感じる、思う、考える
皆さんには、文章を書くときの「ルール」や「こだわり」はありますか。僕の場合、こんなことを考えながら書いています。
①文章はできるだけ短く
②声に出して読んでみる
③同じ言葉を繰り返さない
昔、ネットの掲示板で「長いから三行で~」なんてレスを見かけました。あれは半分ネタでしょうが、実際に「長すぎる文章」とは読みにくいもの。ですから一文は極力短く、段落もこまめに分けるよう心がけています。
また「声に出してスラスラと読めるか」という点も、大切にしています。読むときに詰まってしまうような文書だったら、内容も頭に入ってこないと思うのです。
そして最後の「同じ言葉を繰り返さない」という点。これは例えば〜だと思う、思う、と続けてしまうと、なんだか小学生の感想文みたいですから。「思う」が続いたときは他の表現、「感じる」とか「考える」に言い換えるようにしています。
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ときにこの「感じる」「思う」「考える」の違いって何だと思いますか。辞書で調べれば、言葉の意味合いはわかります。でもここで言いたいのは、それぞれの違いを「自分の言葉で表現したら」どうなるのか、ということ。早速、ちょっとやってみましょう。
まず「感じる」というのは、色々な情報(内から外からは関係なく)を、『心』や『体』を通して、ありのまま受け止めたもの。料理で例えるなら、畑の野菜をかじって「これが素材の味…」なんて言っちゃうイメージです。
次に「思う」ですが、これは『心』の動きを表現したもの。感じたことを踏まえて、そのうえで自分の心がどう動いたか。これも料理で例えるなら、立派なナスをもらったので「じゃあ夏野菜カレーを作ろう!」みたいな話。
最後に「考える」。これは今まで集めた情報を並べて、整理して、自分の主張を確固たるものにしようとするもの。材料を買い揃え、深い鍋に入れ、じっくり時間をかけて煮込んだカレー。そんなところでしょうか。
僕にとって「感じる」「思う」「考える」には、こんな違いがあります。これが正解なんて言うつもりはありませんが、こうして比較をしてみると、似ているようで全然違うものですよね。
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感じる、思う、考える。それぞれ違うもので、決して優劣があるわけではありません。ただ、ベースになるのは「感じる」ことかなと思っています。
自分がどう感じたか、感じているかを、しっかりと感じることができる。感じたことを大切にして、それを自分自身の行動に反映することができる。そういうのが生きていくうえで、大切なことのように思えるのです。
「なんか嫌だ、自分には合わない、気が乗らないな」。そう感じたなら、それはきっと自分からの危険信号。普通はこうだから、なんて理屈を並べて無理をしようものなら、いつか反動が来ることでしょう。
それよりも、「好きだな、性に合うな、やってみたいな」と、そう素直に感じられることに、時間や労力を費やしたいもの。実際には、嫌なことでも生活のためにやらざるを得ないのですが……
生きることを人質に取られながら、そんなことを考えています。
撮影ワールド:Deep Night Train/minhoです さん
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