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転がる石は玉になる—日本経済新聞「私の履歴書」単行本化

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はじめに
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こんにちは。伊藤 航です。
いつも本の紹介をご覧いただき、誠にありがとうございます。

本日は株式会社オービックの創業者、野田順弘氏の 転がる石は玉になる―日本経済新聞「私の履歴書」単行本化 』をご紹介いたします。

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具体的な課題を経営者に示す

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 オイルショックの時代に我が社はどんな営業をしていたのか。当時、大企業は次々に週休二日制に踏み切っていた。組合との関係、採用の面からも中小企業は追随せざるを得ない。しかし人件費はそのままで休みを一日増やすことへの不安もあった。そこで我が社はこんな広告を打った。

あなたの企業の週休二日制を考える このごろ企業経営者間でよく話題にのぼるのは、週休二日制採用の問題。あなたの企業にその採用が迫られるのも時間の問題ですさて、そのためには、現状をどのように変えて行かねばならないでしょうか」と呼びかけて具体的な課題を例示した。

「セールスマン別、得意先別の売上、粗利が把握されていますか」
「商品利益、回転率は完全に把握できていますか」
「商品在庫の問い合わせに即答できますか」
「請求書、元帳の転記、計算ミスで問題が起こったことはありませんか」
「人件費がかかりすぎてはいませんか」

こうした具体的な課題を経営者に示すことこそ、誤発注した三菱電機製コンピュータ20台を売り切るに当たって獲得したノウハウだった。単になんとかの合理化と、抽象的に言うのではなく、ずばり「商品在庫の問い合わせに即答できますか」と聞くことによって、「大阪ビジネスは経営者の悩みを知っている」と思ってもらうこと、その悩みを解決する手段を提供できることを理解してもらうのだ。

オービック(OBIC)の社名の由来
❝ この時期の出来事として社名変更があった。東京支店を開設した直後から、支店長の堀内君が「大阪ビジネス東京支店だと顧客から、大阪に本社があるのならアフターサービスは大丈夫か、などと言われて困る」と言ってきていた。なるほど、東京市場を本格的に開拓する上で「大阪」の二文字は邪魔かもしれない。そこで思い切って社名を変更することにした。社内公募した結果、大阪ビジネスの「オー」と「ビ」を取り、最後にコンピュータの頭文字Cをつけてオービック(OBIC)と決まった。もともと我が社は外で「オービーさん」と呼ばれていたので、顧客にも親しみやすいのではないか。社名変更は昭和49年1月のことだった。❞

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若い公認会計士との出会い

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 会計といえば面白い出会いがあった。あれは昭和55年の夏ごろだっただろうか。ある日、営業課長の浅野晃君が私のところにやってきた。

「面白い男がいるんですが、会ってみませんか」

浅野君は取引先で若い公認会計士と知り合っていた。一緒に喫茶店に行ったところ、その会計士は見知らぬ客に声をかけ始めたのだという。

「突然で申し訳ありませんが、年末調整の手伝いをさせてくれませんか」

会計士になったばかりでクライアントがおらず、必死で顧客を開拓していたのだ。私は話を聞いて興味を持った。公認会計士といえば世間では先生と呼ばれる立場。にもかかわらず、自分の力で道を切り開こうとするひたむきさに惹かれるものがあった。

日を改めて、小柄でメガネをかけた会計士と向き合った。
和田成史君だった。

「君は何をやりたいんや」

そう問うと即座に答えが返ってきた。

「将来独立して中小企業の手伝いがしたいんです」

和田君が同じく公認会計士の奥さんと神田に事務所をオープンするというので、誘われるまま訪ねてみた。友人なのだろうか、会計士補も含めて10人ほどが、狭くて決して清潔とは言えない部屋にひしめいている。一応は会社なのだが、私は「とりあえず設立した会社」という印象を持った。その後、和田君夫婦はそろってコンピュータの学校に通い始め、そのことは素直に「偉いな」と思えた。

しばらくして和田君が私を訪ねて出資を頼んできた。確かに見所はある。当時、42歳だった私は28歳の和田君を応援しようと思った。しかし資金を出すだけでは心配が残る。そこで新宿支店の一角を提供し、社員も応援に出した。

社内には「何もそこまで」という声がなかったわけでもない。だが私は若い和田君にかつての自分を見ていた。ともに働く和田君夫婦の姿も私とみづきに重なった。私のところには「出資してほしい」という話がいくつも舞い込んでいた。多くは数字を並べて「将来はこのように成長します」とスマートに説明する。私はそんなスタイルは信用しない。自分で泥をかぶるのを厭わず、がむしゃらにやっていく姿勢が見えないからだ。

その点、和田君が持つ気概は私の琴線に触れた。

あのとき私が出資を決断した和田君の会社は「オービックビジネスコンサルタント(OBC)」という。平成5年(1993)年に会計パッケージソフトの「奉行」シリーズを発売し、テレビから流れる「勘定奉行」のCMで一気に知名度をあげて業績を伸ばした。OBCには現在もオービックグループの関連会社として活躍してもらっている。

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人事評価は減点主義ではなく加点主義

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 我が社ではいまだに社員の家族を招いて運動会を続けている。表彰式で商品を授与するのが私たち夫婦の役目だ。クリスマスには社員全員にケーキを配る。社員はそれを持って家族が待つ家に帰るのが恒例になっている。私たち夫婦には子どもがいない。だから会社や社員を我が子のように思ってしまうのだろうか。

とはいえ会社が人間の集団である以上、常に様々な問題が起きる。その問題をいかに芽のうちに摘み取るかが重要だ。普段から組織の風通しを良くしておくのが最善の予防策と対処法につながる。そして人事評価は、減点主義ではなく加点主義でなければいけないと信じている。

雄弁でない私は、自分の思いを伝えるために先人の言葉を引用する。最初に誰が言ったかは知らないが、「『儲かる』とは『信じる者』と書く」や「情報とは情けに報いること」などだ。

プロ野球の名監督だった仰木彬さんの「信汗不乱」という言葉も好きだ。信じて汗を流せば心乱れす。あるいは、汗してつかんだものを信じれば心は乱れず、やがて道も開ける。上杉鷹山の言葉を借りて「努力一両、戦略五両、ひらめき百両」とも言う。

プロゴルファーの青木功君とテレビCF出演契約を結んだのが昭和57(1982)年。彼がハワイアン・オープン優勝という快挙をなし遂げる前年のことだった。私と同じく農家の次男坊に生まれ、若いころから自分の力で道を切り開いてきた。その彼はスタートホールのティーグランドで必ず黙礼する。ゴルフの神様に今日もゴルフができることを感謝しているのだという。

私も年齢を重ねるにつれて、何事にも感謝の念がわくようになった。いまもこれまでの人生でご縁をいただいた皆様に、お礼を申し上げたい気持ちでいっぱいだ。

私を育て、支え、励まし、叱ってくださった皆さん。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。

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おわりに
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今回ご紹介した本書の要点をまとめると以下のようになります。

❶ 具体的な課題を経営者に示す
⇒ 「経営者の悩みを知っている」と思ってもらうこと、その悩みを解決する手段を提供できることを理解してもらう。

❷ 若い公認会計士との出会い
⇒ 自分の力で道を切り開こうとするひたむきさに惹かれた。自分で泥をかぶるのを厭わず、がむしゃらにやっていく姿勢が心の琴線に触れた。

❸ 人事評価は減点主義ではなく加点主義
 会社が人間の集団である以上、常に様々な問題が起きる。その問題をいかに芽のうちに摘み取るかが重要。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

※上記文章は日本経済新聞出版社『転がる石は玉になる―日本経済新聞「私の履歴書」単行本化』より一部抜粋しています。


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