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幸せの先を見てしまう

 思えば、あまり幸せと言える人生を送ってはこなかった気がする。父親を自殺で失い、自分は精神疾患にかかり、やっとのことで就いた正職という地位も失った。別に、不幸自慢をしたいわけではない。世の中を見渡せば、もっと悲惨な状況に置かれている人なんてたくさんいることだと思う。だが、それらの出来事は、私にとってはすべて耐えられないほどつらかった。この人生の中で、生まれてよかったなんて思ったことは一度たりともない。

 それでも、人生の中で幸せだと思う瞬間は何度もあった。好きなアーティストの奏でる素敵な音楽に浸かっている夢のような時間、一緒に暮らしている猫と添い寝をしている平和な時間、好きな人と笑い合って心が温かくなる安らぎの時間――。だが、その幸せを目の前にすると、どうしても心が締め付けられるのだ。

 私は、幸せな出来事に遭遇すると、純粋に喜ぶことができない。 その先にある終わりを見てしまうからだ。幸福感を感じないわけではない。ただ、それと同時に虚しさも感じてしまうのだ。

 何事も、始まりがあれば、必ず終わりがある。当然、幸せな出来事も例外ではない。始まった瞬間から、すでに終わりに向けて進んでいるのだ。永遠など存在しない。生きとし生けるものは、すべて朽ち果ててしまうものだから――。

 私は、時間が有限であるということを、痛いほど理解している。だからこそ、その終わりを強く意識して、胸が押しつぶされそうになってしまう。そして、終わりが訪れた瞬間、私の心は虚無感に支配される。からっぽで、セミの抜け殻のように脆く、すぐに壊れてしまう。

 私は、この瞬間を迎えるのがたまらなく怖い。だから、幸せの先にある終わりばかりを見て悲観的になってしまう。「幸せ」と思う今この瞬間だけを見つめていれば、虚しさなんて感じるはずもないのだが、それはこの上なく難しいことであるように感じる。どうしても恐怖心に負けてしまう。「永遠」など存在しないのだから。別れは必ずやって来るのだ。

 それはつらいことである。胸が張り裂けそうなくらいに。だが、決して悪いことだとも思わない。終わりの存在を知っているからこそ、その時間を大切にできるのかもしれない。だから、私はこれからも、その感覚に耐えながら、一瞬一瞬を大切にして生きていきたい。

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