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6月4日 マイケル・ジャクソンの残光はまだ消えていない……

 Netflixドキュメンタリー『ネバーランドにさよならを』を視聴した。2人の男性が「マイケル・ジャクソンから《性的虐待》を受けた」と告発するドキュメンタリーだ。  大雑把なストーリーはこうだ。

 1982年、マイケル・ジャクソンは2作目のソロ・アルバムとなる『スリラー』を発表。『スリラー』は現在までに7000万枚を売り上げ、「史上最も売れたアルバム」としてギネス認定されている。今でも不動の存在感を放つ傑作アルバムである。発売された当時は、日本はもちろんのこと、世界中で「スリラー旋風」が吹き荒れた。
 その頃、『スリラー』に深い感銘を受けた少年が2人。ジェイムズ・セーフチャックウェイド・ロブソンは『スリラー』に夢中になり、そのMVを繰り返し視聴し、マイケル・ジャクソンのダンスを完璧にコピーした。
 この当時は世界中でスリラーブームが起きており、あちこちで「ダンス大会」的なものが開催されていて、ジェイムズ・セーフチャックとウェイド・ロブソンは別々の地域で、そういった大会で優勝をかっさらった。
 その時というのは、ジェイムズ・セーフチャックが10歳で、ウェイド・ロブソンが7歳……だったかな? 2人とも「10歳前後」という子供だったし、「田舎のダンス大会で優勝した」みたいな話だったが、映像を見るとダンスは抜群に上手かった。しかも美少年。現在はもうかなり年のいったおじさんなのだが、それでも「映画俳優かな?」というくらいの美形おじさん。この2人のイケメンおじさんの「告白」がドキュメンタリーの中心となっている。

 2人の天才少年の噂は間もなくマイケル・ジャクソンの耳にも入ってきて、ツアーに同行し、ステージ上でマイケル・ジャクソンと一緒に踊るという名誉を得ることができた。
 以降もウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックはマイケル・ジャクソンとともにMVを制作するチームに加わっていく。
 この2人が1988年に建造されたマイケル・ジャクソンの豪邸「ネバーランド・ランチ」に招かれ、そこで《性的虐待》を受けたという。

 という話だが、現在のところ、《性的虐待》のところは括弧付きで語ろう。この意味は、後々話をするとして……。
 これが4時間にも及ぶドキュメンタリーで、見ていて疲れるのだけど……。まあ本編のお話を見ていこう。
 内容もなかなか凄いもので、実際どういうふうにされたのか……という話が詳細に語られていく。「マイケルが僕の肛門をじっと覗き込みながら、自分でしごいて射精していた」というような具体的な表現がいくつもいくつも語られる。そこまで語ります? というくらい描写は具体的だった。

 素直に見ていると、マイケル・ジャクソンにもそんな一面もあったのかな……という気もしてくる。
 マイケル・ジャクソンは5歳で兄弟達のバンドグループに加わり、芸能活動が生活の全てになっていった。そこから頭角を現していき、「歌の上手い子供」からシームレスにアーティストへと成長していき、1979年(21歳頃)には単独のシンガーとしてアルバムを発表。その3年後には世界を席巻することになる『スリラー』(1982)が発表される。この1作においてマイケル・ジャクソンは「キング・オブ・ポップ」の名声を築き上げ、巨万の富を獲得することになる。
 子供時代から厳しい大人社会に身を置いていて、マイケル・ジャクソンにとっての「子供時代」がなかった。それゆえに、感性が妙に子供っぽいところが残っていく。1988年に建造した豪邸にはピーター・パンの肖像が飾られているし(「ネバーランド」だから当然だけど)、お菓子を一杯置いたバーなんかも作られた。子供好きで子供と遊ぶことを好んだし、豪邸ネバーランドには子供を一杯招いて、敷地内に作られた個人遊園地で一緒に遊んだというエピソードが多い。
 そうしたマイケル・ジャクソンが、性の対象も少年に留まっていたとしても、「まあ、そうなのかなぁ」という気もする。

 実際に《性的虐待》を受けていたと語るジェイムズ・セーフチャックは、マイケル・ジャクソンとベッドの中で「大人は信用するな。特に女は信用できない」と繰り返し語ったという。幼い時期から大人社会にどっぷり浸かったから出てきたのかな、と思われる言葉だし、マイケル・ジャクソンは暴力的な父親の元に育った。あまりにもピュアすぎる感性は、打算的な大人が汚らしく見えただろう。
 女に対する不信感や嫌悪感がどこから出てきたものなのかはよくわからないが……。女性への不信感や嫌悪感は、同性愛に向かう人にはよくある話だ。そこから一歩進んで、よりピュアなものへの憧憬が、少年愛の感性を築き上げていったのかも知れない。
 マイケル・ジャクソンはいくつものボランティア団体に寄付していて、子供たちを救うために力を尽くしてきた。このマイケル・ジャクソンも真実だ。そこから一歩進んで、少年を性の対象にしていた……というのも、「あるかも」と思えるストーリーだ。
 ただ、「少年を食い物にするために」という動機は絶対にないだろう。飽くまでも「愛ゆえに」がマイケル・ジャクソンのメインテーマだったはずだ。

 1993年、ジョーダン・チャンドラーが「性的虐待を受けた」としてマイケル・ジャクソン相手に訴訟を起こす。これはよく知られているとおり、“ゆすり”であった。というのも、少年の証言が矛盾だらけ。特に少年の語る「マイケル・ジャクソンの身体的特徴」が実際のものと明らかに違っていた(マイケル・ジャクソンは警察の前に全裸になり、徹底した検査を受けた)。
 少年の父親がマイケル・ジャクソンを脅迫すればお金が得られる……と踏んで訴訟を起こした……というのが真相だ。
 しかしアメリカのマスコミもゴミだったので、この事件を面白おかしく誇張して報道。マイケル・ジャクソンのパブリックイメージは徹底的に損なわれていく。マイケル・ジャクソンはストレスで精神的に不安定になっていく。件の訴訟も、世間的なイメージの払拭や、「早くこの一件から逃れたい」という思いで示談を提案(裁判になると7年くらいかかると言われたそうだ)。早期解決を図ったものの、それがむしろ逆に世間から偏見の目で見られるようになっていく。

 ウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックとの性的関係はこの事件あたりまで続き、その後は次第に疎遠になっていった……と語られる。
 ウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックの2人は件の裁判に証言者として出廷し、マイケル・ジャクソンとの交流の中で性的なものはなかった……と語る。なぜそう語ったのか、というと、マイケル・ジャクソンへの愛と尊敬があったから。尊敬する人を刑務所へ入れてはいけない。そういう想いから、「偽証した」と当時のことを語っている。

 素直に見て行くと、「まあ、大変だったわね」……と思うところなのだけれど、しかし見ていると「あれ?」と引っ掛かるところがいくつも感じた。ここからはその引っ掛かりどころを取り上げていきたい。

 まず、マイケル・ジャクソンとの性的関係に至った“経緯”について。
 ウェイド・ロブソンもジェイムズ・セーフチャックも「自然ななりゆきで」そういう行為に至った……というふうに語っている。その当時は「虐待を受けている」という感覚はなく、「お互いに深く愛し合っているのだから」その関係性はある種あたりまえのような行動に感じられていたし、マイケル・ジャクソンの愛情を独占できているかのような感覚すらあった。
 ドキュメンタリーの話を聞いていると、マイケル・ジャクソンが一方的に性行為を強要してきた、というようなエピソードもなく、むしろジェイムズ・セーフチャックもウェイド・ロブソンも自ら積極的にセックスを求め、楽しんでいたかのような描写すらあった。肛門性交のような一線を越えるような行為は慎重になっていて、少年の方が「痛い!」と訴えたらそこで中断している。
 という話を聞いていると、「果たしてそれは《虐待》だろうか?」という気がする。見ていて感じられたのは、やや年齢差はあるものの普遍的な恋愛だったように感じられる。少々早めに来た性生活だった……という感じだ。

 次に引っ掛かったのは、マイケル・ジャクソンとの性的関係によって「子供時代を奪われた」と語る。
 これも「ん?」と引っ掛かったところ。
 というのも、2人とも充分すぎるほど「恩寵」を得ているから。
 ウェイド・ロブソンはマイケル・ジャクソンから直接のダンス・レッスンを受けて、その神髄を会得すると、そのまま「振付師」の仕事をはじめるようになった。マイケル・ジャクソンという超強力なコネを受けて様々な有名アーティストの振り付けを担当。映画出演、アニメーションの振り付けなどを担当して、順風なキャリアを築いてきている。
 ジェイムズ・セーフチャックも映画監督の夢に向かって勉学に集中していた時、マイケル・ジャクソンから資金援助を受けていたらしい。
(作品は……調べてみたけれど、彼の関わった作品は一本も出てこなかった)
 子供時代のエピソードを聞いていても、マイケル・ジャクソンと一緒に世界中を旅行し、一緒に楽しく遊んだ時のことが語られている。
 マイケル・ジャクソンの「遊び方」というのは豪快で、「遊園地に行く」と言ったら遊園地まるごと貸し切るし、「ホテルで泊まる」、と言ったらワンフロア貸し切り。ドキュメンタリーで描かれてないところだが、「買い物へ行く」と言ったら店の商品ほぼまるごと買い占めてしまう。そのマイケル・ジャクソンの豪遊を、ウェイド・ロブソンもジェイムズ・セーフチャックも一緒に体験していた。遊園地貸し切りで目一杯楽しみ、ワンフロア貸し切ったホテルで羽目を外し、マイケル・ジャクソンのおごりで欲しいものをなんでも買ってもらっていた。
 それでも「奪われた」と言うか?
(マイケル・ジャクソンが遊園地やホテルを貸し切っちゃうのは、「自分が現れると周りが大騒ぎになってしまう」……という事情もあったのではないかと思われる)
 この辺りのエピソードを聞くと、「奪われた」というより、「与えられた」要素のほうが圧倒的に多いように感じられる。客観的に見ると、むしろありとあらゆるものを「与えてもらった」ようにしか見えない。

 ありとあらゆる恩恵を受けまくっていて、マイケル・ジャクソンとの性的関係になっていたとしても、そのエピソードに「心の傷」として残りそうな要素がどこにも見当たらない。むしろ「この人達は何を訴えたいのだろうか」……と疑問にすら感じてしまう。
 それでも、ウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックが「心の傷」と語るものの正体について推測するならば――それは当時から今現在も「マイケル・ジャクソンを愛しているから」、ではないだろうか。
 マイケル・ジャクソンとのセックスを通じて、内面的にも外面的にも深く結びついていったが、しかしそれは社会的に見れば忌まわしき行為。
 1993年、ジョーダン・チャンドラーがマイケル・ジャクソンから「性的虐待を受けた」と訴訟を起こし、2人はその裁判の中で偽証をしなければならなかった。セックスはマイケル・ジャクソンとの「愛情の証」であるのだが、それを公にすればマイケル・ジャクソンを社会的に殺すことになってしまう。愛していたがゆえに、その愛の形そのものを社会的に公表できないからつらい……。そういうことではないだろうか。
 子供時代にマイケル・ジャクソンと性的関係を持ったこと自体が心の傷なのではなく、それが社会的に忌まわしき行為だったからこそ、後付け的に「心の傷」になっていった……。しかもそれを秘密にし続けなければならない。社会的に祝福されることのない関係性だからこそ、心情的につらかったのではないか?

 ドキュメンタリーのエンディングで、ウェイド・ロブソンはマイケル・ジャクソンからもらった様々な「記念品」を燃やしている。中にはスリラーで使用されていたあの赤いジャケットも含まれている。これはマイケル・ジャクソンを憎んでいたから、ではなく、マイケル・ジャクソンへの愛情を断念するためではなかったのか。今も昔も、相変わらずマイケル・ジャクソンへの愛情と尊敬は消えない。だからこそ、「燃やす」という儀式行為をしなければならなかったのではないか。

 では次の引っ掛かりどころへ移ろう。
 1993年の訴訟騒ぎの後、マイケル・ジャクソンは普通に結婚している。
 うん、マイケル・ジャクソンは普通に結婚して、娘をもうけているんだ。だからこそ引っ掛かる。
 ウェイド・ロブソンもジェイムズ・セーフチャックはマイケル・ジャクソンから繰り返し「特に女は信用ならない」……と女に対する不信感や嫌悪感を語るのを聞いていた、と話している。繰り返すが、同性愛傾向を持っている男性に、こういう感覚をもつ人の話はそれなりに聞いたことがある。でもマイケル・ジャクソンは普通に結婚して、性生活のある暮らしを送っていた。
 確かにアメリカのような同性愛嫌悪の傾向が強い文化圏では、社会的なカモフラージュで結婚するという人はいる。だがマイケル・ジャクソンは普通に結婚した。
 さらに結婚して、夫婦生活のある最中でも、マイケル・ジャクソンは少年あさりを続けていたと語る。妻が同じ家にいるのに? その妻に気付かれることなく、セックスに不慣れな少年と性行為を完遂し続けられるか。
 さすがにこの話は無理がないか。

 ……と、ここまで「もしもドキュメンタリーの内容を素直に信じるならば……」という前提で話をしてきたけれど、ここから全てをひっくり返そう。

 まず引っ掛かりどころは――これまで《性的虐待》と括弧付きで話してきた。その理由についてだが、そもそもウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックの話は「本当か?」という疑問があるからだ。
 マイケル・ジャクソンの豪邸ネバーランドにはなんと個人所有の「鉄道」がある。ジェイムズ・セーフチャックが語るには、あの駅の2階で何度もセックスしたと語る。ジェイムズ・セーフチャックは1988~1989年にかけて《性的虐待》を受けてきた、と語る。しかし、あの駅が開設したのは1994年のことだ。
 その当時は存在していないはずの駅で性行為を及んでいた?
 マイケル・ジャクソンは「成長しすぎた少年」には興味がなく、付き合っていた少年がある一定以上に達すると関係性を終了し、別の少年に手を出すという。「関係性を終了」というのは文字通りの意味で「捨てる」という意味だ。
 だが実際にはジェイムズ・セーフチャックはその後もマイケル・ジャクソンのもとで働き、ツアーに参加している姿が目撃されているし、写真にも残されている。「捨てられた」と語られているのに、実際にはスタッフの1人として参加している。

 ここから先は本当かどうかわからない話、として書くのだが――。
 ウェイド・ロブソンは数年にわたりネバーランドに宿泊し、何度もマイケル・ジャクソンから《性的虐待》を受けてきた、と語るが、実際にネバーランドに宿泊した回数は4回だけだった……という話がある。
 ウェイド・ロブソンはそもそもマイケル・ジャクソンにそこまで頻繁に会ってなかったし、一緒のベッドで寝るような深い関係ですらなかったかも知れない。
 エンディングでウェイド・ロブソンはマイケル・ジャクソンからプレゼントされた記念品を燃やしているが、あれはたぶんレプリカだ。どういうことかというと、ウェイド・ロブソンは記念品をすでにオークションに出していて、お金に換えていたらしい。それで得たお金は10万ドル。
 すでに手放しているはずのものを、映画のエンディングで燃やしている。これはどういうことか?

 ドキュメンタリーだけを見ていても、どこか「あれ?」と引っ掛かるが、視点をドキュメンタリーの外に拡大するともっと「あれ?」が広がっていく。まず、ウェイド・ロブソンもジェイムズ・セーフチャックもマイケル・ジャクソンとの交流を得て、ありとあらゆる恩恵を受けまくっている。「お前ら、めっちゃいい思いをしてたじゃん」――ドキュメンタリーを見ていてもそれしか思えない。それどころか、相変わらずマイケル・ジャクソンを愛していて、その性的関係を「美しい記憶」として語っている。どこに「心の傷」があったのだろうか?
 さらに突っ込んで見て行くと、この2人の証言自体があまり信用できない。というのも、話に矛盾が出てきている。実際にはあるはずのない場所で性行為をしていたと語るし、ほんの数日だけの話が「数年の話」に拡大されている。「マイケル・ジャクソンは14歳以上の少年には興味がない」と語りつつ、16歳になっても性的関係が続いていた、と話す。
 昔の話だから、記憶違いはあるだろう。私だって勘違いして記憶していることなんて一杯ある。……しかし「そこは間違えないんじゃないか?」というところに出てくる矛盾。ドキュメンタリーのなかでも整合性がとれてないし、ドキュメンタリーの外に拡大するともっとあやふやになっていく。総合的に見て、ウェイド・ロブソンとジェイムズ・セーフチャックの話を素直に信用するわけにはいかない。

 才能と人格は一致しない。特に強烈な才能を持った人間は、日常生活がポンコツだったり、人格的な欠陥も抱えやすい。「全方位に天才」という人間はこの世に存在しない。
 マイケル・ジャクソンほどのスーパークリエイターにもなると、何かしらおかしな性癖を抱えていたとしても、そこまで不思議に感じない。それどころか、あそこまでの才能を持ちながら、しかも聖人君子だった……なんて話は信用ができない。マイケル・ジャクソンは5歳で芸能界入りして、自分の子供時代というものがなかった。その体験から、子供に対する想いは強く、様々な慈善活動に寄付を続けていた。その裏で、ちょっと変な性癖を持っていたとしても、別に驚かない。それくらい受け入れようじゃないか……という気にもなる。
 マイケル・ジャクソンがショタコンだった? 別にいいよ。人間そんなもんだよ。だからといって、マイケル・ジャクソンの作品が変わるわけでもないし。
 作り手の趣味嗜好が気に入らないからといって、批評を変えてしまうような人の方が信用が置けない。

 だが実際に少年に手を出していたか……というと疑問が残る。マイケル・ジャクソンは1993年と2005年に「性的虐待疑惑」で訴訟を受けてしまった。だがどちらのケースも、証拠を詳しく積み上げて「無罪」を勝ち取っている。
 疑惑はかけられたが、事実だったことは一度もない。かなりきちんとした調査の中で「少年との性的関係はなかった」と証明されたのだから、本当になかったはずだ。
 今回のドキュメンタリーにしても、ドキュメンタリーの中でも話がちょっとおかしい。ドキュメンタリーで語られている内容を素直に信じるわけにはいかない。

 マイケル・ジャクソンは可哀想な人だ。
 アメリカのマスコミもゴミなので、マイケル・ジャクソンの「少年愛疑惑」を面白おかしく誇張して報道し続けた。しかも無罪を獲得した後、「訂正報道」などは一切やらなかった。日本のマスコミの常套句「疑惑は深まった」を連呼して、マイケル・ジャクソンを解放しなかった。マイケル・ジャクソンのパブリックイメージはこれで徹底的に損なわれたし、これが原因でマイケル・ジャクソンは身心ともに摩耗していくことになる。
 私はマイケル・ジャクソンについてよく知らないが、これまで聞いてきた断片的な話を繋げてみても、おそらく彼は相当繊細な性格だったんじゃないか。身に覚えのない訴訟を何度も起こされて、そんな最中でも新作を人々に届けたいというプレッシャーも抱えていた。そこで不眠症に陥り、睡眠薬を過剰摂取して2009年にこの世を去ってしまった。
 ある意味、「マスゴミに殺された」ような結果だった。
 マイケル・ジャクソンはあまりにも優れた才能を持ってしまったから、巨万の富を獲得する一方、それを摘まんでやろうという連中が寄り集まってくる。交流を持った人達から、身に覚えのない流言を広められ、身に覚えのない事件で訴訟され、身に覚えのない相手から「あなたの子よ」とか言われたりもした(実際に「隠し子騒動」があった)。
 誰も信用できない……家族すら気が置けない。そんなふうに思っていたマイケル・ジャクソンだが、時々、少年を介してごく普通の一般家庭を訪問することもあったそうだ。その様子はドキュメンタリーにも描かれている。わずか5歳で芸能界入りして、そこからトップシンガーになってしまったマイケル・ジャクソン。ごく普通の日常、ごく普通の友達関係もなかった。学校生活も青春も未経験。そんなマイケル・ジャクソンが少年好きになっていったとしても、そこを責めるべきでもないだろう。

 死んだ後ですら、これだ。もう当事者がこの世を去っているのに、「かつて○○された」と訴訟を起こす人が後を絶えない。「死人に口なし」だから、色んな人が色んなお話を創作してくる。本当の話かどうかわからない。ウェイド・ロブソンもジェイムズ・セーフチャックも、マイケルの死後、「性的虐待を受けた」と訴訟を起こしてきた。「マイケル・ジャクソンにもこんな一面があったんだ」……と語るくらいならいい。そこから、すでにこの世を去った人に対して訴訟を起こすのはどうだろうか。それこそ、マイケル・ジャクソンに対する「裏切り」だ。
 しかも話す内容が疑わしいと来ている。本当かどうか、確認の難しいような話で、莫大な遺産を摘まんでやろう。……きっとこの後もそういう話はいくらでも出てくるのだろう。
 マイケル・ジャクソンがこの世を去ってそれなりの年数が過ぎているが、その残光は今もまだ消えていない。「マイケルの新しいスキャンダルを作れば金になる」と思ってこんなドキュメンタリーを作る奴も現れてくる。マイケル・ジャクソンがそれだけの存在だった、ということだが。そろそろ静かにしてあげてもいいんじゃないか。すでにこの世を去った人を汚すのは、いかがなものだろうか。


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