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地元が嫌いだった私が、好きになれないまま、この地の未来を考える/髙木晴香

生まれ育った徳島に帰ってきて半年が経つ。“ローカル”や”まちづくり”と呼ばれる領域にかかわり始めて4年。未熟ながらも、「地元で何かしたいな」と思って戻ってきたが、私は徳島が好きで帰ってきたわけではない(とはいえ、心の底から嫌いなら帰ってきていない)。

今、ローカルでの活動を発信している人は、その地域が大好きな人が多いように思う。それはとても素敵なことだ。自分の地域を心から愛し、より魅力を高めていける人が増えたら、日本はもっと豊かな地になるだろう。

しかし、私はそんな風になれなかった。地元を好きになれないことに対して劣等感さえ抱いていた。だが、自分の活動を続けていき、いろんな人に出会うことで、この地に対する自分の感情を少しずつ許容できるようになった。だから、今回の文章は、私のように地元のために何かしたい気持ちはあるが、地元を好きになれない葛藤がある人に贈りたいと思う。

地元のヤバさに気づく大学時代

私は、徳島県内でも比較的便利なベッドタウンに生まれ育った。両親は公務員で、特に不自由を感じずに高校生まで過ごした。都会への憧れは、地方の高校生らしい程度にはあったと思う。しかし、自分が地方出身であることをネガティブに思ったり、他の地域と地元を比べてコンプレックスを抱いたりすることはなかった。どんな経緯かは覚えていないが、ぼんやりと”まちづくり”に関心があり、まちづくりやアート、文化など、幅広い分野を研究できる神戸の大学に進学した。

大学で勉強をするうちに”アートマネジメント”という分野に出会う。平たくいうと、芸術や文化と社会をつなぐための活動である。そこで初めて、アートにまちづくりの可能性があると知り、その勉強にのめり込むようになる。様々な地域での事例を知っていくうちに、「もしかしたら自分の地元ってヤバいのかも」と思うようになった。こんなに魅力的な活動が各地で起こっているにもかかわらず、自分が生まれ育った地域では同じような活動を知る機会すらなかった。地元に強いコンプレックスを抱くようになり、この頃は「絶対に徳島には帰りたくない」とすら考えていた。一方で、このままじゃ地元がどんどん衰退するかもしれないと危機感を抱くようにもなった。

神戸の下町のプレイヤーたち

アートマネジメントを専攻するなかで、大学のプログラムでインターンに行けることがあった。そこで私は長田という神戸の下町にお世話になる。大学2年生から2ヶ月ほど行く予定だったが、社会人1年目を含めて4年間かかわることになった。

長田では、企画やデザインを制作するクリエイティブユニットでのアルバイトや、コンテンポラリーダンスを軸に豊かな社会の構築を目指すNPO法人での広報、芸術祭の事務局など、本当に貴重な経験をさせてもらえた。下町の4年間を通して様々なまちのプレイヤーに出会った。

彼ら、彼女たちからは、口には出さないが「自分たちが住む地域は、自分たちでどうにかする」という気概を感じた。ここにいる人たちは、自分たちの活動で“まちづくり”をしているという意識はなかった。手に職を持って、自分のスキルを地域に還元する。それが結果的に“まちづくり”と呼ばれる行為になっていた。地域をおもしろく、豊かにしていく人たちは、そういう人たちだと思った。その人たちは、「地域への当事者意識が強い人」と言い換えることもできるかもしれない。しかも、ここにいる人たちはそれを真面目に不真面目に軽やかに笑いながらやっていた。表には出てこない努力や苦労ももちろん知っているが、本人たちが一番楽しみながら、長田のプレイヤーが本気で地域に向き合う姿に、ローカルで活動するやりがいを教えてもらった。

長田にいるうちに、自分も専門的な技術をつけて、徳島で何かしたくなってきた。自分の徳島への当事者意識も強くなってきた。長田には、すでにたくさんのプレイヤーがいて、この地はもっとおもしろい場になっていくだろうという期待が高まる一方で、地元の徳島は誰かが動かないと、ずっとこのままなんだと思った。「絶対に帰りたくない」から、「いつか帰ろう」と思うようになってきた。

戻ったはいいものの、不満ばかりの日々を過ごした

2022年3月、5年間を過ごした神戸を離れ、地元に帰ってタウン誌の会社に就職した。「徳島で何かしたい!」と思ったのはいいものの、始めの2ヶ月ほどは不満ばかりの日々だった。「同世代がいなくて寂しい」「偶然の出会いのある場所が地方にはない」「トークイベントがない」など。思い描いたような暮らしができなくてモヤモヤしていた。

極め付けは、6月の会社の新人研修で、全国のタウン誌の新入社員の人たちと話したこと。みんな地元が好きで、口を揃えて「この地域の魅力を発信したい!」と、キラキラした目で話していた。そんな若者がたくさんいることに、ローカルメディアの希望を感じつつも、地元に不満ばっかりの自分が嫌になった。彼らと同様に、私も地元のいいところもたくさん知っているはずなのに、そうではない部分に目がいってしまう。

帰ってきてからも、月に1回のペースで関西に足を運んでいた。かつての上司に会うたびに、不満を垂れ流していた。何度目かの神戸に遊びに行っていた時に、電車のホームで偶然、以前お世話になったデザイナーさんに会った。ここでもまた日々の退屈さを漏らしてしまった。今思うと本当に情けない。その時に、「自分発信でなにかしてるの?」って何気なく言われた。文句を言うばっかりで、私は自分から何もしてなかったとハッとした。当たり前のことを忘れていた。長田の人たちも、自分たちで手を動かして、自分の仕事は自分で生み出していた姿を見ていたはずなのに。

Uターンして4ヶ月、そこでようやく、自分でも何かやっていこう、と本気で思うようになった。その頃とちょうど同じくらいに、徳島のとある建築家の方が手を差し伸べてくれた。ちょうど今年は徳島にいろんな若手がUターンしているタイミングらしく、気の合いそうな人を何人もつないでくれた。同世代や感覚の近い友達が増えていって、日々の暮らしがどんどん楽しくなっていった。集まったメンバーで、本のイベントをやることになった。「やる!」と本気で決めてから、手を動かして足を動かして人に会いに行って、目の前のことをやっていたら、少しずつだけど見える景色が変わってきた。

地方は覚悟した人の地ではない

私は徳島を、誰もが自分らしく過ごせる地域にしたくて帰ってきたし、人生の多くを、そのことに費やす覚悟をしているつもりだ。しかし、地方で暮らす人は全員そうである必要は全くない。“ローカル”と呼ばれる分野にかかわりを持っていると、地方で活動することは相当な覚悟が必要なことだと語られることもしばしばある。確かに胆力が必要であることは否めない。でも、地方で生活することに覚悟を持たないといけないならば、覚悟ができる人しか残れなくなってしまう。

私の中で印象的だった出来事がある。京都出身の大学時代の同期が、突然インスタグラムのストーリーにて「やっぱり徳島なんか嫌い」と投稿していた。私は彼女が徳島に縁があることを知らなかったため、驚いてメッセージを送ると、なんと就職して徳島に配属になったらしい。ここでの暮らしはひどく退屈だと言っていた。私はその友達が住む近所のおもしろそうなスポットに連れて行った。彼女は「こういう場所って自分から探さないと見つけられないね」と言っていた。でも、彼女には「地方では、自分で楽しさを見出さないと楽しめないよ」とは言いたくなかった。そういうことを強要していると、そういうマインドの人しか残れなくなってしまうからだ。

ローカルのおもしろがり方は、デザインや編集の観点から語れることは多い。私も、自分の興味関心がそちらに傾いてしまうため、そこにばかり目がいってしまう。しかし、世の中にはそうではない分野の仕事で社会に貢献している人が大多数だ。だからこそ、そうじゃない楽しみ方ももっと提案できるようになりたい。私の友達のように、偶然配属で来た人や、転勤、親の介護など、様々な理由で徳島に来る人が、「やった!徳島だ!」と思ってもらえるようにしたい。地方特有の覚悟や工夫は必要なく、どんな人たちにとっても、徳島が自分らしく楽しく暮らせる現場であれるようにしたい。

徳島でもやっていける姿を発信していきたい

私が直近で取り組みたいことは、徳島で活躍する地域のプレイヤーを増やすこと。まずは仲間づくりをしたいと思う。徳島で活動するライターや編集者を増やして、一緒に企画を立ち上げることが、夢の一つだ。そのために、「徳島を拠点にしていても、フリーランスのライター・編集者として食べていけること」を発信していきたい。そのためにはまずは自分自身が食べていかないといけないので、まずはそこが課題である(焦)。

私が地元に戻る決意をした理由の一つは、先述の建築家の方が徳島で楽しそうに暮らしているのを見たからだ。「私も徳島に帰っても、楽しく暮らせるかもしれない」と思った。同じように、「自分もやっていけそう」と、この地にやってきて一緒に活動してくれる人が少しでも増えることを願う。特にフリーランスにこだわるのは、自由な働き方を都会の特権にしたくないからだ。多様な働き方が広がる中で、こちらではまだまだ従来の働き方が圧倒的なメジャーであり、働き方の選択肢が少ない。多様な働き方を体現することで、選択肢を増やしていきたい。仕事をどうやって継続的に受注するかや、単価の付け方など、壁は様々あるが、まずは自分がまっとうに、食いっぱぐれずに活動していくことが必要だ。

今でもたくさんの葛藤がある

仲間ができて、自分がやるべきことが明確になり、地元での暮らしは加速度的に楽しくなってきた。人生で今が一番楽しいと言っても過言ではないほどである。しかし、そんな今でも「徳島が好きか」と言われると言葉に詰まる。今でも月に1回は関西に足を運ばないと、窮屈で息が詰まりそうになってしまう。美術館の企画展に行きたいし、徳島では観られない映画だってある。特に、こちらに帰ってきてから、神戸に比べて芸術作品を観る機会が圧倒的に減った。それは戻る前から分かりきっていたことだが、いざ体験してみると、「住む場所によってこんなにも変わるのか」と言葉にできないほどの悔しさがあった。いつも帰りの高速バスでは、「どうして同じ企画展を観るのに、私は交通費がこんなにかかるんだろう」と虚しくなる。「文句を言ってないで関西に住んだらいいじゃない」と思われるかもしれないが、これこそが、地方が抱える構造的な格差である。芸術文化だけではない。所得、教育、人口など、地方には様々な格差が横たわる。これを地方だからと諦めたくないし、構造的な格差に目をつむり、自分の地元を好きになることはきっとできない。徳島だけの問題ではないが、この葛藤はきっとこれからも続くし、向き合い続けていくだろう。諦めたり折り合いをつける以外の、自分らしい解決方法を見つけていきたいと思う。

嫌いでもいいけど、関心は失わない

地元にコンプレックスを抱いていたり、良い印象は持ってなくても、地域への当事者意識はあってなんとかしたい気持ちがある人は、意外と多いのではないだろうか。まちづくりに携わっている人は、その地域のことが大好きで、不便を愛し、それを楽しんでいる。そんなふうに思っていないだろうか。「なんで私はそんな風に思えないんだろう」と自分のことを責めていないだろうか。

私は、地域の全部を愛さなくてもいいと思う。クソなことはクソだと思ったまま、向き合ったらいいと思う。向き合うことを、考えることを、やめてしまわなければ、大丈夫。私も、現在進行形で徳島のことは完全に好きになれていない。もちろん好きな部分、魅力的だと思うところはたくさんあって、大好きな仲間たちがいて、こっちに帰ってきて正解だったなと感動する瞬間が、この半年間でも何度もあった。愛を持ってこの地に住んでいると、自信を持って言える。

嫌いなのは仕方ない。大切なのは、地域への当事者意識であり、手を動かすこと。それがどんな形であったとしても、地域を動かすエネルギーになることは間違いない。
 
ローカルでの在り方に決まりはない。ずっとそこにいるのが窮屈なら、定期的に外で息抜きするのもいいかもしれない。自分らしくいられる地域との付き合い方や距離感がきっと見つかるはずだ。その中で、少しでも「地域のために何かしたい」という気持ちがあるなら、自分らしいやり方で一歩踏み出してみるのもいいだろう。その地域に複雑な気持ちを抱いていても大丈夫。地域はどんな人にも開かれている舞台だ。

髙木晴香
徳島県在住のライター・編集者・企画。1998年生まれ。地元のタウン誌の会社に勤めながら、フリーランスでも活動中。読書、本屋さん、散歩、銭湯が好き。2019年より、神戸の和田岬で和田岬一箱古本市を企画・運営。地域での活動とアートをメインテーマに、取材や企画を行う。
Twitter: @takagichan98

文章・写真/髙木晴香
編集/佐野和哉


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