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自信はなくても、本場じゃなくても、自分のためにつくり続ける。何かいいこと起きるまで/tofubeatsさん

「これが好きなのは、この世で自分しかいないんじゃないか」と思うことは、いまとなってはすっかり少なくなったように思う。

それは、どんな人ともつながれるように世の中が発展したからかもしれないし、自分が大人になったからかもしれないが、本当のところはよくわからない。

好きなものの話ができる相手を探し求めていた中学生も、いつしか大人になった。その中でいろいろな知恵や力をつけ、しっかり向き合っていけることは増えた。その一方、先へ進めば進むほど、到底力が及ばないような、大きな壁に向き合わされることも増えた。

自分たちの足元が崩れていくような時代の中で、自分を失わずに生きていくにはどうすればいいのか。

自分自身と向き合うことはひとつのヒントになる。自分のアイデンティティ、そしてアイデンティティを形づくるものは、コンプレックスの根源であり、唯一無二の武器でもある。自分だけが置かれた状況も、自分だけが持ち得ない何かも、見方を変えれば自分だけが切ることのできるカードである。

自分と、社会と、誠実に向き合って生きる先には何があるのか。たとえひとり進む道であったとしても、その先に何かを見つけることはできるのか。

自分と向き合い、世の中と向き合い、それでも楽観的に。音楽制作を通して、つくって生きていくことを続けるtofubeatsさんにお話を伺った。

(聞き手/さのかずや)

tofubeats (とーふびーつ)
神戸出身の音楽プロデューサー / DJ。学生時代から様々なアーティストのプロデュースや楽曲提供、楽曲のリミックスを行う。2013年4月に「水星 feat.オノマトペ大臣」を収録した自主制作アルバム「lost decade」を発売。同年11月には森高千里をゲストボーカルに迎えた「Don't Stop The Music」でメジャーデビュー。2022年5月には約4年ぶりとなるニューアルバム「REFLECTION」と、初の書籍「トーフビーツの難聴日記」を同時に発表した。



インターネットとリアルで、音源を配って広がった関わり

ー神戸出身のtofubeatsさん。中学生のときから音楽活動を開始して、その後2013年に神戸在住のままメジャーデビューされています。音楽活動に入っていくきっかけは何だったのでしょうか?

tofubeats:最初は中1のときに、ベースを買ってもらったんですけど、挫折してるんですよ。ただ単にベースへの漠然とした憧れで手に取ってしまって。買ってもらって1週間ぐらいで速攻でやらなくなっちゃったんですよね。ただこのときは、別に人とバンドを組む予定とかもなくて。よくよく考えたら、それがヤバいですけど(笑)。

からのヒップホップにハマっていくんですよ。ヒップホップについてずっと調べていたら、最終的に「機械で音楽がつくれる」ってことがわかって。雑誌とかでいろいろ調べて、最終的にサンプラーという機材(一台で音を打ち込んで録音・再生できる機材)にぶつかるんですけど。

ベースはやっぱその場で弾けないといけないし、バンドをやるならメンバーが必要だけど、サンプラーなら1台でデモ音源がつくれるってことがわかって。自分的には音楽制作のハードルを下げていって、「これならできるかも」っていうのがサンプラーだったんですよね。しかも値段的にもベースぐらいの値段のものがあって、「これなら親に頼めるかも」みたいな感じでお願いしたのが最初です。

ー当時は2000年代前半ですよね。ヒップホップに傾倒していったのは、周りの友達の影響があったりしたんですか?

tofubeats:きっかけは当時、テレビにKICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEとかがめっちゃ出てて。そういう売れてるものは普通に聴いてて、その話を同級生としたときに、もっと深い「日本語ラップ」ってのがあるよ、と教えてもらって。そいつはお兄ちゃんがいて、日本語ラップをいっぱい聴いてたんですよ。そういうのを教わって急に聴くようになって。

それでヒップホップをもっと聞きたいと思って、ネットで調べるじゃないですか。そうすると、自分で曲をつくってアップしてるアマチュアの掲示板にたどり着くんですよ。そこでみんなが曲をつくって交流してるってことがわかって、「そこに入りたいな」と思ったんです。

ーそこからtofubeatsとして活動を始めて、当時はヒップホップのトラック制作、という感じでやってたんでしょうか。

tofubeats:そうですね、つくったトラックをその掲示板にいっぱいアップしていました。誰でもいいから曲にリリックをのせてください、というのが最初で。いまでも一緒にやってるような人たちもその掲示板に出入りしてて、ふわっとそういうところで、名前だけはお互い知ってる、みたいな感じだったんです。

ーインターネットがきっかけで、オフ会とか、リアルでの音楽イベントにつながっていって、音楽活動にのめりこんでいったと。

tofubeats:そうですね。でもそれとほぼ同時期に、地元のヒップホップの人にも、直接トラック渡して聴いてもらったりするようになってました。それはもう単純に、レコード屋とか服屋で「つくってるんです」って話になって、「じゃあデモ持ってきてよ」みたいな流れで。

ー田舎出身なのであまりそういう経験がないんですが、普通に中学生として、あるいは音楽好きとして、当時のレコード屋とか服屋では、そういう出会いが発生するものだったんですか?

tofubeats:そうですね。まあ普通にレコード屋とか行って、中高生とかで曲つくってるってなったら、「お、どんなんなんや、聴かしてみ」みたいになって。そういう「若さ故のメリット」みたいなことを活かして、聴いてもらっていたのはありましたね。

ー自分で「つくってるんで聴いてください」みたいなのって、言える人と言えない人がいると思うんですが、あんまり抵抗なくいけるタイプだったんですか?

tofubeats:そうですね、まあやってるのは本当なんで。私つくってます、みたいな話をして。「聴かせてみろ」って言われたら、こっちも別に売れようと思ってやってるわけでもないんで(笑)。単純に聴いてくれるんだったら、みたいな感じで渡してましたね。

ーそういうところから、その後メジャーデビューなども含めて現在まで長く関わりを持つことになる、インターネットレーベルのMaltine Records(マルチネレコーズ)とも出会ったんでしょうか。

tofubeats:最初は直接ではなかったんですけど、インターネットで音楽をつくって発表する界隈って、当時そんなに広くなかったんで。自分がデモをアップしてるうちに、フリーでダウンロードできる音源を紹介してるブログに取り上げられたりするわけですよ。

で、当時僕がつくったリミックスを、Maltine Recordsからリリースしてるimdkm(イミヂクモ)さんのブログで紹介してもらって。トラックバックとかされてて、みたいな。死語(笑)。

ーはいはい、トラックバック(笑)。

※2000年代中盤に流行したブログには、記事が引用されたことを知らせる「トラックバック」という機能がついていた。引用リツイートとかに近い概念。

tofubeats:それでブログを見に行ったら、「Maltine Recordsから曲を出してる」ってあって、それがめっちゃかっこよくて。それでMaltineを知って、双方向のやり取りが始まる、みたいな感じだったんですよね。

ちょうどその頃、ヒップホップってけっこう、先輩・後輩の上下関係があったりとかして。あとヒップホップの不良カルチャーがそもそも、自分のキャラからするとどう考えても(笑)、肌に合わなかったんで。

ヒップホップ以外の音楽にも興味が出てきた時期に、Maltine Recordsみたいなクラブミュージックとかを出してるところと出会って、「面白いな」と思ったんですよ。興味もあったから、交流も始まったみたいな感じですね。1年後ぐらいには別名義ですけど、初めて僕も音源を出すことになって。そこからはいまに至るって感じです。


「本場」じゃない人がやる意味を、肯定していくために

ー学生時代から、メジャーデビューして、アルバムも神戸で3作リリースする中で、東京との距離感を図りながら活動してたようにも見えていました。先日アルバム『REFLECTION』に合わせて出版された『トーフビーツの難聴日記』(以下『日記』)にも書かれていたように、東京に転居してもう4年ほど経っています。神戸在住時代のことはいま振り返って、ご自身ではどう捉えていますか。

tofubeats:いや、どうっすかね……。やっぱり自分の理解者だったり、話せる人を探すのがけっこう大変だった気はしてて。東京だったら楽だったのかというと、それはそれで当時の自分が抱いていた幻想やったなって気もするんですけど。でも、知り合うべき人と知り合うために頑張ってた、みたいな感じはしますね。神戸にいたときは。

最初から「プロになりたい」って思ってたわけじゃないんですよ。なんで、その「知り合うべき人」というのは、最初は単に「話ができる人」みたいな感じで。「話ができる人」と会って、なんかやろうと思ったら、次は「イベントに出してくれる人」だなとか。そういうのがどんどん増えていくわけですよ。そんな打算的にやってたわけではないんですけど。

ー「話ができる人」や「イベントに出してくれる人」が増えてきて、インターネットとリアルの両面で活動が加速していったのではと思います。その中で、自分の地元である神戸をモチーフにした曲やアートワーク、MVなどをつくって長く使っていたのは、どういう気持ちからだったんでしょうか。

tofubeats:あー。これは東京出てきてからも思いますけど、地方にいるときは「頭数に自分が入ってるんだ」っていう意識がすごい強くなるなと思ってて。まあ良くも悪くもなんですけど。

東京にいると、「東京のメンバーでしょ、あなたは」とはあんまり言われないじゃないですか。神戸にいると、大阪行っても京都行っても「神戸から来た人たち」だし。東京に行ったら、僕が東京の人にとって神戸との接点、"神戸"ってものと接する機会になるわけですよ。神戸に来てくれるときに「おいしいご飯屋さん知ってる?」とかって言われたりすると、「神戸のことを知ってなきゃいけないな」とも思うし。

そういうふうに思わされることって、地方にいた人のほうが比較的多いんじゃないかと思うんですよ。そうなることで、自分は"神戸"ってところの頭数に入ってるんだ、と意識させられますよね。ってなるとやっぱ、自分がやる一挙手一投足が土地に与える影響について、意識せざるを得なくなるし、自分の場合はそれを「いいほうに使っていきたいな」というのもあって。

好きだからっていうのはもちろんあるんですけど、もっとなんか「好きになりたいな」だったり、 自分の持ってるこの"神戸"ってものをいいふうに見せていきたいな、というのがあって。そういうふうなことをよく言っていたし、意識もしていた。そういう感じですかね。

ートーフさんなりに振り返って、神戸を拠点に活動を続ける中で、考え方が変わっていった部分もあったんでしょうか?

tofubeats:どうっすかね。そもそも神戸の中で言っても、神戸の海側、ランドマークっぽいのをモチーフにしてましたけど、地元は山のほうのニュータウンなんですよね。なので自分の音楽に対するスタンス自体が、神戸の中心部に対するコンプレックスから最初は始まってて。

東京に行くようになったら、東京と神戸の違いも感じるようになり。時期によってレイヤーは変わってるんですけど、基本的にはやっぱり、「中央」みたいなところがあることと、自分はそうじゃなかったことを意識していました。まあクラブミュージックもそうじゃないですか。本来アメリカとか、ヨーロッパのものなので。

それを自分なりに咀嚼して制作するときに、どういう意味を持たせられるかってことを考えてましたね。「本場じゃない人がそれをやることの意味ってなんなんだ」みたいな。で、それを肯定できなかったら、そうじゃない人って、もうなんもできることなくなっちゃうじゃないですか。

本場じゃないから、「そばを打つなら松本に行かなきゃいけない」みたいな。じゃあ沖縄でそば打ち好きな人どうすんねんみたいな。絶対にそれは優勝できないやん、って話で。 なんかいまのは例えとして微妙だったような気もするけど(笑)。でも、そういうことを、音楽をやってきた中でずっと考えてきました。

ーなんとなくわかります。

tofubeats:自分はいわば「傍流」みたいなところから出てきたわけで。「本流」になりたいわけじゃないんですけど、そういう人たちがひとつ軸を持ってできるようにするのは、どうすればいいのか、ってことを自分はすごく考えてて。

それが、1番最初のときは"ニュータウン"というモチーフだったし、神戸の中心部に出てきて東京と行き来するようになったら、今度はその地元意識が"神戸"というちょっと拡張されたものになって。で、いまは逆に"自分自身"みたいな。

自分自身と、そこから拡張して、自分の持ってる「属性」みたいなものをどういうふうに扱うか、みたいな。そういうのがずっとテーマです。それを手を変え品を変え、場所を変えてやってる感じで。移住したけど、テーマ自体はそんなに変わってないのかもなと、東京に来てからは思いましたね。

ー「テーマ自体が変わっていない」というのは、自分や周りの環境と、音楽を通して向き合うスタンスってことですか。

tofubeats:そうですそうです。


"神戸"のカードを手放して、"自分自身"が見えてきた

ー『日記』には東京に移ってきた理由として、結婚とかご家族の状況とか、あと「それなりに自分のアイデンティティが固まった段階なら、30歳になる前に一旦東京に住んでみるのもいいかなと思い」と書かれていました。東京に住む前と住んだ後とで、何かギャップはありましたか?

tofubeats:そういう意味ではギャップはなかったですね。実際に住所を移すまでの5年間くらい、東京にも部屋を借りていて。2重生活みたいな。とは言っても7,8割は神戸にいたんで、ホテル代わりみたいな感じやったんですけど。そういう慣れる期間みたいなのもありましたし。

あと、なんて言ったらいいんですかね……さっき言った、自分の持ってるものを確かめるために、"神戸"っていうけっこう大っきいものを消してみたらどうなるんだろう、みたいな興味も自分の中ではあって。

「自分探しをやろうと思ったら、自分をなくせばいい」って話を、以前オカダダさんってDJの人がしてて。いろいろ剥いでいって剥いでいって、最後に残ったものが「自分」じゃないですか。そういう意味では、けっこう大きい要素だと思われていた"神戸"ってのは、別になくなったって僕は生きていける。それは前からわかってたわけですよ。急に移住したりもできるんで。それで軽い気持ちで移住したら、コロナが始まったっていう。

あとは"神戸"をテーマにやるってカードの切り方を十分やったな、というのも自分的にはあって。みんなが思っている"神戸"っぽいものをよくすることには一役買えたな、みたいな。ちょっとこれは、手前味噌なところもありますけど。

言ったら『水星』の神戸のビジュアルイメージとかが定着して、それはそれで、もう十分いいことしたじゃん、みたいなのもあって。じゃあそれをあえて「消す」じゃないですけど、外していってみよう、という気持ちもありました。

ー今年は『REFLECTION』と『日記』が出ました。実際に「イメージを外す」ということに取り組んでみて、どうでしたか?

tofubeats:これまでは自分は属性だったりとか、悪い意味でいうとレッテルを張って物事を考えがちなタイプで。自分に対してもそうで、自分の持っているカードをどう切るかみたいなことを、いつも意識してたんです。

東京に出てきて、"神戸"という大きな属性を1回外してみたら、自分は東京に帰属意識がないことも認識するわけですよ。そんな中でものをつくったら、"自分"にめっちゃフォーカスした作品や『日記』が出たってのは、けっこう面白いなと思います。

これがコロナじゃなかったら、何か別のものが見えたりして『東京』って曲を出してた可能性もありますけど。これは時期的なものでもあるんで、おもろいなと思いますね。

ー「イメージを外す」ということ自体も、ある程度イメージできた部分もありつつ、コロナに影響されて予想外のほうにいった部分もあったと。

tofubeats:そうですね。大変な期間ではあるんですけど、でもこれは自分だけじゃないんで。あんまり暗い気持ちにもならないですし、やっぱ唯一無二の期間ではありますよね。これを糧におもろいことを考えるやつは絶対にいると思うんです。それはめっちゃ楽しみですね。5年後10年後とかが。

ー確かにそうですね。コロナ禍を機におもろいことやってるという意味で、気になっているものはありますか。

tofubeats:いまのところまったく見つけられてないんですけども。その差が見えてくるのは、たぶん時間がかかるんじゃないですかね。僕らの世代も、他の世代も。地元のことだけじゃなくてコロナのことも、悪い影響じゃなくて、いい影響にしてやるんだ、って思えるやつが絶対いると思います。こういう時代にすごい積み重ねてる人って、絶対別の世代とは想像力が違うはずなんで。

そういうのが出てくるの、めっちゃ楽しみやなとか思いますね。自分もミクロな範囲では、自分のアルバムをつくるときに思ってました。なんかコロナを悪いものとせず、自分の身に起きた唯一無二の出来事として、何かいいものに、 せめて音楽ぐらいには変えられたらいいなと思いました。めっちゃ真面目な回答ですけど(笑)。


地元に対する謎の距離感、離れて感じる良さとジレンマ

ー『日記』にも「神戸というのは、つくづく自分にとって謎の距離感がある地元」という話がありました。その「謎の距離感」という言葉には、いろんなニュアンスがあると思うんですが。

tofubeats:うーん、まあ住みよいし、めっちゃ好きなんですけど、神戸が俺のことをめっちゃ好きって思ってくれてるかといえば、そうも思わないみたいな。

ー(笑)

tofubeats:まあ、でも地元って大体そうじゃないですか。

ーそうですね。わかります。

tofubeats:だし……自分も好きでいようと思ってるけど、そういうギクシャクした感じはあるかなと思いますね。だからって、嫌いなわけじゃなくて、それがよかったりするんですけど。

ートーフさんの周りでも、特にライブなどの現場活動を精力的に行うトラックメイカーやDJの人たちが、関西や札幌などから東京に出てきて活動する流れがあると思います。それは当事者のひとりとして活動していても、「いずれは東京で活動する」のが自然な流れ、という感じはしますか。

tofubeats:そうですねえ。なんか難しいんですけど、神戸にいても全然やってはいけるんですよ。生活自体は。いまでも僕は自分に関してはそうだと思いますし。

なんですけど、やっぱりこういう取材もそうですし、仕事は基本的にはやっぱり東京にあって。特にクラブミュージックみたいな都市のものをやろうと思ってると、やっぱり都市にいるほうが都合がいいのは、どうしても否定できない。事実というか、まあ、比較的って話ですけど。

自分の場合は、東京のスピード感を1回体験してみたいと思ったのも大きい理由の1つだったんで。それはまあ、僕よりもライブやDJの数が多いという意味で、より現場に近いところでやってる人が「東京に行って活動したい」と思うのは、そりゃそうだろうなって思います。

単純に労働条件的な意味で言っても、まあ明らかに東京のほうがいいんで。コストがかかるというデメリットがあるにせよ、やっぱりそこはメリットあるでしょうし。あとはつくるものの性質上、若い人がいるところに行かないといけなかったりもしますし。

でも、そこでジレンマとして出てくるのが、「じゃあ自分みたいな若者が地方にいたら、そういう若者はどうなるんだ」ってことで。そこはいまでも複雑に思うときはありますけどね。

ー今回の『REFLECTION』では関西・瀬戸内の皆さんとのコラボが多かったと思うんですが、そこではそういう「ジレンマ」はあったんですか。

tofubeats:どうなんですかね。コロナで帰れなかったんで、「なんか神戸っぽい要素ほしいな」ってのはありましたけど。せっかく自分が東京に行ったんで、神戸にいる人だったり、かつての自分と同じ状況だった人に、東京にいるメリットをある程度分けられる立場ではありたいなってのは、アルバムに限らず全体的に思ってることですね。

ただ、瀬戸内に偏ったのはマジでたまたまで。他のプランもあったんですけどね。結局、蓋開けてみたらメンバーがあんな感じだったという。もともと神戸にいたんで、やっぱりつながってるアーティストは西日本の人が多くて。そういうのはありますね。なんかしょうもないことではありますけど、地元が一緒ってシンパシー湧くじゃないですか。

ー関西の人とのつながりは、現場に出ていって会う、みたいなことが多かったんですか?

tofubeats:人によるんですけど、中村(佳穂)さんは、関西の大学だったんで、普通に友達の友達みたいな感じで。自分の曲のカバーしてくれてたりもありましたし、そういう関係値。『FANTASY CLUB』のときにも参加してくれてたし。

『FANTASY CLUB』は、関西でつくったアルバムって意識がけっこう強かったんで、そのときに京都で一緒にやったのも大きかったですね。Neibissは神戸のクラブで声かけてきて、「緊張してます!」みたいな感じだったんですけど、そういう感じで知り合って。

ユウジ(UG Noodle)さんはもともと神戸の人じゃなかったんですけど、移住されてきて、そこからちょっと関わるようになって、ご一緒して。『REFLECTION』に関しては、昔から知ってる人、Neibissだけはちょっと違いますけど、ユウジさんも『POSITIVE』のときにもギター弾いてくれてたりとか、Kotetsu(Shoichiro)さんもそうですし、まあけっこう前から知ってる人しかお声がけしていなかったです。

コロナ禍っていうのもあって、あんまり新規の人よりかは、これまで関わってきた人とやろうというのがあったんで、ああいうラインナップになりました。そうなるとやっぱり関西系の人が多くなる、って感じだったんじゃないかな。

ー神戸にいたときは、イベントに行くのも関西が中心だったんでしょうか。

tofubeats:あー、それはけっこう微妙ですね。東京にも家がありましたし、週末は東京にいることのほうが多かったんで。ただ、行ってダラダラするのは、神戸とか関西のほうが潰しが効くっていうか。顔見知りもけっこういるんで。

ー交流的な意味では、関西のほうが人としゃべることは多かった?

tofubeats:そうですね。あとは、人の目とかもそこまで気にしないでいいんでね。そういう意味では比較的気楽なんですよ。まあよく言ってたんですけど、神戸は「別荘地に住んでる」みたいな感じの気分でいることができてて。

神戸にいる間は、仕事のことも考えてはいるんですけど、自分が「流れ」の中にいる感覚からは離れて過ごせるんですよね。それなりのものは揃ってるし、まあまあ都会だし、みたいな。そういう良さがあるなって思っています。

神戸には松本隆さんも住んでいるという噂がありますけど、なんか気持ちがわかるなと思いますもんね。ちょうどいい郊外。郊外って言っても、地方都市としてけっこういいスケール感だな、ってのはいまでも帰ると感じますね。


天井の下で、自分が突き詰めるべきこと

ー先ほど「周りにいいものを分けられれば」という話もありました。メジャーアーティストとしてもう10年近くやってきた中で、自分がやれることの限界について考えることもあるかと思います。『日記』にも「我々のいる場所の天井について考える。本場でない場所で物事を愛好するとはどういうことなのか。それが全ての自分の思考の始まりな気がする」という話がありました。最近はどういうことを思っていますか?

tofubeats:あー、でもやっぱり「大変だな」って思いますね。K-POPとか聴いてると、僕はけっこうテンション下がっちゃうんですよね。K-POPが良くて。自分がこれから、そういう新しいムーブメントを起こせるのか?って考えると、けっこう微妙かな、とか思ったりもすることも多いんで。

ただ、そういうこととは別に、自分のやるべきことをやってる人だけがいける到達点みたいなのがある、っていうのも、音楽をやってると逆にわかるんで。そこにどうやったら自分はいけるのかなってことは考えますね。

だから、「自分のいる場所の天井」については、本当によく考えますけど、どう説明していいか難しいですね。

ーどういうときに「天井」について考えることが多いですか?

tofubeats:これは『日記』にも書いてたんですけど、テイ(TEI TOWA)さんから言われた一言がきっかけで。あるとき、クラブの楽屋でテイさんと3、4時間ぐらいしゃべってたんです。「ニューヨークでDJをどう覚えていったか」って話をしてくれて。

ほんま、それがやっぱすごいんですよ。ニューヨークのクラブで、週5で6時間とかDJやってたら、それはうまくなるし。そのときってハウスミュージックが生まれた時代で。そういう黎明期にやってた人って、そりゃすごいじゃないですか。

そんな話を聞いて、「そのときより興奮するような現場って日本でありました?」って聞いたら、「ないね」って、スッと答えられたんで。「ないんや!」みたいな。

「あ、じゃあ日本でどんだけ頑張ってもニューヨークより上がれへんよな」って。もちろん、日本でも「特別な現場」ってのはあるし、自分もそれがあっていまがある。でも実際自分でDJやってて、やっぱりテイさんの言うニューヨークよりは、日本ではどうやっても上がれないんじゃないかと思うこともあったり。

そういうときに、じゃあ神戸に住んでる自分みたいな子はどうなるんだ、みたいなことを思うんですよ。じゃあみんなニューヨークに行けばいいのかっていうと、そんなことはないよなって。そういうジレンマをどう解決していこうかというのが、自分がずっと考えてることです。

「経済っぽい道理の外にあってほしいやん、音楽って」みたいな我々のロマンがあるわけですよ。それをどうやって実践していくか、そういうことを日々考えてる感じですね。そこはまあ、運頼みみたいなことなんですけどね。突然海外の有名プロデューサーから電話かかってこねえかな、みたいな。

ー(笑)。例えば「世界で売れるアーティストになる」ってことを、打算的に、長期的なプランを立ててやっていく、みたいなこともやりようによってはあり得るじゃないですか。でも、そういう方向に行きたいわけでもないという。

tofubeats:そうですね。それって「ビジネス的なものにアジャストしていく」って話だったりもしますし。予想外のものが売れるからおもろいのであって、売れるためにやって売れたとて、それは原因と結果がリンクしてるだけで、自分が思ってる音楽の面白さとはちょっと離れちゃうんですよね。

トップダウンで「感動させてあげよう」みたいなものにムカつく、って話じゃないですけど。やっぱノイズミュージックとか聴いて「すごいな」って思ってるときに、ノイズミュージックを「すごいな」って思える感覚が、人間に備わってることに、けっこうテンション上がるっていうか。

「綺麗だからいい」ってわけじゃないんだ、と思えるもの。そういうのがやっぱ面白いし、ロマンが入る余地があるな、って実感できるところだと思うんで。そういう余地を残しておきたいなっていうのはありますね。けっこう説明がむずいんですけど。


自意識としての地元、ブレを表現する面白さ

ー影響を受けてきたもの、自分のルーツ、切っても切り離せないものが、いまのトーフさんの「カード」なんだろうなと思いました。いまトーフさん自身が持っている「カード」については、何か意識されていますか?

tofubeats:「カード」っていうと、ちょっと道具っぽい感じになっちゃうんですけど。でも自分のアイデンティティと結びついてるものだと思ってて、それを活かすも殺すも自分次第というか。でも、本当は全部そうで。自分の持ってるものをどう使うかは自分次第で、 頑張ればいくらでも「こういうふうに見せることができる」っていうのは、音楽をやってて学べたことの1つです。「ローカル」も、けっこうそういうものなんじゃないかなって思いますね。

音楽をやってると、人と違うってことは価値になるんですよ。だから「ローカル」も、輝かせようと思ったら輝くものだし。何よりも、自分は唯一無二だってことを確認できるものだと思うんですよ。だからすごい価値があるなと思ってて。

たださっきも言った通り、「そば打ちの本場は松本だから」みたいな話はあるじゃないですか。例えば、アイスホッケーをめっちゃやりたいって思ってても、沖縄に生まれたらアイスホッケーができないわけですよ。そのへんは避けられないものがあって。

ただ音楽を含めたアートの類をやると、自分が「中央」にはいないってことを、比較的ロマンのある形で考え直したり、ハックしたりできるんじゃないか、っていうのが自分が神戸にいたときに思っていたことです。

でもまあ難しいですけどね。アートの類も結局は東京に集中してるし、実際自分もそうなんで。なんか「そうなんだよ」と強く言い切れないところはあるし、そこがまた難しいんですけど。ただ、そういう考え方は、神戸にいるときは自分の慰めにはなったかな、とは思いますね。

ー与えられてきた環境について、人によってはそれがいいふうに作用してる場合も、良くないふうに作用してる場合もあると思います。トーフさんは神戸出身であることに苦しんだ経験はありましたか?

tofubeats:それはもちろんありますよ。当時僕はメジャーレーベルの育成部門にいたんですけど、そもそも大阪支社と東京本社では、 若手アーティストの数も違えばレベルも違ってて。出られるライブハウスも、東京やったらもういきなりLIQUIDROOMとか、1,000人の規模のところに出られるわけじゃないですか。人口も多いからすぐ話題にもなるし、仕事もあるし、みたいな。

だから、「俺は大阪支社にいるんだな」みたいに思わされることはめっちゃありました。ヒエラルキーみたいなものをビンビンに感じてたのは事実で。でも、それが「謎の距離感」、帰属意識を生んだことも否定できないっていうか。最終的に、東京本社にてチヤホヤされてたバンドとか、いまはもう見る影もなかったりするわけですよ。

自分はいまミュージシャンとして10年くらいやってるんで、一応「ミュージシャンです」ってようやく言えるようになりましたけど、それも神戸が地元だったからこうなれたっていうのがあると思います。「自分がこの性格で東京ど真ん中に生まれてたら、今のようになれていたのか」とかは考えたりもするけど、ようわからんですね。

ー自分のバックグラウンドがよく働く場合も、そうでない場合も、捉え方次第だろう、と。

tofubeats:うん、うん。でもやっぱ難しいっすけどね。それで言ったら、もうなんで日本に生まれてんねんみたいな。アメリカに生まれてるやつは、生まれてときから英語しゃべれてムカつくなとか、そういう話もあるわけで。まあ言い出すとキリがないですけど。でも、僕の場合は、日本、神戸に生まれたのが自分自身であると受容するのに、音楽がすごく役立ったっていう話ですね。

ー「音楽は自分を理解する手段」という話もよくされていると思います。そういう「自分の地元」みたいな、場合によってはコンプレックスになりうる属性にも向き合いながら、それを音楽で活かしていけたら、というスタンスなんですね。

tofubeats:そうです。ピチカート・ファイヴってグループがいますけど、小西さんって実は札幌の人じゃないですか。まあ小さいときから恵比寿にいたらしいですけど。でもあの人が言ってる「東京」って、東京のどこにもないと思うんですよね。広告代理店的な1個上のレイヤーの「東京という概念」を提示してると思ってて。あれはちょっとヒントになっています。

「でっちあげ」というか、さっき言った自意識みたいなものに近いんですけど、あえて自分の中に持っているイメージのほうに向かっていくことが大事っていうか。ちょっと形は違いますけど、自分は神戸に対してそういうスタンスでいよう、みたいな気持ちは、神戸にいた最後のほうはすごくありました。

神戸、ロードサイド、ニュータウンとか。そういう、人には扱えない、自分ならこうリアリティを持って咀嚼ができるお題としては、本当に効果的だったなとは思います。

ーそういったモチーフを絡めた制作を通じて、自分の「ローカル」との向き合い方も見えてきたり、変わってきたりもしたと。

tofubeats:そうですね。はい。

ー「制作を通して、自分や自分の属性と向き合う」という意識に至るきっかけは何かありましたか?

tofubeats:いや、まあでも、こういう言語化ができるようになったのは本当に最近で。最初のほうは、普通にジレンマと正面から向き合ってやってたんですけど。あるとき小西さんのこととかピチカート・ファイヴのことをちゃんと見ていて、自分にとって神戸は、本当に存在してる地元として向き合っているというより、自分が"神戸"を代表してるっていう自意識みたいなほうが大事なんじゃないかと思うようになりました。てか、それこそが地元の正体なのでは、と思うようになって。

アルバムをつくっていると、人よりは自分の考えを客観的に見ることが多いので、「そういうふうに自分は思ってるのかな」と捉えるようになって、漠然とやってきたことを言語化できるようになりました。ここ数年で。

ー実感として、地元にある「神戸」そのものよりは、「自分の中に存在している神戸」が、トーフさんにとっての地元、ということなんですかね。

tofubeats:そうですね。影というか、鏡像というか。実際の地元の神戸は、事実として存在してるんですけど、それと自分の思っているイメージの中の神戸ってものに差があって。人が思ってる神戸とも、また差があるんですよ。

それはただ差があるだけなんですけど、そういうブレのあるイメージを、説明したりとか、表現しなきゃいけない立場なので。そもそもブレがあること、ブレについて考えることがおもろいなって思ったりもしたんで、そういうものにずっと向き合ってきた感じですね。


自信はないけど、楽観的に。狭間でつくり続ける

ー『日記』でも他のインタビューでも、「自分のやってきたことに、アーティストとして自信が持てないかもしれない」とおっしゃっているのが印象的でした。

tofubeats:はい、それはめっちゃ思いますよ。

ー例えばめちゃめちゃ売れてるとしたら、それはそれで自信を持てるんだろうとも思うんですが、そういう道に行かないようにしてるところもあるんですよね。

tofubeats:んー、どうなんすかね、売れたいなってときはもちろんあるんです。

ーそことは、どういう折り合いをつけてるんですか。

tofubeats:いやでも、「これは行くぞ」みたいなときはたまにあるんですけど、行かないだけなんですよね。それこそ、西野七瀬さんとやったときは、「これ紅白あるな」みたいな話にマジでなって。なんですけど、いろいろあってリリースできないことになって。「えっ、どういうこと?」みたいな。でも長くやってると、そういう星の元に生まれてないんだな、とかも純粋に思ったりします。

やっぱ自信はないし、だけど自信がないから頑張って働いたりするんで、まあいいのかなとは思いますけど。なんでやれてるんだろうとはめっちゃ思いますね。自分が音楽を始めたときに、身の回りに才能ある人がいっぱいいて。いまもいっぱいいるんですけど、「なんでこの人たちがこんな感じで、俺がやれてるんだろう」みたいな。それはめっちゃ思いますね、いまでも。

ーそこは自分でも「ようわからん」という感じなんですか。それとも、自分なりに思っていることはあるんですか。

tofubeats:あー、まあでも事務作業が苦じゃないのはかなりデカくて。音楽をプロとしてやっていこうと思ったら、たぶん音楽の才能は4割ぐらいでいいと思います。極論ですけど。

音楽家って自営業なんで、自分をマネジメントできる力がめっちゃ大事で。どれだけ才能があっても、納期に納品できなかったら、リリースされないわけですよ。そんな人と仕事なんかできないじゃないですか。どんなにいい曲をつくるとしても。

そういう意味では、早い段階から「締め切りを守る」ってことを勉強させてもらっていたので、そういう経験が活きてるのかなとは思います。けど、別に締め切りなんか誰でも頑張ったら守れるわけじゃないですか。だから、締め切りを守るやつがいっぱい出てきて、俺の仕事を全部取ることは全然ありえるわけですよ。だから自信がないっていう話ですね(笑)。

ー「締め切りを守る」もそうですし、トーフさんはあらゆる対応にかなり真面目なスタンスを取っている印象があります。『日記』でもアリムラさん(in the blue shirt)から「ハードコアなほどに実直」という話がされていました。

tofubeats:そんなことないっすけどね(笑)。マジでそんなことないんすよ。はい。

ー創作をする上でストイックであることは重要な要素だろうと思いますが、自分ひとりでストイックでありつづけることは、実はすごく大変なのではとも思います。そういうストイックな人があまりいないという意味で、孤独を感じることはありますか。

tofubeats:ああー、たぶんなんですけど、人よりは自分ひとりでやることに慣れてるのかな。この仕事をやってて、そういう意味で苦だと思ったことはマジでないんですよ。スタッフの人がいたりもするし、 本当の意味で「めっちゃ孤独だな」みたいなことはあんまないですね。

それに、音楽は、過去の歴史がいっぱいあるじゃないですか。だから、本当に自分がひとりっきりで、誰にも理解されてないな、って思うことはあんまりなくて。楽観的ではあるんですけど、自分が誰かのつくったものに感動してやってるんで、「誰ひとり感動せんなんてことはないやろ」みたいな。漠然と。なんか知らんけど、そこだけは楽観的です。

ただまあ長いことやってきて、自分と横一線でやってたような人たちが、減ってくる世代じゃないですか。30代とかになると。

ーそうですね。

tofubeats:『日記』にも、30代にもなって、Tシャツ着て、チャリンコでレコード買いにいくみたいなこと書いてますけど、そんなやついないわけですよ。地元に帰ったら、もうみんな家買うてますよ。そういうのは孤独じゃないですけど、「どえらいとこ来てもうたな」って思うことあります。まあそれはそれで、別で面白いし、楽しいなってのも半分あるんですけどね。これが40代とかになるともうヤバいなって感じかもしれないけど、いまのところはそういう感じですね。

ー「自信のなさ」はありつつも、自分が進んでる道に対する確信はある感じなんですか。

tofubeats:確信というかなんか難しいですけど、「音楽で人を感動させるんだ」みたいな話とは別で、音楽をやる自由を人から奪うのって、絶対に無理だと思うんすよ。戦争とかがない限り。そう考えると、自分の手元から音楽をやる自由とか楽しみが剥がされるってことは、ほぼないわけじゃないですか。

そういう安心感はすごくあって。自分は音楽がめっちゃ好きで、好きなことをやれてる自覚もあるんで、それはめっちゃありがたい。これがあるだけでも、だいぶ人よりもラッキーな人生だな、ってのはマジで思うことが多いですね。

ー音楽と向き合うこと自体に強く意味を感じているんですね。最近のインタビューでは「僕は創作と売上を切り離して考えています。ただ世の中とコミュニケーションするために努力はしてる。そこは諦めてないですね」という話をされていました。突き詰めていくことのロマンと、「売れる」ためのコミュニケーション。その間で工夫していく、ということなんですかね?

tofubeats:本当におっしゃる通りの感じです。「セルアウト」って言葉がありますけど、あれって「売れてるものが不本意なものである」みたいな言葉だと思うんですよ。いいものができたってときに売れることもあるだろうし、 微妙だなって思ってたものが売れることもある。逆にもうこれは絶対売れるって思っても売れないこともある。

そこってあんまりリンクしてないし、してると思わないほうがいい、っていうのはなんとなく思ってて。かといって全然売れてほしくないわけではないんですよ。だから、その狭間でつくり続けるってことですかね。

あとは、「売れないほうがいい」みたいな感覚っていうのもあるじゃないですか。アンダーグラウンド的な。そういうのではないですね。自分がやったことがめっちゃ売れるかって言われるとそうは思わないけど、わかる人だけにわかればいいって感じでやってるわけではない。これを入口に、そういう音楽をおもろいなって思ってくれる人がいるんだったらぜひ来てください、みたいな。そういうのは全てにおいて思いますね。

ー実際、いろんなパターンの自分がやりたい音楽を、名義を使い分けてリリースしてきています。それと、ポップアーティストとしてのtofubeats……というと言い方が正しいかわかりませんが、そういうものとは、常にバランスを取りながら活動されているんですかね。

tofubeats:そうっすね。昔はけっこう意識して名義を使い分けていたんですけど、いまはもうやりたいことをただやってるみたいな感じです。棲み分けもそこまではなくなってきましたね。

ただ、「コミュニケーションの度合い」みたいな点で、考えることが増えて。「これはコミュニケーションの度合いを高めに考えよう」って仕事があったり、「これはあまりコミュニケーションを気にしないでやったほうが面白くなるかな」みたいなのがあったり。

スタンスがその都度変わるというよりかは、スタンス自体はそんなに変わっていなくて、押したり引いたりしてみてる、って感じなんですよね。だからアニメの仕事もやれば、アイドルとかラップの仕事もやるし。

ただ根本として、起きてほしい事件はそんなに変わらないっていうか。起きてほしい事件っていうのは、つくり続けることを通して「何か起きたらいいな」みたいなことなんですけど。何がきっかけで起こるかわからないし、こういうことをしたらこういうことが起きます、みたいなものでもないので。いろんなことをやって試してます。

ーリリースした後の反響はけっこう見ているんですか。

tofubeats:そうですね、僕は毎回めっちゃチェックします。ひとりでやってるんで、客観的な意見だったり、こういうふうに見えてるのか、っていうのは面白いですね。それは人よりも反響を見ているかもしれないです。

ー反響を見て、押したり引いたりの度合いを変えながらっていうのが、コミュニケーション度合いってことなんですね。反響は、出す前に持っていたイメージ通りのことが多いですか? それとも、外れることのほうが多いですか?

tofubeats:それは場合によりけりって感じですかね。でもそこまで精度高く予測するってこと自体、基本的にはしないんで。当たるとか外れるとか、そういう反省の仕方はそんなにしません。みんなが思ってるより天然ですよ(笑)。雰囲気でやってる部分は多いです。実際。


たとえ天井の下でも、終わらないダンスを

ー今後、アーティストtofubeatsとして、あるいはHIHATT社の代表として、場合によっては家庭あるひとりの人間として。音楽を突き詰めていくロマンや、社会とコミュニケーションすることも含めて、どうありたいかという展望はありますか?

tofubeats:難しいですけど、やっぱり自分がやるべきこと、やりたいと思っていることは、音楽をつくることなんで。さっき話したように、自分の思っている「的」みたいなものを狙って投げ続ける。そういう変なおじさんになっていきたいのはあります。

あと、会社をやってみてわかったのは、それに付随していろんなことを、自分は学んでいくってことで。そのノウハウとか自体は、若い子にも活かせるものだと思うんで。できるところで手伝ってあげたりはしたいです。

僕は中学・高校で音楽を始めてるんで、大人に可愛がられて育ってるんですよ。だから、身の周りでよくしてくれた先輩方が本当にいっぱいいて。そういう人たちが「高校生やから許してやってよ」って言ってくれたことで守られてきた部分もいっぱいあったんですよ。そういうのは、自分より下の子たちにはやってあげたいなと思ってますね。

まあ、あんまり介入して、形が変わっちゃうのも面白くないですけど。その子の実践を損なうことにもなるので。いい具合に、次の世代がいい感じになるようにしてあげられたらいいなってことはぼんやり思ったり。まあでも、やっぱり自分が良けりゃいいかなみたいなところもあるんで。ほどよい形でできたらいいですね。

やっぱ自分の音楽聴いてくれる人を増やそうと思ったら、みんなに音楽好きになってもらうのが1番いいじゃないですか。だから、次の世代が動きやすいようにするのも、自分の音楽を聴いてもらうためとも言えますよね。結局は「自分の音楽を聴いてくれる人が増えてほしい」っていうことにつながってくるのかな。

ー言ってしまえば日本の音楽産業としては、はっきりと「天井」があるわけじゃないですか。その中でも、自分が音楽をつくっていくことと向き合いながら、周りの環境を良くしていったり、次の世代に渡していけるものを考えていったり、ということでしょうか。

tofubeats:そうですね、まあ至って普通のそういう感じですね。

ー周りでも近い世代で、これまでの音楽産業やクリエイティブ産業と違う形をつくろうとするアクションはあるじゃないですか。そういう動きは、トーフさんからどう見えていますか?

tofubeats:新しいことをやろうとするのは、無条件でいいことだと思います。でも、それがうまくいくかとか、いいシステムかどうかっていうのはまた別の話で。そこは本当に是々非々っていうか、その都度って感じですかね。

ートーフさんも自分の音楽をつくって、リリースして、世の中とコミュニケーションし続ける中で、できることをやっていくと。

tofubeats:そうですね。

ーなんでもできるとしたら、今後やりたいことは何かありますか?

tofubeats:なんですかね。うーん。けっこう低レベルな願望ですけど、普通にもう「DJを再開したい」とか。まだ欲がそういうレベルです。コロナじゃなかったら、DJのブッキングをめっちゃ増やして、とにかくDJいっぱいやって、海外も久々に行くか、みたいな感じだったんで。それができたらよかったなっていうのは、いまでも思いますね。

でもその程度のもんですかね。なんか占いでも「もっと野心持て」って言われたんですよ。「あなたには野心がない」って怒られて。

ー(笑)

tofubeats:でも、そういう感じですね。実際自分らって、もっと風呂敷広げようと思ったら、全然広げられるところにいるんですけど、マジで僕にそんな欲がないから。HIHATTも、こういう質素な感じになっちゃってるんで。まあこれでも自分は十分贅沢してると思うんですけど。

※事務所の光景が質素すぎて「Amazonディストリビューションセンターやん」と揶揄されたことがある

tofubeats:昔何かに書いてると思うんですけど、「君たちはインディーズのふりをしたメジャーアーティストだ」って有名なアーティストの人に怒られたことがあって。めっちゃ説教されて、めちゃくちゃムカついて、缶ビールでぶん殴ってやろうかって思った事件があったんですよ。「トーフやめてー!」みたいな感じになって。

ー(笑)

tofubeats:でもそういう「メジャーアーティストらしく振る舞う」みたいなことに、僕マジで本当に興味なくて。LIQUIDROOMとかでワンマンできたらもういいやみたいな感じなんですよね。まあ、難しいですけど。だから、DJやってみんなが盛り上がってくれるのが1番。それが、なんでもできたらやりたいことですかね。うん、場所はどこでもいいですけど。

でも、テイさんが言ってた「ニューヨーク行ったときほど盛り上がったことはないね」という感じを、自分もどこでもいいので、どこかで体験したいなとは思いますね。

ー何かしらのシーンの盛り上がりというか。

tofubeats:そうですね。でもそれはやっぱり、場所とか規模とかの話じゃないんでね。そういう盛り上がりのときにそういう場所にいるか、みたいなことだと思うんで。狙ってできることじゃないから、それが1番貴重なのかなと思います。

ーそういうところに乗り込んでいきたいとか、乗りこなしていきたいとかってことよりは、自分の音楽制作と、音楽への向き合いを通じて、やれることをやっていくと。

tofubeats:そうですね。あわよくばですけど、自分の音楽がそういう盛り上がりを起こせるものになったら、よりいいのになとは思っています。Power of Musicって感じっすね。はい。

ーはい(笑)。ありがとうございました。ローカルのことからつながって、自分がつくっていくことと、向き合っていくこと。いろいろお伺いできてよかったです。



取材・文章/さのかずや
編集/阿部光平
写真・動画・音楽・Sound Engineering/竹林ユウマ・安部和音・Alex Cruz G(whats hobby
アイキャッチデザイン/鈴木美里
制作サポート/鬼塚菜々


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