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焼肉デートして黙るアラサーテレビーディクター


とても気が合った男の人がいた。

具体的に言うと、イケズでひねくれた意地悪さと、言葉のセンスがおもしろかった。
本や芸人や音楽の話で盛り上がれたのも大きい。
初対面で、彼の腕時計がダサすぎる件と、私のネイルが死にかけな件で、お互いをディスりあってお腹が捩れるくらい笑った。

あるとき、美術館の話になって
「ゴッホ展がよかったよ!」とお薦めしてくれた。

ゴッホだとひまわり、太陽、糸杉あたりを思い浮かべるが、
彼曰く、上野で開催中のゴッホ展に めちゃくちゃいい”海の絵”が、あるらしい。

「ゴッホって海描いてたんや」と呟くと、
彼は、背が高い身体をずいっと乗り出した。
「と思うでしょ!? でもめっちゃくちゃ良かったんだよ、海が。俺、吸い込まれるくらい感動したんよ」

好きなもののことを好きに話しているときにこそ、その人の愛嬌が出る。
興奮気味に語る表情は、控えめに言って、めっちゃ良かった。


***


その後 数回ふたりでご飯を食べに行った。

いい焼肉を食べて店を出ると、小雨がぱらぱら。
彼は「折り畳み傘カバンから出すのダルいわぁ」
と言って私の傘に入ってきた。

2軒目のバーで紅白のサングリアを飲み比べていたとき、話題はなぜかアンパンマンに。
ふと、「アンパンマンの世界ではパンも人もカバもウサギも喋れる設定なのに、なぜ犬のチーズだけ喋れないのだろう」という疑問に至った。
彼は、確かに〜と笑ったあと、こう言った。

「あいつだけ周囲と会話できなくて、外国人みたいだよな。
 チョンなんじゃない?笑」


グラスを持つ手が固まった。


ちょん。
朝鮮民族の蔑称だ。

聞き間違えかと思ったが、どうやら確かにその言葉を使ったらしい。
私はうろたえた。


もちろん 政治思想や支持政党が違うからといって、人間関係には影響しない。私の周囲にも異なる価値観だが仲の良い人がたくさんいる。

でも、「チョン」は・・・・

昔見た映画GOを思い出す。昔ハマった韓流アイドルを思い出す。
外国籍の同僚の顔が頭をよぎる。取材で出会った韓国人の姿がよぎる。
中野の夜、「僕 在日なんです」と俯いた男の子を思い出す。
先日「親しくなった人が三世だった、三世ってどういうこと?」と潤んだ眼で尋ねてきた友人を思い出す。


その言葉は、個人の意見や思想の主張を超えて、
あきらかに誰かを差別攻撃するのものだ。と私は思う。
それは、どんな場面であれ、気軽に使ってはいけない言葉だった。
少なくとも、私の価値観の中では。




彼は、私の戸惑いに気づかず、ご機嫌に話し続ける。
私は少し眉を下げ「明日、出勤早いねん」と嘘を吐いた。


店を出ると、雨が強まっていた。
もう、ふたりで1つの傘に入るのは無理だった。
私は自分の傘を広げて先に歩き出し、
彼は折り畳み傘を出して、駅まで歩いた。


後日、
友人Aは「男の人って、強がって汚い言葉を使いたがるときあるよ」と言った。
友人Bは「俺もこないだ何気なく人を傷つけちゃって反省した」と言った。
友人Cは「大学のサークルで留学生のことチョンってディスってる奴おったわ、めずらしくないんちゃう?」と言った。
そして友人ABCは全員「でも、あなたが嫌だと思ったなら 見て見ぬふりはしないほうがいい」と続けた。

私は自分の違和感を見過ごさないことを選んだ。




***




数日後、友人が偶然にもゴッホ展のチケットを譲ってくれた。
展示の中盤に、あの「海の絵」があった。


正直なところ、
いっそ超微妙な絵であってくれと願っていたのだが(ゴッホごめん)、
遠くからすぐに「あれだ」とわかるくらい、美しい画だった。


波音が聴こえそうな臨場感。
深呼吸したときの塩の香りや、海風が髪をさらう錯覚すら感じる。
キャプションによると、ゴッホは実際に海辺でこの絵を書いたらしい。絵の具に砂が混じっているそうだ。
思わず魅入ってしまった。ため息が出た。
「吸い込まれる」という表現も納得だ。


彼も同じ場所でこうして立ち止まったのだろうか。
でかい身体で、革ジャンのポケットに手をつっこんで、あのめちゃダサいお気に入りの腕時計をつけて。


ちょっとだけ、でも致命的な部分で価値観が合わなかった人。
しかし、「致命的な部分で価値観が合わない人でも、同じ場所で 同じ絵に同じように感動した」というのは、なかなか素敵な気もする。



物販でレプリカのキャンパスを買って、家に飾った。

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