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メイドインアビス第2期 第9話の度し難感想 女王の帰還。復讐を受ける覚悟はあるか?

「かゆい……かゆそす……」

 ひぇぇ……。剥けた皮の向こうに見えているのって、脳みそだよね。なんで生きてるの……。

 とりあえず、背景を見てみよう。レグが歩いている道のようになっているところの向こう側は谷になっている。さらに向こうに「窓」っぽい痕跡が見える。でも形を見ても、「家」っぽく見えない。たぶん、あの辺りももともと街があったけれども、その後に隆起してきた地形に飲み込まれて、窓枠のところだけ残っちゃったみたいな感じかな。
 イルブルに向かっている途中の道だから、確かにこの辺りには廃墟があったはずだけど、第2話に出てきた廃墟とは違うみたい。
 この辺りは地面が石畳ではなく、柔らかい土なので、植物が育っている。やっぱり花や茎がなく、葉だけがひたすら大きくなっちゃってる。植物が恐竜時代以前の雰囲気だ。それもぽつぽつとしか育ってないところを見ると、植物にとっても過酷な環境なんでしょう。

 ファプタと交流するときは、いつも顔を赤らめるレグ。それくらい魅力的なんでしょうな。

 わざわざ後ろ姿で描かれている。一瞬、「どうなってるの?」って思うようなカット。どうしてファプタの腕は落ちないの? よく見ると、ワイヤー部分でファプタの腕をグルグル巻きにしているので、さらに伸ばしている……という状態。

 ファプタはリコがさげている白笛を見て一言。
「ああ、よい姿になられましたね」
 うん? これはどういうこと?
 ファプタは確かに一度、リコの白笛を見ている。第2期第2話、リコ達が眠っているところに忍び寄り、白笛を強奪している。
 次に白笛が発見された時は、イルブルの石細工職人のところだった。
 白笛がなくなっていることに気付いたリコは、ファプタの後を追跡していた。やがてガブールンの足跡を見付けて、それを辿っていくうちにイルブルに辿り着いた……というのが第2話の展開。
 そうか、あの時にガブールンと一緒にイルブルの側まで白笛を届けていたのか。でも、なんでそんなことを?
 そもそもなぜファプタはリコが第6層の獣に襲われないように手配していたのか。この辺りの秘密もそのうち明かされるかもしれない。

 その白笛がクローズアップになるけれど……。
 あれ? 形がファプタっぽくなっている。偶然かな?

 さあレグ君戻ってきました。それを遠巻きに見ているヴエコだけど……。
 元ガンジャ隊のパッコヤンが側にいるよ。気付いてあげて。

「待って。そのまま持っていっちゃ、ダメ。君の友達、買っちゃったやつが、そのね、それ見せたら、たぶん、壊れてしまうよ……」

 これどういうこと?
 まあ、これはそのうち明かされるかな。

 ガジガジ……。猫みたい。

「レグ、書き換えたらファプタ通れない法則、なんとかできるって……」

 火葬砲のことだけど……。要するにレグの機能は、第6層の生態系を破壊する力を持っている。第6層の生態系はただひたすらに凶悪だけど、火葬砲はその上位にある存在になっている。でもガブールンにはその力はない。するとレグは特別な1体ということになる。

 ついに見つかっちゃったヴエコ。頭に被っているのは、パンツだって。ああ、言われてみればパンツを逆さまにしたやつだわ。パンツを逆さまに履かせる、なんていいアイデアを考えたものだなぁ。

「あなたのことはよくわからないけど……私、この村は好きよ。私と似てるって感じる人がすごく多いの。オースにいたときよりもずっと……」

 アビスに最下層を目指す人って、やっぱりどこかおかしい。地上であるオースの街に住んでいる普通の人たちの感性からすると、正気じゃないと見られてしまう。オースではリコはずっと「ヘンな子」扱いだった。
 でもここはアビス6層……。ここまでやってくる人たちは、もう帰ることはない。その覚悟を決めた人たち。イルブルはどこか狂った場所だけど、リコの感覚からすれば「自分の同類」が一杯いる……みたいに感じられる。というか、これだけ「同類」がいるということに、嬉しさすら感じていたのかも知れない。だからこの村が好きなんだ。
 ここを「旅の終わり」と決めた探掘家達も、ここでようやく「仲間」を見いだせたから、異形になって留まることを決めたのかも知れない。地上にいたら、アビスの最下層を目指したいなんて、誰も正気だと思って受け止めてくれないから。

「あの、あの、ワズキャンさん。あなたのことはよくわからないって言ったけど、一つだけわかることがあって。あなたが何もかもを犠牲にしてでも、踏みにじってでも叶えたかった願い。それがこの村……行き場を失った人たちの故郷を作ること。……のはずがないと思うんです。あなたが目指した黄金郷がアビスにあるとしたら、深界6層はまだ入り口……。途方もない探求を価値に持つあなたが、入り口で終わりを選ぶわけがない。あなたはどうして冒険を諦めたフリをしているの?」

 勘の良い少女だ。

 そうか、ワズキャンは本当はもっともっとアビスの奥へ行きたかったんだ。でもたぶん、ガンジャ隊の仲間達が精神的限界を迎えていたし、特にベラフを救うためには、ここで留まらなくてはならなかった。ワズキャンは仲間を助けるためにここに留まった。
 でも本心は、もっともっと奥へ行きたいと願っていた。アビスの深淵に行き着きたいと思っていた。

 実はイルブルにいる人達も似たような気持ちでいた。ムーギィもイルブルで安らぎを得たものの、本当はもっと奥地を目指したい。探検していた頃の記憶、その時の気持ちはいまだに夢に見続けている。
 ここで本心を打ち明けられる友と一緒にいたい。でもそれが罠だった。友と一緒にいたい……という想いとは裏腹に、誰もがさらにアビスの奥底へ目指したいという欲求も持っている。でもここで異形になると、出られなくなってしまう。
 友か憧れか……。過酷すぎる第6層において、セーフゾーンでもあるイルブル。探掘家達はそこで留まりたいという欲求には抗えなかった。

 アビスは狂気の土地だけど、第5層まではまだイージーモード(第5層はあんなところだけど、まだ食糧確保が可能なレベルだった)。第6層以降は呪いで人間性を喪失するような場所。死か狂気かしかない場所。イルブルはそんな第6層の、一番浅いところでしかない。
 そんな場所に留まることになってしまった。しかもイルミューイの腹の中からもう外に出ることができない。でも本当は、本音はもう一度冒険を再開したいという気持ちがあって……。

 ああ、度し難い。ここにいる人達は、まだこの地獄のさらに先を目指したいのか……。

 ところで、イルブルの村が作られて150年か……。
 ワズキャンがガンジャ隊を率いていた時代というのは、おそらく大航海時代の末期。世界地図が埋め尽くされて、もう世界に冒険の場がないと思われていた時代だ。一方、リコの時代では蒸気機関が登場している。産業革命以後の世界。大航海時代末期から産業革命が起きるまでの時代変化があったから、150年くらい……という感覚で合ってるのかな。

 ただ、アビスは底の方へいくほどに地上との時間感覚がズレていく。ワズキャンの言った「150年」はアビスの地底で数えた年数なのか、それとも地上からやってきた人たちから聞いて推測した年数なのか不明。
 それ以前に、第6層にはどうやら「夜」がないらしく、どうやって日数を数えたんだ? という疑問もあるし。

「あのワズキャンさん。私に欲望の揺籃の力を使わせて、この村の人達をもう一度冒険に出られるようにするつもり?」

 ということは、ワズキャンはリコを犠牲にするつもりで……。度し難い男だ。

 でもそれをイルブルすべての住民に課させられるものなのか?
 強い人間なら、さらに奥地を目指したいと思うだろう。でも、6層までやってきたものの、もうウンザリだ……とイルブルで永久に生き続けたいと思う者もいるでしょう。セーフゾーンを必要とする人達もいるはずだ。強い人間の基準に合わせるわけにはいかない。

「少年。“アレ”の狙いはお姫様の部品よ……」

 そうか、ヴエコはレグと一度顔を合わせたけれども、まだ名前は知らない……いや、リコが何度も「レグ」って言っているか。まだ名前を呼べるほど親しくないってことかな。

 ところで「ジュロイモー」は元になっている「人間」はいない。イルブルが生み出した産物。イルブルの一部……である。しかも「ジュロイモー」の名前はヴエコを引き取り、毎日のようにレイプしていたクズ男の名前。ヴエコが一度もその名前を口にしないってことは、口にすること自体、嫌悪感があるんだろう。
 ヴエコがイルブル全体に流れる意識の信号を読み取っていたように、イルブルもヴエコの脳内を流れる信号を読み取っていた。そこから、ヴエコがもっとも嫌悪する暴力の象徴を具現化させた。ヴエコにとってあのクズ男・ジュロイモーはあんな怪物に見えていた……ということだろう。

 あんまり勢いに乗っていたように見えないけれど、壁に穴が開いちゃった。ひょっとすると、硬度はさほど高くないのかも知れない。だからイルブルにやってきた人でも、加工して回廊や階段を作れたのかも。

 さて、ジュロイモーによって道という道が塞がれて、全身を掴まれて動けなくなり、ジュロイモー自身は誰もいない壁を背にして立ち尽くしている……という状態。
 どう見ても「誘導された」状態。ワズキャンもジュロイモーも一つの意思で動いている。

 レグの選択肢はもう火葬砲を撃つしかない。火葬砲を撃たねば、自分も、リコ達も危ない。でも、どうみても「誘導された」状態。「なんかおかしいぞ」とレグも思っている。でも火葬砲を撃たねばならない……。

 すると……来ちゃった……。

「……お前達……許さん。兄弟、ファプタを、美味そうにねめ回したお前達の目を許さん。お前達の口を、母と同じ言葉を使い、祈りを吐く。その口を許さん。お前達の姿を許さん。我が身可愛さに母を冒涜し続けた、お前達のそのながらえ続けた命を許さん。お前達の意思も許さん。喜びも悲しみも営みも断じて継がせはしない。塵芥の一つに至るまでお前達の存在を決して許さん。全てを忘れぬために生まれたこの日を、この時を、どれほど待ちわびたか。覚悟する間も許さん。……根絶やしにしてくれる」

 名芝居である。
 やっぱり恨みは忘れてないか……。ずっと産んだ子供を取り上げて食べちゃっていたことを恨んでたか……。母親の胎内を乗っ取って、削って住処にしていた……ここで生きていること自体が恨みの対象になってしまっている。
 これはどうしようもないな……。
 『キル・ビル』にはこんな台詞がある。「彼女には復讐する権利がある。俺たちには復讐を受ける義務がある」――まさに今がその状況。ファプタには復讐する権利がある。イルブル住人には復讐を受ける義務がある。

 ニワトリが毎日卵を取り上げる人間を恨むだけの知能がなくてよかった。
 食べるということは、そういうことでもあって、牛の飼育小屋では子供が生まれるとすぐに母親から引き離し、小さな囲いの中で暮らさせる。歩き回って足腰が丈夫になって、動き回らないようにするためだとか。それで、ある程度育つと殺して食肉工場に運ばれていく。成牛になる前にだ。肉を食べるという行為を「工業化」していくとそうなる。
 私たちはそういう一番エグい局面を知らず、腑分けした肉を、綺麗にパックされたものを、美味い美味いとか言いながら食っている。私たちみんなが平等に牛肉を食べられるように、日々小さな囲いの中で牛が育てられ、屠られ、腑分けされている。
 もしもニワトリや牛が人間を恨んでいたら……。その時、人間は恨みを受けるだけの覚悟はあるのか?

 でも、あれ? イルブル住人は恐れるどころかむしろ歓喜を上げている。
 価値の化身であるファプタがそこにいることが嬉しいからか。
 いや……殺されたかったのか? むしろ復讐を受けることを望んでいたのか?

「ミーティ……オイラ、夢を見ていたんだ。オイラにはさ、すげー頼りにしているやつがいてさ、オイラはそいつについていって探しに行くんだ。それで、何を探していたんだっけ。そうだ。よく似ているって思ったんだ。オイラ達とぜんぜん似てないのに……。そんでな、2人は、そんで、ようやく見付けるんだ。……宝物。ずっと……ずっと見詰めていたかったんだ。……夢でも……夢でも、いいから」

 ナナチは夢の中で、ガンジャ隊達の姿を見る。ナナチはガンジャ隊の1人になったつもりでいて、彼らにリコやレグの姿を当てはめていて……。特にヴエコとイルミューイの姿はナナチとミーティに重なる。

 さてこの夢、単に情緒的な演出なのだろうか。それとも、このイルブルの中で眠るとこんな夢を見るようになるのだろうか。もしもこんな夢を見るようになって、その結果としてイルブル住人に共通した意識が共有されていくとしたら……。
 後からやって来た探掘家達も、こんな夢を見て、やがてファプタを崇めるようになっていったとしたら……。

「目覚めの時が来た。ナナチ、ここから先は夢ではない」

 “イルブル”という夢の楽園はここで終了。夢から醒めるときがやって来た。先送りし続けていた「制裁」を受けるときがやって来た。現実を受け入れよう。ここは「第6層」という名の地獄だ。

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