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12週目: 論文抄読会の話

こんにちは、虎塚です。

今日は、ラボで1月からこぢんまりと開催している論文抄読会(ミニジャーナルクラブと読んでいます)の話をします。画像はいつもどおりChatGPTに作ってもらいました。

開催の経緯

今いるラボでは、隔週で全員が参加するグループミーティングがあり、担当者が論文紹介と研究の進捗報告をします。もちろん参加すると勉強になりますが、発表者のほとんどがPhD学生です(折々で指導教員も発表します)。自分はラボの主流と異なる専攻の学部生なので、議論に上がる各種トピックの知識が乏しく、内容を理解できないことが多くて悩んでいました。さらに悪いことに、「くだらない質問をして周りの人の時間を無駄にしてはいけない」とだんだん感じるようになり、わからないことを率直に質問することができなくなってしまいました。授業であれば、私は数百人の学生がいる場でも手を挙げて質問できます。そのため、萎縮して質問できない自分に対して、かなりストレスを感じていました。

去年7月にラボに入った時からこの問題がありました。時とともに悪化し、そのまま1ターム目、9月から12月までを過ごしてしまいました。

さすがに克服しようと思い、2ターム目の今学期、より少人数かつ自分の研究に近いトピックに絞って、ミニジャーナルクラブを開催することにしました。同じチームのPhD学生の方に、「私が論文紹介をして、わからないことを質問する会をしたい。参加してコメントしてくれませんか? 論文をあらかじめ読んでこなくても大丈夫です」と持ちかけたところ、ありがたいことに「毎週やろう」と快諾してもらいました。というわけで、1月から開催しています。

前置きが長くなりましたが、そういった状態で(つまり、ほぼ私の学習目的で、先輩学生の厚意に甘えて)論文抄読会をおこなっています。始めてみてわかったのは、ドメイン知識と同じくらい、論文を丁寧に読むスキルが自分に欠けていたことでした。以下では、最初はできなかったが最近やっていることと、まだできないことをいくつか挙げます。

やっていること

わかることとわからないことを峻別する

最初はあくまでも論文を「紹介する」形式を保とうとして、自分の言葉で説明できないことまでteaching toneで喋ろうとしていました。しかし、この会の目的は私の学習だということを踏まえ、2回目からやり方を変えて、わからなかったことをスライド上で目立たせるようにしました。グループミーティングの論文紹介で行われているようなスラスラとした発表ではなく、理解を確かめながら進む感じになりました。

質問を文章にする

上の点をさらに推し進めて、わからないことがあった時は、質問を明示的にスライドに書くようにしました。初回は、質問をその場で言葉にしようとしましたが、私の英語力の問題もあり、グダグダになってしまいました。疑問点と、自分が何を調べてどう理解したかをスライドに明記するようにしました。ますます、論文「紹介」というよりも「ここがわからんの会」という感じになってしまいますが、仕方がありません。

スライドを更新する

当初は抄読会の開催1回につき論文1本読むのを予定していました。しかし、質問が嵩むとそうきれいに終わりません。1本読み切るために会を2回、3回と費やすこともありました。そういった時は、前回に質問して教えてもらったことを調べて要約をつけたり、二人ともわからなかった点について改めて調べたりして、スライドを更新しています。1本の論文について2回以上に渡る時は、2回目以降で前回までのあらすじを軽く説明します。その際に、更新した箇所は詳しく話すようにしています。

まだできないこと

一言でいうと論文を批判的に読むスキルが足りません。PhD学生の方が指摘してくれるまで、私が気づかないことがいろいろとあります。

用語の間違いに気づく

似ているが意味の異なる、混同されやすい概念って、どの分野にもありますよね。そういった用語を、論文の中で著者が混同して使っていることがあります(Journal articleではあまり見ませんが、Letterで何度か見かけました)。一人で読んでいる時にはそれに気づかず、著者の間違いに引きずられて自分も間違った説明をしてしまったことがありました。教科書的な知識の徹底が私に足りないために、気づかないのだと思います。

用語の定義し忘れに気づく

論文中に説明なく出てきた言葉について、調べても意味がわからず、専門用語かと思って聞いたら、著者らが独自に使っている用語だが定義がない、ということがありました。これもまた、分野の体系的な知識を内面化できていないせいで、そこからはみ出た部分を検知しづらいのかもしれません。

導かれた結論の間違いに気づく

様々なパターンがあり一概には言えませんが、実際にあった例を挙げます。

例1: ある結果をグルーピングして傾向を述べる時、一部でもその傾向に反するサンプルがあったら、それを無視して一括する言説は「言い過ぎ」。

例2: 研究の制約や今後の展開を述べる箇所に、実際にはすでに著者らが試した内容が未実施のものとして述べられている。「本研究ではAのみ考慮したが、BやCを用いることも考えられる」と言いながら、Bを扱っている。どうも著者らはBをBと認識できていない模様。

2つ目の例は私の知識不足に起因する見過ごしですが、1つ目は知識がなくても厳密に読めば気づくはずなので、読み方の問題でしょう。

改良した図表を考える

わかりづらい図表を見た時に、どういった見せ方ならわかりやすいかをすぐに思いつけるようになりたいです。一緒に読んでいるPhD学生の方と、一つのFigureについてああだこうだと議論した後、相手がよく「こういう図ならもっとよかったね」とさらりと言います。私はその妥当性を咀嚼して同意するのに時間がかかります。元の要点を強調しつつ、(supplemental informationを含む)論文内で示されたデータで再構成可能なFigureを考えなければならないため、論点把握力と、使用可能なデータを脳のメモリに保持する力と、視覚化スキルが必要です。

他にもありますが、情けなくなってきたので今日はこのくらいで。もっと上手に読めるように練習します。

それでは、また。

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