ゾンビの夢

「朝、目が覚めるとなぜか泣いている。そういうことが時々ある」
現代社会に生きる日本人として、耳にしたことのない人間として存在することが難しい程、日本を盛り上げた映画。『君の名は。』
そこで主人公の三葉が冒頭で述べる台詞がこれだ。

「朝、目が覚めるとなぜか泣いている。そういうことが時々ある」

なかった。
私には残念ながらその経験がなかった。

朝起きて、あくび、もしくは半目の乾燥防止による涙によって、凝り固まった目やにが付いている事はある。
しかし、「悲しい」という感情を持って流す涙を、私は寝ている間に流したことはないように思う。
もしかしたら、それに気づかずにあくびの涙と勘違いしていることはあるのかもしれない。
どちらにせよ、私は「悲しい」という感情を抱いて目を覚ます事は今まで一度もなかった。
「なるほどぉ。そないなこともあるんですな」的な気持ちだった。

そんな私が先日、目を覚ますと泣いていた。

両目から流れた涙は、重力によって左に流れていた。
左耳まで到達した雫と、鼻を通っていく途中の雫。
左の頭にはいつも通りの寝癖。
目元にはいつも通りでない涙。
そして沸き上がる、「悲しい」という感情。
その事実に私は驚きまくり、しばらくベットで目元を抑えて、呆然としてしまった。

いや、泣いとる。

理由は明白だった。
その日見た夢だ。
とても恐ろしい夢だった。
めちゃくちゃ悲しい夢だった。
ゾンビの夢だった。

私は気が付くと、ゾンビで溢れかえる街にたたずんでいた。
私の愛して止まない映画『アイアムアヒーロー』の、主人公があまりの変わり果てた街の様子に「おい、まじかよ…」と呟くシーン。
何度も画面上で観たその光景が、目の前に広がっていた。
逃げ惑う人々。
ぶつかり合って煙を出した車たち。
人々に噛りつくただれた肌に血走った目をしたゾンビ。
大声、叫び声、怒鳴り声、クラクション、衝突音、爆発音。
そんな地獄絵図の中に、立っていた。

溢れ出るように思った。
「恐い」
それなのに、足が棒になり地面に突き刺さったかのように、動かない。
ヤバい、ヤバいよ。
これガチのやつだって。
動かないとだよ絶対。
「逃げよう」
誰かが叫んだそんなありふれた言葉に、急速に沸き上がる恐怖を感じた。
途端、弾かれたように走り出した。
とにかく逃げなきゃ。
何か手足を動かさないと、恐怖で麻痺してしまいそうだった。
でも、すぐに思った。

「どこに?」

前でも後ろでも、右でも左でも、同じ悲劇が目の前にあった。
どこを見ても地獄。
溢れる血飛沫、阿鼻叫喚。
どこに行くことも出来ない。
どこに行っても同じ。

途方に暮れて立ち止まった私は、さらなる地獄を目にした。

中学の頃の同級生が数メートル先に見えた。
駆け寄ろうとした瞬間、突然視界に入り込んだ黒い影。
そいつに喉元を噛みつかれた同級生は、発狂して地面に倒れた。
その倒れる導線を、彼の首から吹き出した血が描いて染めた。

一瞬の出来事だった。

びたん、と倒れた彼とゾンビ。
そのままジタバタと地面を転がる同級生に、尚も噛りつくゾンビ。
そのうち動かなくなった彼の周りには、擦れた血の跡で円が出来ていた。
動かなくなった彼を、ゾンビはまだむしゃむしゃと食し続けている。

視界が左に移動したことで、
「あ、今自分は目を逸らしたんだな」と思った。

その後、何人もの人を見た。
友人の元カレが遠くで食べられているのを見た。
後輩は、私に駆け寄ろうとしている途中でやられた。
小学生の頃の担任の先生は、昔のままの姿で髪をなびかせて走っていた。
程なくして悲鳴を上げた。

そんな場所で、私は段々と恐怖と戦う事に疲れてきてしまった。
襲いかかる恐怖、知り合いへの束の間の希望と、だからこそ突き落とされる何倍もの恐怖。
叫び救いを懇願する手を掴む事の出来ない、激しい自己嫌悪、憎しみ、絶望。

「いっそ私もゾンビになりたい」
それは、この状況下では至極全うな願望のように思えた。

と、遠くから叫びながら私へと駆け寄ってくる友人を見つけた。
後ろには足をもつれさせながら走るゾンビが2体。
走る友人は「助けて、助けて」と叫んでいる。
任せてよ。
そんな俯瞰した気持ちを抱いた自分に少し驚きながら、
「後ろの木まで走って」と友人に声をかける。
友人が私の横を走り抜ける。
私に2体が食いつけば、彼女はとりあえずこの危機を脱する事が出来るだろう。
友人を救える喜びよりも、「やっとこの地獄から解放される」という喜びを胸に、私は手を広げ、ゾンビ2体の前に立ちはだかった。

ゾンビが、私の横を走り抜けた。
一体は右を。
一体は左を。
私には目もくれずに走り抜けていった。

「え?」

すぐに後ろから友人の叫び声が聞こえた。
恐る恐る振り向くと、ゾンビ二体が友人を貪っていた。

頭が真っ白になった。
なぜ?
その答えはでないまま、私はなんども人とゾンビの間に入り止めようとした。

時には逃げる友人を、時には知らない親子を、何度も何人も救おうとした。
しかし、ゾンビは私を通過し、友人に、親子に、襲いかかるのだ。
どのゾンビも私だけを襲わない。
私に助けを求める人々の顔、後ろで響く悲鳴。
頭がおかしくなりそうだった。
大切な友人も、怯えるおばあさんも、救えない。
私の横を、ゾンビが走り抜けていく。
ゾンビを止めようと掴んでも、腐敗した肉体は崩れて取れて、私の片手に一部が残った。
どのゾンビも私を食べない。
襲わない。
私を見ない。
気にも止めない。
脇目もふらずに横を走る。
溢れかえる地獄の中で、私だけが無傷だった。
ゾンビに私は、見えていない。

それが悔しくて悲しくて辛くて、私は泣いた。
大声を上げて泣きわめいた。
人々の叫び声や悲鳴に紛れて、その声すら掻き消された。

そんな夢を見た朝、私は泣いていた。
夢か。
「いや、そりゃあ、夢だよな。」
と思いながら、ベッド脇にあるティッシュで涙を拭いた。
でもやっぱり気持ち悪くて、急いで顔を洗った。

そんな夢の話を、何人かの人に話した。
「そういえばこの間、こんな夢見てさ」と。

ほとんどの友人は
「なにそれウケる」と言った。
そうか、この話ウケるのか、と私は驚く。
私にとっては、全然笑い事じゃなかったけど。
そっか、ウケるのか。
私はなんだか不思議な、絶妙な気持ちになって、とりあえず「もう見たくない夢だ」と言ってみる。

ある人は、「夢診断とか見てみたら?」とアドバイスをくれたりした。
「精神的に何か感じてるのかも」と。
試しに調べてみたが、ゾンビそのものに怯えている事例しかなく、適切なものは見つからなかった。
「なにか悩んでるのかも」と心配してくれた友人。
思い当たらないくらいには楽しく生きてるよ、ありがとう。

色んな人にこの夢の話をする中で、色んな受け取り方、応え方をしてくれることを知った。
真剣に悩みとして受け取る人。
話題の一つとして受け流す人。
スベらない話として笑ってくれる人。
スピリチュアルな話をしてくれる人。
オススメ安眠グッズを紹介してくれる人。
それぞれの捉え方で、それぞれの反応を返してくれる。

私は正直、この話に対して自分がなんと返して欲しいのかは分からない。
正解は特にない。
なので、どんな対応だろうと構わない。
ただ、この話についてこの人どう返してくれるのだろうか。
そんな思いでこの話をするようになった。
笑ってくれるのか、悩んでくれるのか、スルーしてくれるのか。
それを知りたいと思うようになった。

だから最近、自分の人生において大切だと思う人には、この話をしてみる。
「この話を聞いて欲しい」
そう思ったことで、自分にとってその人が大切だと気づく事もしばしばある。
そんな自分に照ることも、たまにある。
私にとって「ゾンビの夢」はそういうものになった。

あの「ゾンビの夢」はいったいなぜ、なんで見たのか。
それは今でもやっぱり分からないし、分からないままでいいかなと思う。
正解よりも、この人はなんて返してくれるかな、が気になる。
そんなささやかな、大切な人への話題としては、少々パンチがあるかなとは思うが、悪くはない。

その人がどんな応えをくれたとしても、私はきっと嬉しい。
私がその人に「ゾンビの夢」を話したいと思ったこと、聞いて応えてくれること。
その事実が、多分嬉しい。
大切な人を大切だと思えること、そんな相手と、会って話が出来ること。
それだけで、しばらく先まで頑張れそうな気持ちになる。

だから今は、夢の意味は知りたいと思わない。
そんなお気楽で単純な私の見る夢に、大それた意味や特別な意味など、特にないのだろうから。

でもやっぱり、もしこの夢を見た事で分かる悩みとかがあれば、こっそり教えて頂きたい。





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