幸運という、不運。
――今日はツイてるな。そう思えるのはこんなとき。電車で座れたとき。信号がちょうど青に変わったとき。いい写真が撮れたとき。
どれもちょっとした幸運に過ぎないけれど、自分としては結構うれしい。ただよく考えてみると、これらを幸運だと感じるには相応の理由があって。
普段、電車で座れることはないし、信号待ちも多い。意気揚々とカメラを持って出掛けても、いい写真なんてめったに撮れない。こういう積み重ねがあるからこそ、ツイてると思えるわけ。トータルで考えたら収支いっぱい。いや、マイナスかもしれない。
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いま開催中のVR写真展。たまたま運良く参加させてもらっているけど。もっと写真が上手で、真剣に取り組んでいる人がいるのを僕は知っている。
素晴らしい写真と一緒に展示されているから、あるいは美しいワールドで撮影したから。なんとなく、自分の写真まですごくなった気がするけれど。なんのことはない。虎の威を借る狐、とらおなのだ。
note記事もそう。運良く読んでもらえるけれど。上手な文章を書くのに、読まれない人もいる。もちろん読まれることだけが書く目的ではないから、そこだけで良し悪しを語るのはおかしいのだけど。
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機会は均等ではないし、平等な権利もない。人生は不公平で、公平なのはいずれかならず訪れる死だけ。でもこれだって公平とは思えない。
でもだからこそ、理不尽だからこそ。日常の些細な不運さえも、大した話じゃないって思えたり、どうせ死んでしまうのだから、思い切り人生を謳歌しようと思えたりするのかもしれない。
価値観の転換。出来事に対する意味付けを自分で変えることができたら。生きやすくなるかものしれないね。