見出し画像

2020年3月21日 とらつぐみとかいうクソ絵師の駄目絵を見ながらあれこれ言おうぜ。~抽象度のコントロールについて

こちらはノートからの書き起こしではなく、新規の記事となります。書いた日付と掲載日がずれているのは、画像の準備が遅くなったからです。

 今回はFacebookに投稿した内容のまとめです。
 とらつぐみFacebookはこちら→Facebook:とらつぐみ
(以前紹介した時からURL変わっています)


 それではとらつぐみとかいうクソ絵師の絵を見ていきましょうね。
 ではこちらの画像を。

2020年4月17日作成 こなた2枚セット

 あひゃぁ~ひどいですね、これは。ご存じ『らき☆すた』の泉こなたちゃんですが、完全に絵として破綻しています。絵がひどいというか、不気味ですね、コレ。
 どうやらとらつぐみとかいう奴は泉こなたちゃんが好きだったらしく、絵描き引退前にちゃんとしたこなたちゃんを描きたいと思っていたらしいのだけど、できあがったのはこの絵。いや、本当にこなたちゃんが好きだったかどうか疑わしいレベルでクソ絵ですな。

 この絵に限らず、この頃のとらつぐみの絵を俯瞰して見ると、どの絵も不気味。なぜ不気味に感じられるのか――それは抽象度のコントロールに失敗しているから。4頭身くらいしかないキャラクターをこんなにリアルな質感を載せて描いたら、「リアルな質感」と「漫画風の顔・あるいは体形」の間に齟齬が生まれるのは当然。いわゆる「不気味の谷」に陥る原因になる。
 特に3枚目の立ち絵。顔のそばに持ってきている指の表現がやたらと生々しく、顔の質感と合っていない。これだとリアルな人間が着ぐるみの頭を付けているかのように見える。

 描いているとらつぐみも、どうやら自分でもおかしいと思っていたらしいね。
 これはおかしい。顔だけ着ぐるみみたいだ……とそう思っていたっぽいね。
 でも描いている最中に是正できなかった――自分の絵がアンコントローラーブルに陥っていた。

 泉こなたちゃんを描くのは最後。だからとにかく可愛く、力一杯描くぜ! ……というつもりだったのに、できあがったのは超不気味なバケモノこなただった。
 なに考えているんでしょうね、とらつぐみって奴は。アホなんでしょうな。


 ほい、次の絵を見ていきましょう。

2020年4月17日作成 体操着千反田える

 この絵のどこが駄目か、一目瞭然ですよね。顔と体の質感があっていない。体はこれまた超リアル。写実的に質感をモリモリ載せて作り上げているのに、顔だけがのっぺり。先ほどの泉こなたちゃんよりも重症。これでは写真にアニメ顔コラージュしているようにしか見えない。
 あと下半身ちっさいわ! この頃のとらつぐみの謎手癖として、下半身がやたら小さいっていうのがあった。バランスおかしいし、女の子キャラだと色気に欠ける。
 とらつぐみはなぜこんな奇妙な絵の描き方をしたのか?
 この時、「元キャラクターのイメージを壊してはならない! 特に顔は絶対に! アニメで見た顔をそのまま再現する! オリジナル要素は入れない!」とか思っていたらしいよ。
(そうそう、大事なポイントとして書いておかないといけない情報が一つ。カラーはアニメの絵からそのまま取っている。アニメで使われていた色と一緒。他のアニメキャラ絵も、アニメ版と同じカラーで絵が作られている。そこも一致させることにこだわっていた。)
 でもできあがったのはこの顔。顔だけのっぺりしたアニメ顔で、写真にアニメ絵を貼り付けたようにしか見えない。顔のフォルムもだけど、輪郭線の縁にハイライトを入れているのがより「顔と体が合っていない」感じを作り、絵全体から浮いてしまった。当時のアニメトレンドでは輪郭線の縁にハイライトを入れることだから、それを遵守したようだ。結果、こうなった。
 描いている最中もとらつぐみは「これはまずい……顔だけ浮いてる」という気はしていたけど、相変わらずアンコントローラーブル状態だったから軌道修正できず。
 結果、こんな不気味な絵が出来上がってしまった。

 では次の絵を見ていきましょう。

2016年4月11日櫟井唯pixiv公開用A

 これは今から4年前に描かれたイラストのようだね。さっきの絵よりも何年か前。絵柄が変わってしまう前に描かれたもののようだ。
 とらつぐみはこれを描いた当時、「全身の質感、存在感がいまいちだ……」と感じていたらしい。確かに服の皺や光の感触が全体的にのっぺりしている。これだと絵を見てもぜんぜん感動しない。

 でも、いま改めて最新のイラストと2枚並べて比べて見るとさ、過去作の方が明らかにいい感じに見える。顔と体、ちゃんと一つのスタイルの中にまとまっている。後の作品のように分離していない。最近の作品はクオリティは上がったけど、クオリティは上がったはずなのにむしろ逆に完成度が落ちているような気がする。

 どうしてそんな感じがするのか。それが抽象度の問題。千反田える体操着イラストは、顔と体の抽象度が一致していない。これが違和感と不自然さを感じる理由となっている。絵が「不気味の谷」に陥っている原因だ。
 過去作の絵は、使われいる色彩、影のパターンがシンプルで、顔・体の抽象度が一致している。
 当時はわかっていたのか? いやいや、そんなはずはない。当時は未熟だったから、うまく描けなかったから、ツールを使いこなせていなかったから、かえって違和感の少ない絵になっていた。
 これはファミコンが絵の表現力が低かったから、だからかえって表現のおかしいところに目がいかなかった……それがスペックが上がってきて同じ絵を作ろうとすると違和感になって立ち昇ってきた、という最近のゲームが陥っている同じジレンマを絵で再現してしまった……みたいな感じだ。
 残念ながらとらつぐみは馬鹿だったから、抽象度の問題を意識的にコントロールして絵を描くことができなかった。千反田えるイラストを描いたときは、それが末期の末期。一見して技術が上がったように見えて、実はどんどん駄目イラストの貫穿に陥っていた。


 さて余談だ。
 アニメ顔はかなり独自の抽象度を持っている。と、最近ゲームの映像を見ていて思うようになった。なぜゲーム映像を見ていて思うかというと、ゲーム映像はふとすると「不気味の谷」に陥りやすいからだ。アニメなんかは表現として成熟しているし、それ自体が抽象そのものだから、よほど冒険しない限り成立するメディアだが、ゲームはよく「不気味に谷」に陥りやすい。
 まずは「駄目な例」を紹介しよう。

Tales of Arise - E3 Announcement Trailer | PS4, X1, PC

https://www.youtube.com/watch?v=ltVgvd-Me6A

(noteの仕様上、YouTubeの動画が貼り込めません。気になる人は上のURLから観に行ってね)
 えーまだ発売前のゲームについてどうこう言うべきじゃないけども……。まあ私のブログなんて4人くらいしか読みに来ないから販売本数に影響とか何もないでしょう……と判断した上でこの動画を「駄目動画」の一例として取り上げる。
(悪意を持って書くつもりはないよ。少々のツッコミです)
 何が駄目なのかというと、顔。いや、アニメ顔が生理的に好みの問題で駄目……という話をするわけではない。アニメ顔の質感が、世界観・キャラクター全身の質感から浮いちゃっている。衣装とか細かいところまでがっつり描き込んでいるのに、キャラクターの顔だけが線でのみ構成されている。動画最初の足元のクローズアップとか、なかなかかっこよくできているけれども、顔が映ると途端に「あれ?」ってなる。顔が能面みたいに見えて、いかにも「描いてます」みたいな顔になっている。
 そう見えるのはアニメ顔が線で構成されているからだ。一方、体は面とシルエットで表現されている。だから線で構成されている目・鼻・口がその中で浮いてしまいがちになる。さらに大きな世界観の上に立たせると、顔ののっぺりした質感がより強調されて浮いてしまう。とらつぐみが絵で犯していた失敗と同じところに陥っている。

 ゲームがこういった「不気味の谷」に陥りやすいのは、すべてをCGで構築しているから。アニメはシルエットや陰影に様々な嘘をついている。可愛いキャラクターのアニメは影もさらっと描くし、リアルなキャラクターの時はむっちりと影を描き込む。アニメーターはそういう心得を持って絵を一つ一つコントロールして仕上げているが、デジタルはそのコントロールが効かない。すべてにリアルで正確な光を当ててしまう。リアルにシミュレートされた絵が出せてしまう。だからこそ不気味になりやすい。

画像4

 逆に、アニメスタイルで優れた成功例がある。任天堂の傑作『ブレスオブザワイルド』がそれだ。この作品における、キャラクター世界観のマッチ感は見事だった。
 なぜ『ブレスオブザワイルド』のアニメ顔には違和感がなかったのか。もちろん「好みの問題」の話ではない。まずキャラクターの顔。線の印象はだいぶ薄い。実線で作られているのは目元のみで鼻、口は影のみで、顔が持っている立体と齟齬がない。
 さらに色彩。シンプルな色彩のみで作られたキャラクターだが、この色彩が、背景の色彩と乖離していない。背景とキャラクター、同じスタイルの下に成立している感じがしっかりある。浮いていない。
 これはある意味、switch……いや『ブレスオブザワイルド』はもともとWiiU対応タイトルだ。WiiUの表現力の限界がここだったから、それが良い方向に作用して表現が行き過ぎるのを「留まれた」ためだろう。もしも最新スペックのゲーム機でこの表現の立ち位置に留まれるかどうかは、担当するアートディレクターの能力次第だ。

メイドインアビス 1話 (21)

 先ほどはアニメは成熟したメディアだからそんなにキャラクターと背景が浮いている印象は少ない……と書いた。でも本当は、「あまりキャラクターと背景合ってないな」と思うことはある。やはりアニメキャラクターは線でのみ構成されるものだから、どうしてもキャラクターだけが浮き上がって前面にせり上がってしまう。
 「アニメ顔」は思った以上に特殊な抽象感を持ったスタイルらしい……というのが最近、私が思い始めたことだ。線で構成されたアニメ顔には独特な魅力は間違いなくあるのだけど、しかし見ているとアニメキャラクターだけがその空間から孤立してしまい、背景や世界観と馴染んでいない。そう思うことがしばしばある。
 アニメを見ていて、どうも背景やレイアウトがふわふわしている……うまく馴染んでないな……とか思うことがある。これはテレビアニメだとレイアウトにそこまでこだわれない、という背景があるのだけど。
 ここでグレイトな傑作『メイドインアビス』を取り上げよう。これはもう「レベルを上げて物理で叩く」の典型例だけど、いっそここまでしっかりレイアウトを作り込めば、もはや抽象度の問題は起こらないのかも知れない。でもこれは同じくらいレベルが高い人でしか通用しない技だ。あまり参考にはならない。

 ここで次の話題に移ろうと思ったが、あっと思い出したので、ちょっと蛇足。
 なにを思い出したかというと、高畑勲監督の『おもいでぽろぽろ』。この作品、キャラクターと背景が完全に浮いちゃっていたアニメ作品。キャラ作画と背景が、それぞれで頑張りすぎちゃった結果、おかしくなってしまっていた。田舎の自然を美しく、理想的な姿で描こうとしたが、微妙に何かがおかしい作品になっていた。
 反省したのか高畑勲監督はその次回作『平成狸合戦ぽんぽこ』で、抽象度を3段階で変化するアニメを作った。リアルなタヌキと、通常のアニメスタイルのタヌキ、さらに思いっきり気を抜いた漫画調タヌキと、一つの画面の中でスムーズに変化していく様子を描いた。これを実現するために「タヌキを主人公にする」という発想を含めて、うまく考えられた作品。「アニメは自在に抽象度を変化させつつも、それを平気で受容させられる」ということを知っている人だからの作品だ。

2020年4月17日作成 佐倉綾音+井澤詩織

 とらつぐみはどうやら「自分の絵がどんどん駄目になっている」と気づいていたらしいよ。バカはバカなりに。そこで試みたのが、実際人物の顔を描いてみよう……ということだったようだ。
 声優さんの顔を描いたのは、そういう経緯だそうだ。
 といっても、半分くらいトレース。「絵描き練習のため」とかそういう目的ではなく、実在人物がどういう顔をしているか……鼻の形や唇の色、まつ毛の跳ね方とか、髪の毛の処理方法とか……そういうのを確認するために描いたものだから、上手に描こうとかスキルアップのためとかそういう目的がなかった。あと、時間を惜しんでいたから、早く描きたかったんだね。
 実際どのあたりまでがトレースだったかというと、これ↓ 輪郭線までがトレースだった。

2019年4月6日FANBOX解説画 (17)

 しかし描いてみたものの、最後まで髪の毛の描き方がわからなかったようだ。見ての通り、髪の毛の線がぐちゃぐちゃ。当時のペンタブレットがあまり筆圧を感知してくれなかった、というのも多少は影響している。「払い」「抜き」が表現できなかった。「払い」と「抜き」どうやって表現していたかというと、ペンで描いた後、ぼかしツールでこすって引き延ばしていた。漫画の場合は、描いた後、消しゴムで消して削っていた。それでも、払いと抜きはやっぱり最後までうまく表現できなかった(タブレットが認識してくれない、という時点で詰んでたんだけど)。
 といってもこれが髪の毛の表現がうまく行かなかったことと関係があるかどうかは最後まで不明だった。
 しかしそれにしても最近の声優さんは美人が多い! 模写を作るために写真集を買ったのだけど、そういう目的なしにさらに買おうかと思ったくらい。……と、とらつぐみのヤローが言ってたよ。

 前回の美人声優模写を踏まえて、自分の絵に戻ってきたのだけど……まあこの有様。

2020年4月17日作成 ミコ+いぶき2枚セット

 結局、顔だけがアニメ顔。鼻と口はそこそこリアルな絵のほうに寄せていったのだけど、目元だけがアニメパーツのまま。そこだけ線で構成されている。おかげで目元だけ「雑コラ」感が出てしまっている。口元が悪目立ちして、より不気味さが際立ってしまっている。『バットマン』のジョーカーみたいだね。気持ち悪い。
 髪の毛の描き方も結局、良くならなかった。前回の声優模写で何もつかめなかったみたい。最後までどうやったら髪の毛っぽい線が出るのか、わからなかったようだ。
 どうしてこうなったか?
 とらつぐみによると、目元をリアルに描いて、女の子を可愛く描ける自信が全くなかった……だってさ。リアルなタッチにしてしまうと、キャラクターから可愛らしさが失われてしまうんじゃないか。その不安感で、最後まで自分の絵を思った通りコントロールできなかったそうだ。様子するに日和ったのだ。

 まあ確かにアニメ顔は「美人に見える顔」の理論的極地で構成された顔だ。人が美人に見える顔にははっきりと根拠があり、それが大きな目であり、小さな鼻と口。要するにロリ顔がそれ。というのは洋の東西限らず共通している傾向だ。これはかなりきちんとした大学の調査で明らかになったことだ。
 でも実在人物には目の大きさに限界がある。その限界を越えて大きな目を備えてしまうと、それは「美しい顔」ではなく「不気味な顔」になる(最近は写真加工で目元を大きくする……ってのがあるけど、不気味でしょ、あれ)。実在人物の「可愛い顔」には限界がある。一方、アニメの「可愛い顔」には限界がない。無限にシミュレートできて、しかも抽象度を一定レベルから上げなければ実在人物で起きるような「不気味の谷」に落ちることもない。
 それなのに、とらつぐみの描いた美少女キャラクターは誰がどう見ても不気味だ。絵で「不気味の谷」に表現してしまっている。抽象度のレベルを思いっきり下げて、写実的な身体を描いているのに、目元だけが大きなアニメ顔だからだ。だから不気味に見える。目元だけが身体との抽象度が一致していない。まるで実在人物の体にアニメ目を合成したかのような薄気味の悪い絵に仕上げてしまった。

 最後の最後まで中途半端。何が描きたいか伝わってこないクソ絵。とらつぐみがクソ絵師だと証明されただけだった。
 どうもとらつぐみも「これじゃいかん。こういう描き方は駄目だ」と思ってたらしいよ。でも予定していた枚数を全部使いきって、さらにパソコンぶっ壊れて絵描きツールを全ロスト。「絵描き引退」するしかなくなってしまった、というわけだ。
 バカですね~。


 それにしてもとらつぐみっていったい誰なんだろうね……。

 あっ、私だった。

 私がとらつぐみだった。私が最後の最後まで駄目絵師だったとらつぐみだ。

 現実逃避してはならない。私は最後まで「クソ絵師」から逃れられなかったダメ人間。絵の才能も芽が出なかった。クソ絵師どころか、ただのダメ人間の愚図のとらつぐみが私だ。
 今回、こんな内容の記事を書いたのは、誰も私のような失敗をしてほしくないからだ。私のような駄目な絵を描いてはならない。私のような失敗をして、最終的に絵を辞めなければならない……みたいな状態に陥ってほしくはない。
 ……そうはいっても、ここまでおかしな失敗をして自分でその可能性を潰しちゃう人間はそうそういないから、教訓としての意義は薄かろうけど。

 さて、これからどうするか。現状、バイトで毎日忙しい。一日中働いているし、しかも肉体労働だから、帰宅してから何かしよう、という気力がほとんど起きない。絵なんて1枚も描く時間もない。毎日がっつり働いて、疲れて寝るだけの日々。絵のことなんて考えている場合ではない。それ以前に、絵描きツール全ロストしたまんまだから何もできないんだけどね。まだ買い戻せてない。
 問題はこのバイトが終了する10月以降だ。件の『ラストイラスト集』を制作するのかどうか。もしも制作するチャンスがあるのならば、今度こそ抽象度を一致させて終わりたい。今度こそ日和らずにね。
 その『ラストイラスト集』も制作するかどうか、いまだに決まってないけれども。
 作ったところで売れないのはわかってるしね……。それで1年半も使うのは、(自己満足以上の)意義があるのかどうか。

 最後にAmazonの欲しいものリストのリンクを貼っておきます。よろしくお願いします。
Amazon:ほしいものリスト
 誰か、ペンタブレットとCLIP STUDIO PAINT EX買ってくれ……。一太郎とATOKもお願いします。


つづき
抽象度と解像度の関係

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。