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2020年秋期アニメ感想 ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN

 今期ストライクウィッチーズはやけに作画にムラがある。アップショットはそこそこ安定した絵で描かれているが、ロングサイズになると途端に絵が崩れ始める……。
 時期的にクオリティコントロールをしきれない内部的な事情があるのだろう。今回はその件について追及しないことにしよう。

 空飛ぶ具足という斬新な着想で人気のアニメーション。第3期は、帝政カールスラント奪還作戦を描く。
 帝政カールスラントは私たちの世界線でいうところのドイツ。ネウロイが拠点にし、戦闘の中心地となる場所となっているのがベルリン。

ストライクウィッチーズ3 1話 (97)

 時代は1945年で、ドイツのベルリンが舞台……。私たちの歴史観では、この頃のベルリンにはあの伍長上がりのちょび髭が籠城をしていたはず。その場所が平和のシンボル的な旗印になっていて、取り戻そうとする物語に感慨深い気持ちになる。
 第2次世界大戦の時代、世界は互いの領地を取り合って攻撃しあっていた。実情はそんなにシンプルな話じゃないんだけど……まあそんな感じで荒れていた。
 でも『ストライクウィッチーズ』の世界では一つの敵に対して、みんなが団結し、戦っている。よくよく考えれば宮藤芳佳の親友リーネはブリタニア出身。日本とイギリスがあんなに仲良く協力し合っている。これが理想の姿なのかな……としみじみ思う。

ストライクウィッチーズ3 3話 (54)

 映画『ウォッチメン』は争い続ける世界に対して、あえて超人達が「悪」になろう……と決意するまでを描いた物語だった。人々を団結させるために、あえて自分たちが敵として立ちはだかろう、と。私たちの惨憺たる殺し合いの歴史を考えると、そういった強敵が必要なのかもしれない。いっそ宇宙人でも侵略してきたほうが……より強大な何者かに侵略を受けない限り、人類は団結しようとは思わないかも知れない。
 ……『メッセージ』というSF映画にもあるように、なかなかそういうわけには行かないんだけど。

ストライクウィッチーズ3 3話 (142)

『ストライクウィッチーズ』のように、不思議なくらい牧歌的な空気で、世界中が結びつき、一つの目的を目指して共に戦おう……という物語を見て、どうして私たちはああいうふうにならなかったのたのかな……としんみり考えてしまう。
 しかも戦いの中心にいるのは美しき乙女達である。近代兵器が絶対的というわけではない世界観だから、ウィッチ達が戦闘の最前線にいる。美少女が中心にいるから、戦闘が本来持っている惨劇を薄めてくれる。異能持ちの美少女が中心にいるから、戦闘の映像がどこか宗教的、象徴的な気色を持ち始める。美少女が青く澄んだ世界を飛び、世界平和のために戦う姿を見ると、まるで神話時代の戦闘を現代風に描き直したような、神秘的なものを感じてしまう。あの少女達が空という舞台で戦闘を模した神事を演じ、浄化してくれているような……。

ストライクウィッチーズ3 7話 (128)

 宮藤芳佳はそうした信仰の最前線で魔力を持って戦っているわけだから、ある種の巫女であり、戦乙女だ。
 そんなふうに考えると、ああどうして私たちの世界はこうも醜く、歴史は失敗に塗れているのだろう……と暗澹たる気持ちになる。世界が『ストライクウィッチーズ』のようであれば、どんなに平和であっただろうか……。
(そういうわけで私は宮藤芳佳が自衛隊募集ポスターに載ることには賛成。宮藤芳佳ほど相応しいキャラクターはいないだろう)

 それはさておき。
 ストライクウィッチーズシリーズ第1期でネウロイたちにも知能があり、人間やその文化を模倣し、やがて人間の姿を得るようになった。ひょっとしてネウロイと人間は交流可能なのではないか。交流が可能であれば、ネウロイとの戦いに、変化が訪れるのではないか――。
 という期待のあった1期のラストから、2期に入りその展開はなかったことになった。
 すると以降の物語は、ただひたすらに501部隊内部の話になってしまった。501部隊に所属する少女達の関係性だけしか描かれなくなった。

ストライクウィッチーズ3 4話 (14)

 第3期『ストライクウィッチーズ』の第4話『200マイルの向こう』は以前にも似たようなお話を見たような気がするし、他のエピソードもこれまでシリーズと目立った変化の見られない、繰り返しのお話を見ているような感じがする。

ストライクウィッチーズ3 6話 (41)

 それに、少女達の関係性と内面のお話が中心になると、敵であるはずのネウロイが単に内面を表現するための障壁でしかなくなってしまう。少女達が内面的な葛藤を抱えると都合良くネウロイが出現し、戦闘中に迷いや対話が発生すると、やはり都合良くネウロイは攻撃の手を止める。やがて葛藤を乗り越えるような瞬間が訪れると、いともあっさりネウロイを撃破できてしまう。
 これはネウロイの存在が少女達の精神を反映させているだけに過ぎず、ここまで少女達の気持ちと一致していると、ひょっとしてネウロイの存在はウイッチと何かしら関係しているんじゃないかと勘ぐってしまう。
 もはや敵はネウロイ自身ではなく、少女達の内面でしかない。

 そうすると作劇はどれもわざとらしくなっていく。5話『クイーン・オブ・ネーデルラント』のネウロイ登場はいかにもとってつけた感じがするし、第6話『復讐の猟犬』はあの逆転劇を作るためにわざとらしく敗走しているように見えるし、第8話『ザ・フォグ』でのサーニャとエイラの諍いは後で仲直りさせるためのわざとらしいやり取りに見えるし……。

ストライクウィッチーズ3 8話 (36)

 何かもが丁寧に段取りされた作劇に見えてしまう。
 戦いの場面が「駆け引き」として描かれていない。どんなにピンチに陥っても、後で逆転劇を見せるための段取り的なものでしょ、という意図が透けて見えてしまう。結局は少女達は自分たち自身の葛藤と戦っているのであって、ネウロイと戦っているわけではない。そういうところで、作品全体に安っぽさ、薄っぺらさがちらついてしまう。ここがシリーズ全体を通して惜しいと感じられる部分だ。

ストライクウィッチーズ3 12話 (51)

 今回は3期全体の大きなフックとして宮藤芳佳が魔力を使えなくなる……という展開が置かれている。
 でもそれも、最後にイヤボーンを起こし魔力も復活するんでしょう……と考えていたらその通りの展開が起きてしまった。いまいち存在感を発揮しきれていなかった新米・服部静夏は、その展開を作るために投入された要員でしかない。
 イヤボーンを使ってしまうと何でもアリになってしまう。こういうときこそイヤボーンは禁じ手にして、はっきりした「理由」と「理屈」を付けて、それを取り戻す過程をドラマにしたほうが、より強度を持てたはず。そちらのほうに展開を作れなかったのが残念だ。
 第3期の戦いは結局の所、キャラクターたちの「気分」と「声優力」で押し切ってしまった。声優達の実力が高かったから、格好いい締まりが出たけれども、役者の表現力に頼りきりでは、それ以上の作品にはならない。


※ イヤボーン……魔法少女もので新たな力が目覚める時、敵に襲われて追い詰められ、「イヤー」と叫び、その後に「ボーン」と力に目覚める定番の展開があることから、イヤボーンと名付けられた。日曜朝に放送されている魔法少女もので主人公が変身能力に目覚める時は、ほとんどの場合がイヤボーンの結果である。イヤボーンは魔法少女ものに限らず、多くの能力バトルものでも定番のパターンとなっている。

 アニメのキャラクターは成長ができない。“キャラクター”は生身の人間として創造されるのではなく、全てが固定された存在として創造される。身長が何センチであるとか、目の形や鼻の形、その形をしていることがキャラクターの絶対条件となり、そこから外れると“キャラ崩壊”と見なされる。「好きなもの、嫌いなもの」もキャラクターの定義づけとして重要と見なされ、それに変化が生じると「キャラがブレた」と見なされてしまう。

ストライクウィッチーズ3 11話 (48)

 501部隊のメンバーはキャラクターとして創造されている。だからあの少女達はああも愛らしい姿をしているわけだが、それだけに、キャラクターとして描かれていない周囲の男性達との乖離が激しい。同じ人種には見えない。一緒の構図に収まっていると、何か奇妙な……合成画像のような印象がつきまとう。アニメキャラクターはアニメキャラクターだけの閉鎖された世界が作られているのに、そこに異物が入り込んだような、そんな奇妙な印象になる。

ストライクウィッチーズ3 8話 (15)

 ストライクウィッチーズに限らず、アニメのキャラクター達は成長できない。そのキャラクターであることを宿命づけられているからだ。
 しかしストライクウィッチーズは1シリーズごとに年を取っている設定を取っている。初登場時19歳だった坂本美緒はすでに20歳を過ぎてウィッチを引退してしまった。ミーナとバルクホルンも今期で20歳だから、引退時。次シリーズではキャラクターの交代があるはずだ。

ストライクウィッチーズ3 7話 (29)

 例えばルッキーニは初登場時12歳で最年少だったが、今となっては14歳。服部静香と同じ年齢だ。当初の頃は天真爛漫な彼女を可愛いと思えたのだが、そろそろ落ち着いても……と思えるのだが、ルッキーニは未だに12歳の頃から変化がない。シリーズが1つ進むごとに1つ年齢が増える、という設定と噛み合っていない。
 だがキャラクター感を変えると、「キャラブレ」と見なされてしまうことが、キャラクターとしての宿命を背負った彼女たちの難しいところだ。

ストライクウィッチーズ3 11話 (29)

 見た目の問題は……アニメキャラクターは年齢の表現が難しく、12歳も15歳も19歳も同じように見えてしまう。キャラクターの表現で年下っぽい、年上っぽいという描き方はできるが、そういうキャラ表現でしか年齢を描くことができない。絵で年齢を表現することがほぼ不可能。そこが難しいところで、サーニャやルッキーニを、やがてミーナやバルクホルンみたいな振る舞いのキャラクターとして描けるか……。ずっとイメージが変わらないまま、年齢の設定だけが増えていく……という状態になるのか。
 しかし難しいのは、それだとキャラが変わってしまうということになる。変わらなければならないが、しかしキャラクターとしての印象を変えるわけにはいかない……という葛藤。
 今後もシリーズを積み重ねていくだろうし、するとキャラクター達も年齢を積み重ねていく。そういった時に、作品がどのようにキャラクターを描いていくのか……が一つの課題になりそうだ。

 興味深く思ったのが、ネウロイの変化。
 今期ストライクウィッチーズではネウロイ達はその時代に存在しない兵器の形を取るようになった。近代型戦闘機に、長距離ミサイル。いずれももう少し後の時代の産物で、旧世代兵器しかない1945年の兵士達がこれとどう戦うのか、というタクティクスが面白い見所となっている。

ストライクウィッチーズ3 6話 (21)

 ネウロイが知能を持っていることは初期から示唆されていたことで、それがディープラーニング的な思考実験を繰り返した挙げ句、あの形を先取りして手に入れたのだろう。
 ネウロイがどうやってあの形を獲得したか、その過程や考察も興味深いところだったのだが、作中、それがテーマにならかったのが惜しい。初期ストライクウィッチーズのように、ネウロイそれ自体に関心があればそういう展開もあったはずだが、第3期ストライクウィッチーズにはその関心が明らかになく、特に深掘りされずにスルーされてしまった。
 どうせなら、今度からは逆にネウロイの形状をヒントに軍事力を拡大していく……という展開もあったら面白いかも知れないが……。第3期での戦いをヒントに、F戦闘機を作りました……みたいな。ずっとウィッチたちの関係性だけのお話が続いてしまっているから、そちらのほうに行きそうにない。

ストライクウィッチーズ3 7話 (33)

 でも私は、7話の『ポヨンポヨンするの』は大好きだ。
 もともとストライクウィッチーズは冗談から生まれたような作品で、冗談で生まれたようなキャラクターがガチガチの軍事考証の上に作られ、ガチっぽい雰囲気のドラマの中におく……というギャグのはずだった。だからああいったギャグエピソードはキャラクター達が生き生きとする。むしろあれこそがストライクウィッチーズの本テーマではないか……という気すらしてしまうが……。
 しかしああいったものは毎回1回だけ挿入されるからいいのだろう。

ストライクウィッチーズ3 7話 (89)

 そうそう、オッパイの大きさについて言及しておこう。
 オッパイは大きければ良いというわけではない! そのキャラクターに相応しいサイズ感がある! ……以上だ。
 だからあの少女達が現状より飛躍的に大きくなることは望んでいない。

ストライクウィッチーズ3 12話 (19)

 第1期シリーズにあった「ネウロイとは何者なのか?」というテーマを捨てて、第2期、第3期とシリーズが作られていったが、ネウロイという外部的存在に対する追求を失ったために、次第に少女達内部の関係性と葛藤だけの物語となり、物語の持っている厚みははっきり失われた。
 おそらく「物語を進ませない」ことがシリーズを延命させるための手段だったと考えられるが、しかしこの延命措置は物語に引き込む力を減退させ、さらには作品への魅力も減退させる。確かに宮藤芳佳たちは可愛いが、その魅力だけで物語の強さを維持できるか……という話だ。せっかくいいキャラクターが前面に出ているのに、物語に進展と緊迫感がないとそのキャラクター達をより魅力的に輝かせることができない。

ストライクウィッチーズ3 12話 (64)

 「物語を進ませない」延命措置は、かえって作品の寿命を短くさせる。意外性や強力なドラマがあればシリーズが完結しても後々も語り継がれるが、そういう惹きつける力のない薄く引き延ばしただけの作品は、誰も振り返ることのない。時代の作品として忘れられるだけだ。
 第3期は帝政カールスラントを奪還し、これで欧州の半分を取り戻したことになる。ネウロイはさらに西へ西へ、アジアまでをがっつりと占領地に置いているので、この戦いはまだ続くことになるわけだが、この段階で物語的な転換点を何も示せなかったのは少し引っ掛かりとして残る。

ストライクウィッチーズ3 12話 (71)

 そろそろこのシリーズが、何のために、どんな結末を目指して進行しているのか。それを提示しないとある時ふっと、特にこれといった大きなクライマックスもなくフェードアウトしていく……ということになる。
 そうではなく、どうせなら終局に向かって大花火を打ち上げる準備をしてもらいたいものだ。あの少女達をより輝かせるために。時代の作品ではなく、伝説の作品にして欲しい。


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