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人生に攻略本はいらない

 昔から、テレビゲームが好きなのですが、子どもの頃は「1日30分」というルールがあり、満足には遊べませんでした。ゲームをしたことがあればわかると思いますが、30分ではろくに進められません。RPGだったら、町で情報を集めて、店で装備を整えて、さぁ!出発だと思ったら時間切れ。これでは「世界を救う」なんて……気が遠くなる話ですよね。

 そんなわけで、ゲームに触れないとき僕は「攻略本」を読んでいました。ダンジョンの地図を見て、宝箱の配置を覚える。モンスターの図鑑を読み、弱点を把握する。そうして「いかに30分で効率的に進めるか」を考える。どこか作業的なプレイスタイル。それでも当時は楽しかった。

 ですが今思うと、ダンジョンで迷ったり、宝箱の中身にガッカリしたり、手強いモンスターにやられたりと、失敗するところ「も」楽しみたかった。失敗して、工夫して、乗り越える。そういう「試行錯誤」のプロセスこそ、ゲーム本来の面白さだったのではないか。そんな風にも思うのです。

 同じゲームソフトでも、プレイする人によって「楽しみ方」は違うもの。攻略サイトを見ながら、効率的にエンディングを目指す人もいれば、自分でわざわざ制約を課して、緊張感やら達成感を味わう人。クリアそっちのけでアイテムを集める人だっています。どれが「正解か」なんてないし、自分の好きなように楽しめたら、それで充分。

 ときに、人生もこれに似ていると思うのです。人生の攻略本があるなら、親や先生の言うこと、常識や世間の目。あとは自己啓発本などでしょうか。自分で課した制約というのは、その人の信条や信念、モットーと呼べます。他人には価値のわからないものを集める、蒐集家しゅうしゅうかだっていますよね。

 これらもゲームの楽しみ方と同じで「正解」なんてないし、失敗ばかりの毎日でも、本人が楽しめていたなら。それで充分でしょう。「楽しそう」に見えるかなんて関係ない。まず自分が楽しんで、満足できたらそれでいい。

 ただゲームとは違う点もあります。例えば、自分で生まれやステータスを選ぶことはできません。本人次第でなんとかできることもあれば、なんともならないことだって、少なくないですよね。

「大切なのは、何を与えられたかではなく、自分がいま何を持っているか」

 そんなこと言われても、知らぬ間に背負わされた制約で、苦しむことも。思いどおりにならないことばかりだし、もう何をやっても上手くいかない。なんて、思ってしまうこともあるのです。

 とは言え、僕は別に勇者じゃないし、世界を救えと言われているわけでもありません。何かを救えるとしたら、せいぜい「自分」だけ。でもそれさえままならない。――人生をかけて攻略しているというのに。

 掃除をしたら、昔の攻略本が出てきました。書き込みだらけでボロボロ。内容の間違いを、自分で修正しているところもありました。それをパラパラめくりながら、夢中になっていた記憶に浸る。あの頃は「人生がどうか」だなんて、きっと考えていなかった。ただ純粋に楽しかった。

 人生に攻略本なんていらない。そんなものがあるとしたら、それは自分。失敗だらけでボロボロで。自分以外には「価値」なんて見出せないような。そういうものかもしれませんね。


撮影ワールド:Udon Sword - Multiplayer PvE Dungeon -
KOMETARO さん

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