)

中には「史実のような趣深い芸能を届けるべき」と思う方もいると思いますし、それを否定する気は毛頭ありませんが、この作品は「史実を知る」ために作られたというよりは「2人のエンターテイナーが影響を及ぼした熱量を体感する」に近いと、個人的には考えています。

史実通りの趣深さを届けても、現代を生きる人間の多数には「美しい」以外に「静寂で退屈」と感じてしまう可能性があります。ただ、馴染みある"ロック""ミュージカル"を使用することで、私たちは文字通りの熱量を浴びれますし、それに対して"作中の室町時代の人間"も歓声を上げている瞬間を目の当たりにすることで高い没入感を得るといった"演出の妙"が刺さる。

音楽性も、観客の盛り上がり方も、あまりに"現代"

静かに鑑賞しないといけない映画館であることを恨んでしまうくらい、身体と喉が勝手に動いてしまうコールアンドレスポンスたちの波たちとともに鳴り響く厚いサウンドを"劇場の音響"で楽しまないのは勿体ない!!

「縦横無尽なカメラと時代を繋ぐ演出」

カメラワークに関しては、画像の通りです。
上側は2人がステージに向かっていくまでの道のりに存在する人間たちを"立体感"溢れるよう映すカメラワークによって、始まるであろう芸能に対する"緊張感"を手にする感覚に陥るのではないでしょうか。

下側は「犬王」が縦横無尽に駆け抜けていく様を一緒に体験できるよう「犬王視点」のカメラが動くなんて贅沢な魅せ方が濃縮されており、まさに熱を帯びた"アニメーション"を肌で直接堪能できる"快感"は最高。

画像は、今敏監督の『千年女優』という作品です。
派手な赤の着物に包まれた女性が人力車に乗って楽しんでいるのですが、運転手が転んだことによって、「控えめな服装で自身が自転車を漕ぎ坂を下る」といった「現在→過去」の矢印で"シームレスに時代を繋ぐ"感覚を覚えるマッチカット的な技法があります。

今作の『犬王』も冒頭において、交差点を大量の車が行き来する「現代」から始まり、"足(=確かに此処にいた証明)"とともに上記のような演出で段々と「室町時代(=過去)」まで遡っていくのですが、こういったシームレスに時代や状況を繋ぐことによっても、監督が仰った「いまできることは昔でも大概できる」といった発言ならぬ、「いま存在するものは昔でも大概存在している」ような受け取り方をできる構成になっています。

前述した通り、彼らが織り成すパフォーマンスは全編を通して「現代」であるものの、作中は「過去」であるように。彼らが生きていたのは「過去」であるものの、語り継ぎたくなるほどの演舞を映像作品として熱量を帯びたのは「現代」であるように、「過去↔現在」を巧みに自然と繋ぐ演出も必見なのではないでしょうか。

総評

最高に面白い…盛んな熱量に満ち溢れた作品でした。
確かに"唯一無二"の作品ではありますが、劇場に足を運んでこそ"浴びる臨場感"が絶対的に孕んだ作品であることも間違いないので、観るかどうか迷っている方は躊躇いなく「足を運ぶ」ことをおすすめします🪕🪕

単純に音楽が素晴らしいですし、湯浅作品全開のパースを歪めるほどに"躍動感"のある作画も全編を通して輝いているなど、大画面のスクリーンと大迫力の音響で堪能する"視覚的快感と聴覚的快感"はたまりません。

600年の時を超えて刻む「2人の存在」を主軸に。
作中の「室町時代の人間(=過去)」「鑑賞している人間(=現在)」が交わることで、まさに謳い文句として掲げられた、前代未聞の「狂騒」と「熱狂」を狂ったように体感する方が増えることを願っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
この記事を通して「観よう」と思った貴方が1人でも生まれたのなら幸せです。なので、鑑賞した方でもしていない方でも、記事の感想をリプやコメント欄で伝えてくださると、自分も心の中で熱狂に包まれます🔥

ぜひ拡散もお願いします。noteの"♡"も。
ではでは、また次の記事でお会いしましょう🐕

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