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1月23日 【雑談】無趣味な人とは話しづらい。

 ラジオで「親との対話は難しい」という話をしていて「ああ、そうだな……」と共感する。

 私の父はまったくの「無趣味」な人間だ。もう結構なトシなので、かなり前に引退して、老後生活を送っているのだけど、何をしているのかというと1日中テレビを見ている。テレビを見て楽しんでいるか……というとそうではなく、毎日「つまらん、つまらん」と言いながらテレビを見続けている。テレビ以外のなにかをすればいいじゃん……とは思われそうだけど、テレビを見る以外の娯楽を知らない。
 どんな番組が好きなのか……というとまずドラマはダメ。ストーリーを理解できないし、それ以前に「虚構の物語」を許容できない。難しい書き方をしたが、「空想のお話し」を理解できない。父にとって大事なのは、そのお話が「事実であるかどうか」。事実に基づかない物語はみんな「下らない」と切り捨ててしまう。かといって事実に基づいたしっかりしたドラマを観られるか……というと観ていても10分ほどで集中力が途切れてしまい、自分のお喋りが始まってストーリーがわからなくなってしまう(お爺ちゃんだから集中力がなくなったんじゃなくて、もともと集中力がなかった)。映画なんて1本最後まで集中して観たことはないのかも知れない。(本は間違いなく人生で1冊も読んだことがない。なぜなら漢字が読めないからだ)
 空想のお話しがダメ……なら当然芸人のネタもダメ。音楽ダメ。スポーツダメ。なんだったらわかるのかというと田舎を旅行するバラエティとか、ちょっと意外な知識を与えてくれるプチ教養番組とか……。そういうものしか理解できない。それも長いものになると、すぐに集中力が途切れてわからなくなってしまう。

 と、父はこんな感じのかなり本物の「無趣味」な人だ。
 こんな父と対話しようにも対話のとっかかりがまったくない。どんなお話しもラリーが続かない。父は教養らしい教養がないから、話していても奥行きがまったくない。お話しが続かない上に、お話しが面白くない……とかなりどうにもならない。
 ここまで文化観が違ってくると、ほとんど「言語観」すら違うみたいになってくる。同じ日本語だけど、日本語の対話がほとんど通じない……そういう感じになってくる。
 親との対話が難しい……という以前に、完全なる無趣味すぎてお話しができない。

(……私は誰に似たんだろうね)

 私は普段は引きこもりニートだが、いつも引きこもりニートをやっているわけではなく、お金が必要なときはわりと外に働きに出ている。働きに行った先で、まあいろいろ話をする。私の得意分野はアニメ・ゲーム・映画といったところだけど、なんとなれば歴史、文化、宗教といった話もできる。普通の職場の普通の人よりもやはり知識はあるほうなので、お話しの引き出しはいくらでもある(ニートだけど、その程度の“社会性”はあるのよ)。
 もちろん苦手分野はあって、音楽やスポーツの話はまったくダメ。芸能ニュースもまったくダメ。「最近人気のアイドル」とか言われてもまったく知らん。
 若い人ともよく話をする。若い世代はだいたいみんなアニメやゲームをやっているので、この話題ならいくらでも話ができる。若い人と仲良くなれる切っ掛けになるから、アニメやゲームをやっていて良かったと感じる瞬間だ。

 私が10代の頃はアニメやゲームは同世代も「くだらないもの」と切り捨てていた。「将来なんの役に立たない」と。「意義のあることだけをやれ」という感じがあった。(子供はいつも不安を感じているから、自分がやっている行動が「将来役に立つかどうか」をやたらと気にする)
 つまり、前世代の人たちが権威付けしたものだけが「良いもの」であって、それ以外は「役に立たないもの」だった。でもそんなふうに言っていた人たちが無趣味のつまらない人になっていく。自分で良いもの、そうでないものの価値意識を持てなかった人が「つまらない人」になっていく。

 よくネットで、「漫画やアニメが日本を代表する文化な訳ないだろ! あんなものを見ているのはオタクだけ! 恥ずかしい!」とか高圧的に言っている人っているでしょ? ああいうの言っているのだいたいオッサン。若い人じゃないんだよ。自分で価値意識を持てなかったオッサンが時代の流行を妬んでこういうことを言い始めてしまう。

 今の若い親世代は、自分の子供世代とアニメやゲームやアイドルの話ができるという。羨ましい話だ。私の親世代はそういうのがまったくできなかった。私だけではなく、私と同世代くらいの人ほぼ全員がそうだ。私と同世代の親たちはみんな「アニメやゲームはつまらん!」というのが共有認識だった。
 じゃあ、どういう文化が良い文化なのか? ……そう尋ねても何も答えられない。それが私たちの親世代。私から見ると、ただひたすらに空虚。
(そういう人たちが「良いもの・悪いもの」の権威付けをやっていて、その価値意識が正しいと私の同世代人たちも考えていた)
 それで私が住んでいる地域の一番の娯楽がパチンコになっていく。70代以上が7割という地域だからね。アニメやゲームもダメ、テレビもつまらない、映画も理解できない……自分たちが唯一理解できる娯楽はパチンコだけ。そういうのが私たちの親世代。
 いや、私の父はパチンコのほうにはいかなかったけどね。パチンコすら楽しめないくらいの無趣味だから。いや、ほんとう、「かなりすごい無趣味」というくらいの無趣味。

 よく聞く話に「親から影響を受けたもの」とか「親の影響で始めたもの」というものがあるけど、私はそういうものがまったくない。いや、私たち世代はみんなそういう経験がない。アニメやゲームといったものは親や大人から徹底的に毛嫌いされ「やめろ」と言われたものだった。それが今や私たちを語る文化にすらなってしまっている。
 親から影響を受けたものがまったくなく、それ以前に親がまったくの無趣味なので、親からなんの影響を受けずに育ってしまった。そういうわけだから、私は親とまったく違う文化観の人間になった。思想が違う……という以前に、普段の振る舞い方もまったく似ていない。(それ以前に、私たちの親世代には「思想」なんてものはなかったけどね)
 遺伝学の世界では、趣味嗜好も遺伝でだいたい決まる、だいたい親と似たような趣味を持つことになる……という話だけど、私はそれには当てはまらなかった。私みたいなサンプルも存在する。

 今の若い世代の親子はいいよね。趣味の話で繋がっていられる。一緒にアニメイベントやアイドルのコンサートに行った……なんて話しもよく聞く。いいなぁ、そういう親子関係。親から影響を受けて、アニメやゲームが好きになって、さらに深めていく。そこで継承される文化というものもきっとあるだろう。私にはそういうのが一切なかったなぁ……。趣味があるとそんなふうに語り合うことができる。私たちの親世代は最後まで理解できない感覚なんだろうなぁ……。

 なんにしても無趣味の人とは話ができない。話をしていてもぜんぜん続かない。趣味を持つとは文化を持つことで、その文化を持たない人、というのは同じ言語であってもほとんど外国人と接しているみたいになってしまう。無趣味な人はなんの話をしていても奥行きが出てこない。趣味を通じて自分自身についても語れないし(何が好きか、とか)、その趣味から得た知識も何もないわけだから。
 話ができるようになるためには、趣味を持ってもらわないとどうにもならないな……とか思うのだった。

 無趣味な人と話しづらい。


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