イノセンス音楽とリミナルスペース
2023年4月30日23時55分 改訂
この記事は、私が完全に主観でボカロのイノセンスというジャンルについて語ったものなので、妄言だと思って読んでください。
イノセンスという言葉の扱いづらさ
ここで言うイノセンスとは、2017年にPuhyuneco氏が投稿したアイドルという曲を契機に広がっていった、ボカロのアンダーグラウンドシーンにおける音楽ジャンルのことである。しかし、このジャンル分けは、明確な使用ツールや音の体系による区分(例えば、狭義のロックというジャンルはギターという使用ツールと、それによって演奏されるペンタトニックスケールを基調としたリフという音体系に特徴付けられる)ではなく、精神性、思想性が基となった区分なので、イノセンスを客観的に定義することは難しい。(あるいは、できないと言ってもいいと思う。)
イノセンス音楽の特徴
多くのイノセンス音楽に共通する特徴として、作為性の希薄さ(より厳密には、作為性が希薄というよりは、作為性が作為的に脱臭されているという言い方のほうが正しいと思われる。なぜなら、音楽を作るという行為は作為そのものだからである。)や、ボーカロイドの心や自我のなさや無機性の強調といった、ある種の人ならざる感じ、もっと言えば人の存在の欠落感が挙げられるのではないだろうか。
また、イノセンス音楽の詞においてよく見られるのが、言葉の持つ文脈(言葉の遷移確率や自然なコロケーション等)や、そういった文脈から生まれる日常性から乖離した、異質な言葉を使う技法である。(この技法は、詩の理論でいう異化に相当するものだと思う。)そして、こういった文脈や日常性の剥奪も、ある種の欠落である。
つまりは、欠落とそれによるうっすらとした寂しさ、孤独感、違和感、不気味さが、イノセンス音楽においては重要な要素なのかもしれない。
先に挙げたようなイノセンス音楽に見られる詞の特徴は、ボカロのメインストリームでよく見られる、意味もろともリリシズムが破壊された詞(例えば千本桜やマトリョシカなど)とは一線を画すものである。なぜなら、イノセンス音楽の詞における、異質な(あるいは、意味の不明瞭な)言葉遣いは、結果的にはリリシズムに貢献し、聴く人(というか主に私)の心を揺さぶる場合が多いからである。
このように、使い古されておらず目新しい、異質な言葉遣いから、詞全体のリリシズムが組み上がっていく様が、イノセンス音楽の詞の本質であるように思える。
また、音としての特徴を見ると、エフェクター等で強く歪められた音や、輪郭がぼんやりした音や、よれた音を使った曲が(全てではないにせよ)多いことが挙げられるのではないだろうか。音を歪めることや輪郭をぼやかすことは、耳慣れた素の楽器の音から離れていくことでもある。また、よれた音は、現実から遊離していくような独特の浮遊感をもたらす。
また、多くのイノセンス音楽のリズムはスローテンポである。(少なくともハイテンポな曲はかなり珍しい。)このスローテンポに、先に挙げた音の効果も相まって、イノセンス音楽を聞いていると、現実とは異なる、どことなく懐かしく奇妙な幻の中に入っていくような感覚になることが多い。(完全に主観だが、イノセンス音楽とMy Bloody Valentineの音楽は、幻っぽさという点では通じるものがある気がする。)
そして、先に挙げたような詞や音に触れたとき、私はそこに、『ここではないどこか性』を強く感じるのだ。『ここではないどこか性』とは、ここではないが、どこかではあるという性質である。つまり、自分が日常的に触れている、慣れ親しんだ意味世界ではないけれど、どこか遠くにはその異質な世界が、意味を持って存在するかのように感じられるという性質である。
あるいは、『ここではないどこか』は過去の世界なのかもしれない。つまり、自分が子供の頃にいた、様々なものが異質で目新しい、知らないものや理解できないものがたくさんあった世界(例えば、夜に誰もいないリビングで水を飲んだあと、リビングの電気を消すのが怖かった世界)をそこに投影しているのかもしれない。だから、イノセンス音楽には、どことなく郷愁感があるのかもしれない。
イノセンス音楽とリミナルスペースの類似性
突然だが、以下に列挙する風景を頭に浮かべてみてほしい。
・誰もいないホテルの廊下
・閉店後のショッピングモールの店内
・夕焼けと終業の放送が永遠に続く無人の学校
・ポテトが揚がった音だけが鳴り続ける薄青い無人のマクドナルド
・全ての方向に無限に続いていく誰もいない競泳用プール
・波のない夜の海にまっすぐ沈んでいく道路と、水面から立つ無数の街灯
このようなスペースに共通して感じる、そこはかとない欠落感、寂しさ、孤独感、違和感、不気味さ、既視感、郷愁感、超現実感・異世界感(≒ここではないどこか性)を、まとめてリミナル性(あるいは日本語で際性)と言う。
そして、これらの要素が(全てではないにせよ)イノセンス音楽にもあることは前の項目で述べた通りである。
リミナルスペースを成り立たせるのに重要なのは、そのスペースが持つ文脈や日常性の剥奪と無人感(あるいは人ならざる者がいる感じ)である。
そして、これらの要素はイノセンス音楽の成立においても重要なものである。そういう意味で、イノセンス音楽とリミナルスペースは似た概念であると言えるのではないだろうか。
楽曲紹介
完全に主観ですが、私がイノセンス性とリミナル性の両方を感じた楽曲を紹介します。
アイドル
ほんの少しは自分から
白い太陽/雨月
参考資料
ボーカロイドとイノセンス
表現するVOCALOID 〜ボカイノセンスにおける語り手の性質〜
10選+αで語る2017年ボカロシーン - 美忘録
VOCALOID-リリックをめぐって - 美忘録
【コラム】Liminal Spaceとは何か
最後に
めちゃくちゃこじつけのやばいオカルト記事を書いてしまいましたが、唯一言えることは、これが私にとってのイノセンスだということです。
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