「探偵もどきとその末路」

「大丈夫、もうすぐ貴方の魂はこの縛られた肉体、世界から解放され、自由になれるわ」私は可愛い子羊のガタガタと震える肩にそっと手を置き、できる限りこの闇に溶けるような甘い声でそう囁いた。「ほ、本当に自由になれるんですか。ここから落ちなければならないのですか。きょ、教祖様。」と焦りを露わにしているその少年の腕には、無数の切り傷があり、厚い布の下には消えない痣を隠していた。「ええ、運命の導くままに。この世界は空虚なのよ。この何も無い苦しみから放たれるべきだわ。」優しくも不気味に彼の背中をそっと押す。「そ、そうですよね。こんな世界にいる方がおかしいんだ。大体、信じてたヤツらもみんな僕を裏切って、手段として扱うことを良しとしていたんだ。みんなみんな僕を貶めて楽しんで辱めて…ああ、憎い憎い憎い…このシステムの歯車の上で踊らされているぐらいなら…」先程までとは打って変わったその男は勢いよく走り、宙を浮いた。私がにやりと顔を歪めるよりも早く、ぐしゃりという音が響き、赤い生々しい絵の具が飛び散るのが見えた。愉悦に口元が歪み、頬は赤らんだ。恍惚としてそれを眺めていた。「ああ、なんと愚かでなんと美しいのでしょう。信頼というただの概念を自らの手で歪めるのは。血に濡れ染まる復讐の味はなんとも苦くて、甘美なものなのでしょう。」黒いコートを纏った「教祖」と呼ばれるその女は不穏な空気を残していき、闇の中へと消えていった。


私は雑踏の中を隙間を縫うようにして歩いていた。こんな平日の昼間から何をしているのかと言うと、何もしていないのである。ぶらぶらとただ人の流れる様を見ていた。ふと、あるビルの前で足が止まり、人の裂けているその足元に目を向けた。黒く淀んだ赤がアスファルトに染み付いていた。じっとそれを見つめ、今朝のニュースと照らし合わせてみた。そういえばこの辺りだっただろうか。最近、巷では人々の魂を解放すると称して自殺を促すような教団があるんだとか。信者らしき人の目撃情報や、拠点は何ひとつとして掴めておらず、捜査は難航していると噂になっている。少なくとも、この1週間でこの話題は3回以上聞いているので、恐らく3人は無惨な姿で見つかっているのだろう。これも根拠の無い噂だが、満月に近くなると自殺者が増えるということも聞いている。その教祖によるものであるらしいが…そういえば今日の晩は満月である。ここに訪れるとは限らないが…肩になにか触れた感覚があったので、すっと振り向き、「すみません」と蚊の鳴くような声が出てしまい俯く。「大丈夫ですよ。私もここに目的があったので。」えっ。と思い、顔を上げてみる。黒いコートにマフラーを纏ったその人はにっこりと微笑んでみせた。思わず、私もつられてふにゃりと笑い返してしまった。「それにしても、恐ろしいですよね。最近、人が亡くなるニュースがよく報道されてますよね。」と投げかけられ、「ええ、そうですね、本当に酷すぎる。」と咄嗟に言葉を紡いだ。「ここに目的があるとおっしゃいましたよね。それにしても何故このような所に何をしに来たのですか。」「実はここで亡くなったのは私の遠い親戚に当たるんです。だから、献花をしたいと思いまして。」少し伏し目がちにその人は俯いてその跡を見つめていた。「そ、そうなんですか。それは失礼しました。私はこれで。」颯爽と帰ろうとした所を「待ってください。私はもう少し貴方と話してみたいのです。」と言われてしまい。少し迷い、足を止めてその人の動く様を見ていた。献花が終わり、近くの喫茶店に入って2人で向かい合って座っていた。「先程はいきなり呼び止めてしまってすみませんでした。突然の事で頭が追いついてなくて…」それはそうだ、遠い親戚とはいえ、大事な人を亡くしたのだから悲しい思いをするのは当然の事だ。「いえいえ、お気になさらず。私もちょうど暇を持て余していたところなので。」「そうでしたか。見たところ学生さんのように見えたので、引き止めてしまうのを少し遠慮していたので、そう言っていただけて少し安心しました。」そう言った彼女は甘いローズの香りがする紅茶を一口飲み、少しもの寂しそうな笑顔をしていた。「いえ、学生でして。研究の為に街へ出ていたのです。」半分は本当のことで、半分は嘘である。研究なんかしていない。知的好奇心でこの教団事件について調べていた。半ば探偵の真似事である。「しかし、私が学生だってよく分かりましたね。見た所、貴方も私と同じ学生ではないのですか。」「あら、残念だわ。私は学生でも、社会人でもないですよ。そうねぇ…。流浪の民とでも言うのかもしれないですね。」「全くそのようには見えないですがね。もちろん悪い意味ではなく。」「ありがとうございます。私、この社会に疑念を抱いているのです。ですから、この社会の流れに乗ることが嫌なのです。」「どうしてですか。」「今の、この国の社会は人間を歯車あるいは資源としてしか見ていない。豊かに生きるとは名ばかりで、上手く支配をする為だけの口実にしか過ぎないように感じられるのです。ですから、私はそれに反逆したいと思いまして。ね?なかなか不良少女でしょ?」「は、はぁ…?そうなのですかね。」訳が分からない。思わず溜息が出てしまった。「ふふふっ。」と、その女の人は思わず笑い始めてしまった。こうして笑った顔を見ていると少女のような無邪気な面影が残っているようで、かわいらしいなと笑みが自然と溢れるのであった。それからも2人で色々な話をして喫茶店を出た。もう日は落ちかけていて、夕日が私たちを茜色に染めていた。「今日はありがとうございました。」とぺこりと頭を下げたその女の人は先程までとは打って変わって晴れやかな顔つきでいた。「いえいえ、お気になさらず。私も楽しかったですよ。」「では、私はこれで失礼します。これから用事があるので。」と私とは反対方向に歩きだそうとした彼女は再び足を止め、くるりとこちらに向き直した。「そういえば、あまり遅くに出歩くのは控えてくださいね。それと、知的好奇心は時に人を殺す。ですから、この事件について調べることは控えておいた方がよろしいかと思われます。まぁ…どうしようがあなたの判断ですが。」そう言って脳裏に焼き付いた彼女の顔はなにか含みのある笑顔であった。

その晩、私は彼女の言いつけを守らずに外へ飛び出した。おろしたての真新しいパーカーに袖を通して、闇の世界へと溶け込んでいった。今日の月は1層と煌めいていた。その煌めきの中に少女のような魔法を孕んでいるとも感じさせられるほどであった。そんな月にすら見つからぬように群衆の中へと飛び込んでいった。息を潜めるようにして、ひたひたと歩いていく。今日の昼間のビルを横切り、入り組んだ道の先にショッピングモールが現れた。ここは閉鎖された廃墟のショッピングモールである。外装は美しいものの、中は崩れており、所々壁が壊れていた。そんな暗闇の中に何かあるような気がして、できるだけ足音を立てずに奥へ奥へと進んでゆく。なにか声が聞こえたような気がして、すぐさま物陰に隠れた。視線の先には月に照らされるようにして黒い外套を身にまとった人が2人。1人はパーカーを被っており、もう1人は影になってしまい顔が見えない。天井と思しき場所には1本のロープが吊るされており、その下は見えなかった。ひそひそと黒いパーカーの人に黒コートの人は寄り添うようにして立っていた。酷く長く感じられたであろうか、しんとした中に黒コートの声がこだましているように感じた。「大丈夫です。この世界より解放されし者は1人残らずとして真の永遠、幸せを得られるのです。」聞き覚えのある声のような気がしたが、酷く冷たくでも、溺れてしまいそうなほどの甘さを孕んでいた。「…はい。教祖様、私にはこれ以上幸せなことなどありません。」と黒いパーカーから発せられた若い女のものと思われたその声は震えていた。その教祖と呼ばれる女は無気力な声とは裏腹に恍惚そうな笑みを浮かべ泣いている少女に縄を持たせるように誘導していた。少女は首に縄をかけようとした時に初めて顔が見えた。その白く照らされた首筋、顔立ちは月に照らされ、いっそう白く見え、艶やかに靡いた黒髪は肩の上で切りそろえられていた。そしてその濡れた頬、美しい髪を通り、首へ落ち着いた。そしてあるであろう床の上へと飛び降りた。うがぁ、おぁ、ひぎぃあがぁがぁ、うぐ…とても少女だったようなものに思えないほどの声が闇の中にこだましていた。私は思わず隠れてしまった。「ふっ、ふふふ…」ガタガタと震える体とは裏腹にどこからか聞こえる不気味な笑い声に思わず聞き耳を立ててしまっている。コツコツと革靴の歩む音と共に笑い声が近づいてくる。「ふふふ、見つけた。」がたがたと震えながらもその人を顔を見たいという好奇心には逆らえず、目を向けてしまった。見知った顔であった。「あーあ、君には知られたくなかったんだけどなぁ…でも、警告はしたからね?私悪くないわよね?」と手をさし伸ばしてきたので、少し迷い、手を取り、震える子鹿のような足で立ち上がる。「安心して!私は君のことに大変興味があるの。だから、殺したりしない。でも、聞きたいことはあるかなー。」聞きたいこと?この期に及んで拍子抜けしてしまった。「さて、問題です。私はなぜこんなことをしてるのでしょーか!」は???ますます訳が分からない。「ヒントは…そうだなぁ…」私をバカにするかのように、にやにやといたずらっ子みたいな笑みを浮かべるその女。本当になんなんだ。「…過去に何かあったとか…ですかね…。」「んー、まあ、近からず、遠からずとでも言うべきかなぁ…」この手の話題はどうも苦手だ。なぜこんなことを言ってしまったのだろうかと自責しても、時すでに遅し。「んー…君がそういうことに興味がなくても話す義理はある気がするんだよね。なんでかな。私、学生だった時にいじめられてたんだよね。まぁ、自業自得なんだけどさ。で、1回自殺未遂した訳、こんな白紙の上の絵空事に意味なんてないって。この通り失敗したんだけど。しばらくして、ある人と出会って、生きてたわけね。そしたらさ、そいつらに対する憎悪の念も湧いてきちゃって。死にたい癖に殺したい。そう、そんな矛盾した歪んだ愛憎を得るためだけに教祖となり、欲を満たすのよ。」「そんなの間違ってる。そんなことでは何も生まない。それに、世の中は君が思うほど悪くは無いと思う。もっと楽しく生きようよ。」「ふはははは…!面白いこと言うのね。でも残念。貴方には分からないのよ。こんなにも殺されて、殺すことに身を委ねる事の愚かしさがなんたる愉快になるかを。」「そんなことしたら、君の大事な人は悲しむと思うよ。」「だまれ、貴様に何がわかる。私の大事な、そう、神とも崇めていた彼女は死んだ。私を残して死んで行ったのだ。彼女がいれば何でも良かった。なのに、彼女は全てに失望して自ら死んでいった。貴様にその痛み、苦しみ、孤独、何が分かろうか?」ああ、もうカロリーが足りない。頭が回らない。何を言ってるんだろうか。1字1句異国の言葉のように聞こえるくせに、冷たい空気は私を貫いているようだ。いやいや、死ぬかもしれないこんな辞世の句を読むべき時になんでこんなくだらないこと考えてるんだ。うん、人の話聞けないんだな。多分。さて、何を言ったんだっけか。憎み、にくし、肉…肉食べたい…いやいや、違うだろ。「憎しみは何も生まない。」そうだよ。これだよ。好きなアニメの主人公がだな…と言いたいにも言い出せず、そこから先の言葉は何ひとつとして浮かばなかった。「それが出来たら、今更こんなことしてないさ。分かっている。人を殺したところで、自分が死んだところで…自分が…死ぬ…。」彼女はすぐさま走り始めた。私は後を追っていった。広い、寂れた屋上遊園地らしき場所へ出た。遊園地の外を囲むようにしてフェンスで遮られている。彼女はそのフェンスに登ろうとしているところだった。足はわなわなと震えている。意外と運動神経悪いんだな。じゃなくて。「君が死んだところでその罪は償えない。それに、自己犠牲だなんて愚か者のすることだ。」最後にぼそっと「って友人が言ってた。」と言ってしまったのだけれど。多分向こうは聞き取れてない。息が上がって言葉としての原型は留めていないのだから。彼女の足をがっしりと掴む。力尽きたのか、ずっしりとした重みがのしかかってきたように感じた。かのように思われた。逆にフェンスを登るスピードは上がり、気づけばてっぺんに座っていた。あれ、不味ったか…?「私、貴方のこと割と好きよ。それでも、これだけは譲れない。死に方ぐらい選ばせてちょうだい。」そう言って黒天使はフェンスから腕を離して身体を宙へと舞わせた。その顔はなぜか晴れやかであった。空には無数の星が瞬いているのであった。

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