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世界は美しいのに/カメラを買った話

 先日、カメラを買いました。購入のきっかけはVR。ゲーム内できれいな景色、かわいいアバターを撮るのが楽しくて。物理現実(⇔仮想現実)でも「撮りたくなった」というわけ。欲求の逆輸入とでも呼べるでしょうか。

 カメラと言ってもピンキリですが、僕にとっては高い買い物。1年近くも悩みました。欲しい機種はすぐに決まったものの、尻込みするような値段。それでも買うことにしたのは、友達のこんな言葉がきっかけでした。

「欲しいと思ったときが、買い時じゃない?」

 おっしゃるとおりで。そりゃもちろん手が出せないものだってあります。でも何とか手が届くもので、それが「欲しい」と心の底から思えるのなら。

「――YOU、買っちゃいなよ」。そんな声が聞こえました。

 将来に不安がないわけじゃないけれど、お金だけあっても仕方ないから。「頑張ってきた自分へのご褒美」でも「明日を生き抜くための糧に」でも、何だっていい。ただ欲しかった。

 しばらくは慎ましい生活を送ることになりますが、後悔はしていません。なぜなら自分で考えて、決めたことですから。きっかけはもらいましたが、最後に決めたのは自分。失敗したなと思っても、そこまで含めていい経験にできればいい。そう開き直りたい。

 カメラ買ってから、僕の生活は変わりました。おかずが一品減ったとか、そんな話は置いといて。カメラを持っていると「外に出たくなる」のです。いつもの道を歩くだけで「この花きれいだな」「今日の空いい色だな」と、写真へ収めたい気持ちに駆られます。

 あらためて、きれいなものを探してみると、花も木も、鳥も虫もきれい。空も土も、光も影も、人も建物も。きれいだ。そうして思い知るわけです。この世界はなんて美しいのだろうと。

 ちなみに僕のカメラは2,400万画素です(戦闘力みたいに言うな)。じゃあ人間の眼は、いったい何万画素なのだろう。いやそんなことよりも、今度の休みはどこに行こう。どんな写真が撮れるかな。そんなことを考えながら、終わりの見えない労働に明け暮れているわけです。

 ただカメラを買ったからこそ、悩ましいこともあって。カメラを買うと、今度はレンズが欲しくなるのです。そしてこれがお高い。お手頃なものでも数万円はするし、カメラ本体より高いものだって普通にあります。

 ひと言でレンズとは言っても、写せる範囲や明るさ、ズーム機能の有無、大きさや重さだって全然違います。自分の撮りたいものや、撮影スタイルに合わせてレンズを揃えるわけですが……これはもう底なしの「沼」。

 なかには「大三元」とか「小三元」と呼ばれる便利なレンズもあります。近くも遠くも、明るく撮れる万能レンズですが、目玉が飛び出るほど高い。何でもできるのだから高いのも当然。だけどメーカー純正品なんて、とてもじゃないけど手が出せません。それでも、いつか使ってみたい。

 沼に膝まで浸かりながら、僕はそんなことばかり考えています。

 世界はこんなに美しいのに。



 おまけ🐈


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