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人の話を聞く、とは

ちょっとしたビジネスマナーや、コミュニケーション術として、「聞く力」がよく紹介されます。「傾聴」などとも言われたりします。

自分はキャラ的に、聞き役に回ることが俄然多いのですが、その時はその人が何を言いたいのか、言葉に集中します。実際、斎藤孝さんの著書を好きで読んで、ちょこっと実践してみたりもしてます。

さて、なぜそんなことを思ったのか、と言うと、Twitterでこれを目にしたので。


残念ながら人間が行う「話し合い」はそのほとんどが「最後通告」であると言えるでしょう。

ご質問者様の意見を聞く気なんて最初からさらさらないのです。相手はいかにして自分の意見を押し通すかということしか考えておりませんので、どんなものであれご質問者様が意見を言った時点で逆鱗に触れてしまうことでしょう。

しかも困ったことに最後通告型の話し合いをしている方の多くは、自分が最後通告をしているという自覚が御座いません。本人は「俺は相手の意見を聞く気がある」と思い込んでいるので御座います。しかし、実際のところ相手の意見を聞く気などさらさらなく、どんな意見を言っても「自分の意見を認めない反抗者」として怒り出しているので御座います。

相手の話をきちんと聞いて、自分の頭で考える。

この行為は本来立派な行為であるはずで御座いますが、現実問題としてこれをすればするほど相手からは「話を聞いていない」と言われてしまうのは間違いありません。

「話を聞いていない」は多くの場合において「話を聞いていない」という意味ではなく「こちらが望んでいる回答を答えなかった」という意味なので御座います。



先述の通り、自分はもっぱら「聞く側」なんですけども、上の解説が正しいのなら、ずっーーと相手の言い分を聞いて、一言たりとも意見反論を述べないことを実践せなならんのかい、と思ってしまった次第で。


自分の実感と経験で言いますが、「人の話を聞く」という行為は、めっちゃ集中力を使います。
相手の意図を汲み、相手の発言に合槌をうち、そこそこで言葉を言い換えて、その場に適してるであろう質問を練り上げて、相手の発言を引き出し…。

結局、その場は、相手の発言に耳と意識を向けざるを得ません。それ相当の集中力が要求されます。
たとえ、スマホで動画観てても、読書に集中したくとも、悲しいかな、ひとたび隣人が口を開けば、そこから聞き役モードに入っちゃうんですよ、自分は。

話す人が人なら、1時間、いや、それ以上も話す!
途切れることなく続く!

なぜ、そんなに口にすることがあるの?
アンビリーバボー!

疲れた… で、これ、どうやって会話を断ち切れば良い?

ただ、それだけ労力を費やして、有意義なインプットがあれば良いんですけど、

話す話題はだいたい変わり映えしない!
インプットどころか、ただの愚痴!

なので、仕事で疲れたり、お腹空いたりで、聞く集中力に欠ける時は…

話しかけられる前に距離を置く。

これが一番。
聞く力はどうした、なんて言わない。

では、自分は「聞く側」の役をすっぱり止めて、「話す側」に立つか?
いや、そんな言葉を発する話題も勢いも持ってませんって。

というわけで、しばらく聞き役キャラは当面降りられそうにありません。せめて、ブログのネタになるような話を聞きたいです。


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