心が叫びたがってるんだ_75daee1e4c5799044c2cc03e52edf434

映画感想 心が叫びたがってるんだ。

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 パソコンが壊れて以降、することがなくなってしまった。否。何もできなくなった。
 バイトはやがて決まったものの、家に帰ってからが暇。することが……じゃなかった、何もできない。金がないから何も買えないし、どこにも行けないし……。すまーとほんも持ってないから(当時)、暇つぶしもできない。
 予定がなにもできない。
 最初のころは部屋の大掃除なんてやっていたけれども、それも終わってしまうと本当に何もすることがない。暇! 暇! 暇!
 そこでふと思いついた。HDレコーダーに録画したまま、それきりずっと見ていなかった映画が結構あった……。以前は忙しくて、テレビの前に座っている暇もなかったから、すっかり忘れていた。
 改めて確認すると、録りっぱなしになっていたものが結構な本数で溜まっている。
 というわけで、暇を消費するために、テレビでやっていた映画を見るのだった。

 その第1弾!

心が叫びたがってるんだ。

 全てにおいて、「悪くはないけれども……」と言葉を濁したくなる映画。

 冒頭。主人公の成瀬順は子供のころ、元気でおしゃべりな女の子だった。……それがある過ちを犯してしまい。
 という始まりから岡田磨里節。わりとラディカルなネタをぶっこんでくる。はじめは苦笑いだったが、それが「ああ……やっちまったか」と苦い気持ちにさせてくる。幼い子供には、きっと何が起きたかわからず、しかし呪いを受けたような気持になるだろう。

 その“呪い”を受けるシーン。成瀬順の前に卵が現れるが……なぜ卵なのか? 物語中にも確かに卵に関する民間信仰が語られるが、とはいえ主人公との関係が薄い。民間信仰が物語にあまり深く絡んでいるようには見えないのに、成瀬順の人生に、幻覚として姿を現してくる設定に違和感がある。
 それに、卵の登場シーンがファンタジーになっていない。恐ろしくも可愛くもない。出来の悪い実写映画を見ているような気分だ。ただロケハンした風景に、卵のキャラクターを乗せただけだもの。アニメだかこそ、こういう場面に絵の力を押し出していくべきじゃないか。しかし作品を見ていると、どこにもである日常世界を背景に、卵のキャラが出てくるだけ。ビジョンのない実写作品のような見せ方になっている。
 卵のモチーフは、きっと“殻を破る”という意味で、卵に呪われることは閉じこもること、そこからの離脱は卵の殻を破る……ということを言いたいのだと思うが。
 だとしても扱い方が中途半端で、作品全体を支配している力としては弱い。

 次に、いっきにクライマックスの展開についての話になるが、結局は主人公成瀬順のエゴの話でしかない。周りが善人でいろいろ手を焼いて、なのに成瀬順は……と「こいつ面倒くせぇ」という印象しか残らない。面倒くさい主人公が、最終的にはなんだかんかでハッピーエンドになって……と、そこで感動させようという意図が見えすぎて、鼻につく。
 最後の最後で成瀬順は普通に喋り始めるが、卵の殻のモチーフはどこへ行ったのやら。葛藤を乗り越える物語なら、主人公が最初にトラウマを受けたもののところへ行き、そこに向き合わなくちゃいけないでしょ。要するに、あのお父さんを一発殴って、それから話を進めてほしかった。あのお父さんがトラウマ・呪いの元なわけだから。成瀬順は物語中では何にも向き合っておらず、決着も付けられていないのに、なぜか立ち直ってしまう。入り口と出口がまったく違うのに、なんとなくで「良かった」ということにしてしまっている。ここにスッキリ感がない。
 そもそも、舞台劇が始まったところで「成瀬がいない!」と探しに行く展開、最終的には説得を終えて舞台劇のラストシーンに間に合うが……いや、無理がある。自転車で全力疾走してお山のラブホテルまで行くわけだが、行くだけでも結構な時間がかかるはず。車で走っても舞台劇が終わるまでに戻るというミッションは達成できそうにない。
 ここも、最後には戻ってきて感動させようという狙いだな、と作為が見えすぎてしまって、鼻につくポイントだった。

 と、こう書くと、あたかも「何もかも悪い」と取られそうに思われるが、そういうわけではない。一流のスタッフが集まって作った作品だから、クオリティ自体は高い。レイアウトが非常にしっかりしていて、絵に破綻がない。キャラクターの動きもしっかりしている。日常芝居がものすごくしっかり描けている。基本的なポテンシャルは非常に高く、見ていて感心する場面は多かった。映画の最後まで、すっと見ることができる。
 ただ、肝心なドラマの組み立てが弱い。微妙なところで詰めが甘さが目立ってしまう。見ていて、惜しい、もったいない、と思ってしまう作品だった。
 だから「悪くはないんだけど……」と言葉が継げなくなってしまう映画だった。

 余談話として、この作品に限らず、「とりあえず中学生、高校生にネガティブなセリフを言わせとけ」という感覚は何だろう。いや、なぜなのかは知っている。ああいう描写、セリフを言わせたほうが“リアル”だ、と思っている制作者が多いからだ。また、ああいう書き方は脚本家岡田磨里の手癖でもある。
 今回の作品『心が叫びたがってるんだ。』においては違和感がある。坂上拓実の周りにいるモブっぽい友人たち。一方ではネガティブなセリフを言わせておいて、ある場面においては突然協力的になる。この不自然さ。君たちのアイデンティティはどっちなのさ、と問いたくなる。
 これも最近の邦画にすごくありがちな描写だけどさ。
 確かに、実際、中学生や高校生は世の中がわかってないし、身の程もわきまえていない。要するにバカだから、世の中を上から目線で語ってしまうところがある。私にも覚えがある。
 でも、物語の作り方として、「リアルだと思って中高生にネガティブなセリフ言わせとけ」というのは、実は悪手なのだと、書いておきたい。
 まず第1に、キャラクターの軸がぶれる。君たちはどっちの側にいるんだ、というのがわからなくなるし、作り手も多分、いい加減に作ってるんでしょう。
 第2に、登場人物のIQは高めにしておいたほうがいい。なぜか? 展開が早くなるからだ。登場人物が馬鹿だと、事件が起きてももたもたして話が進まない。主人公が馬鹿だと、「何が起きたの? どうしたの?」とひたすらまごまごしているだけ。ネガティブな性格にしていると、登場人物が事件と向き合うのに時間がかかるというか、事件に向き合う理由を描写として書き入れなくてはならなくなり、面倒くさい。坂上の友人たちは、特に切っ掛けもなく色んなものに肯定的になるから、ひどく気持ち悪いキャラクターになっている。
 登場人物のIQを若干高めにしていると、話の展開が早くなる。1時間かかるお話が、30分ほどにまとまる。展開がスムーズになり、そのぶん物語が濃密になる。いろんなテーマを語る時間が取れる。
 あと、作り手が中学生や高校生という年代を若干馬鹿にしてるんだろうな、という感じも出ている。作り手側の見下しが一番にあるんじゃないか、と私は見ている。
 ……そうは言っても、IQの高い物語の書けない脚本家岡田磨里には難しい話かもしれない。

 もう一つ、この作品にちなんだ話。
 『心が叫びたがってるんだ』のお話を聞いたときは、なんだか感慨深い気持ちになった。『あの花』こと『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』が高く評価され、それがそのまま『心が叫びたがってるんだ』に繋がったからだ。原作のないオリジナルアニメが高い評価を得て、商業的にも大成功。監督長井龍雪、キャラクターデザイン田中将賀、脚本岡田磨里、この座組を変えず、劇場オリジナルのアニメーションが制作される。良い作品を作れば、必ずさらにより良い“次”に繋がる。これをきちんと証明してくれた作品になった。
 しかもだ! なんと声優がすべて本職!
 長らく、劇場で制作されるアニメーションは声優経験の全くない“タレント声優”(おかしな言葉。声優も広義のタレントだ)が務めることが決まりごとになっていた。なぜならば、そうやって一般層への知名度を高めないと、莫大な制作費になる映画の予算を回収できないからだ。
 アニメ映画の製作費は、どんなものでもテレビシリーズ2クールぶん以上にお金がかかるもの。それを回収しようと思ったら、いわゆるなコアなアニメファンだけでは到底無理。なぜなら、“コアなアニメファン”なんてものは言うほど数がないからだ。
 そこで一般層に興味を持ってもらうために、知名度を優先してタレント声優を起用する。予算は通常の“声優のギャラ”とは別に“宣伝費”として組まれる。
 マスゴミ……いやいや、一般マスコミというのは、知名度が高い人の周囲にイナゴのように集まってくるもの。“有名タレントが出る”――ただそれだけのことでも、ありとあらゆるテレビ番組、新聞、雑誌が集まってくる。宣伝効果は意外と高いのだ。
 ところがそうやってできあがったものはお世辞にも出来のいいものとは言えない。声でキャラクターを表現できていないどころか、ろくに口パクすら合わせられていない。『いぬやしき』というアニメを見たとき、「実写界隈の俳優、大丈夫か?」と心配になった。あまりにも演技力が低すぎた。芝居が下手という以前に、活舌自体怪しかったし。
(『いぬやしき』のあの俳優が、「いま日本を代表する俳優」と後で知り、実写の業界やばいのでは? と危機感を抱いた)
 知名度と実力は比例しない。日本はなぜか、メジャーなものほどレベルが低く、ほとんどの人がその状況に異議を挟まないというか、気づきもしない。つまり、誰もクオリティなんぞ気にしないってことだ。
 しかし大きな予算は回収できないから、芝居に関する問題はあきらめる。これが、オリジナル劇場アニメのクオリティを落とす原因を作っていた。
 でも、『心が叫びたがってるんだ。』はちゃんと本職声優。この効果はなかなか大きく、物語の展開には引っかかるところがあちこちあったのだけど、すっと見られたのは芝居がちゃんとしていたから。
 本職声優がずらっと占めているのに、いわゆるコアなアニメファンだけではなく、普段はアニメを見ないような一般層も作品を見て、多くの人が感動した(ついでに夜9時台といういい時間にもテレビ放送された!)。これは大きい。「あの有名タレントが出ているから見に行く」ではなく「あの有名タレントが演じているから感動できる」でもなく、みんなフラットな状態で作品を見て、純粋のクオリティの高さに感動したわけだ。

 『心が叫びたがってるんだ。』はその次回作『空の青さを知る人よ』に繋がる。良い仕事をすると、必ずよりよい“次”に繋がる。そのお手本を示したような形になった。
 が、しかし。予告編などを見ると、「『あの花』『ここさけ』のスタッフが……」がという紹介のされ方をしている。いや、名前を出してやれよ。監督の長井達雪といえば『とらドラ!』『とある科学の超電磁砲』『鉄血のオルフェンズ』などアニメ界隈で知られた作品多数。実力、知名度ともにかなり高いほうに入る監督だ。
 なのに映画の宣伝ではその名前が出てこない「〇〇のスタッフが」で省略されている。これはつまり、制作プロデューサーが長井達雪の名前がブランドとしての効果がない。あるいはブランドとして売るつもりがない……と判断したためだろう。
 これだけキャリアがあるのだから、そろそろ名前だけで作品売って、名前だけでも製作費が集まるくらいになってもいいはずなのに。
 そうはいっても、ちゃんと作品が評価され続けている監督だから、仕事が途絶えることはきっとないし、もしかしたら次のオリジナル映画にバトンを引き渡せるはず。長井監督のこれからにも期待していこう。

 と、今回の映画感想は、映画そのものよりも、映画の周りの話のほうばかりになったが、でもそこも気になったところだったので、書かずにはいられなかった。
 雑なまとめとして、『心が叫びたがってるんだ。』はそんなに悪い作品ではない。むしろ基本的なクオリティはしっかりしている作品だ。見て損はしない作品なので、おススメだ。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。