見出し画像

言葉の花

人は言葉で世界を見る。そんなことを言われたらどう思うだろうか。
目に見えたものをそのまま伝えることができればいいのだけど、見えたものをどう解釈するのかはその人次第。あくまでも自分の解釈を他の人へと伝える手段として言葉を使う。自分が使った言葉は自分にも影響を与え、見る世界に色をつけていく。

年齢を重ねていくと、つい思考の言葉を多く使うようになっていく。感情の言葉を頭の隅に追いやって、うまく社会に溶け込もうとし始める。長く続けていくうちに正しさばかりを気にし始め、他人の至らぬところに目を向けるようになる。
日常での光景があたり前のことだといわんばかりに、少しでも歯車がズレていると感じると否定的な言葉を引っ張り出してくる。

1人が否定的な言葉や不満を言い出すと、ポツリポツリと連鎖するように言葉が生まれはじめる。とくにインターネットの中では反射的に反応する人が一定数いる。
思考の言葉は、いわば造花のようなもの。置いておけば長持ちはするけど、色味、質感といったものは無機質。独特な匂いがあるわけでもない。
少し薄くて、少し軽い世界。そんな印象がある。

もし、思考の言葉を使わなかったらどうなるのだろう。
デジタル化が進み、至る所での無人化が進んでいるけど、敢えて有人のままにしている場所もある。そこには必ずと言っていいほど、自然と一言を付け加えられる人が近くにいる。受け取った言葉は、良い気分の感情に訴えかけてくる。
その日、自分が暗く冷たい雰囲気を纏っていたとしても、そこでの出来事のおかげで、一段明るくなった気もする。かけてもらった言葉は一筋の光となる。

たとえそれが、たった一言だったとしても、もらった言葉は花となって、自分の中にストックされる。
受け取った花は、いつしか花束となってその人を表すようになる。
自分が持っている花束の中から、相手に似合う言葉の花を選んで渡していけば、その瞬間に世界の色が変わる。
万が一、暗く沈んだ花を渡されたとしても大丈夫。次に渡す相手には、心が踊るような言葉に言い換えてしまえばいい。
目の前の相手にかける言葉に、小さな魔法をかけていこう。

それぞれの人が持つ花束が、思考の花束から感情の花束に変わっていくことで、多くの優しい世界を見ることができると信じている。

#未来のためにできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?