見出し画像

これを恋と呼ぶのだろう③

 3限の英語の授業が終わり、私は相変わらず誰とも会話をすることなく、朝からずっと一人で大人しく席に座っている。いくら勉強に集中しなければならないといっても、一日中座っていたのでは気が滅入る。そうだ、気分転換にこの教室から出よう。だが、そうはいっても教室から出たところで、どこに行けばいいのだろうか。授業の合間の休み時間は10分しかない。校舎の外に出てのんびりする時間はないし、かといって一人で校舎内をウロウロ彷徨っているのも、それはそれで恥ずかしい。そう考えると、行き先は一つしかなかった。そう、トイレだ。私は休み時間が終わらないうちに行かなければと、急いで席を立った。

 目的地についてみると、相変わらず混んでいる。皆、考えることは同じなのだろう。それに加えて、女子トイレの個室は3つあったが、生徒の数を考えると、その数はあまりに少ない。だから、休み時間になると、トイレの外まで行列ができてしまう。なぜ、この混雑を見越して個室の数を多めに作らなかったのかと、不満が溜まる一方だ。今私が考えても、全く意味がないことなのに・・・このようなどうしようもないことを考えて、心に溜まったモヤモヤをまた大きく成長させてしまったのは、きっと周りの声がうるさいからだ。順番待ちをしている人の中には、友達と一緒に来ている人もちらほら見受けられる。彼女たちは、友達との会話に夢中になっているせいか、トイレに行列ができていることなんて、ちっとも気に留めていないようだ。私は彼女たちの楽しそうな姿を見て、孤独を感じた。正直、彼女たちが羨ましかったが、あくまでも「一人が好きで、人と関わりたいとは全く思っていない人」という自分を演じた。寂しいと認めてしまえば、私は一層みじめな思いをしてしまうと分かっていたからだ。

 私は、なるべく余計なことを考えないように、自分の心を封印しながら自分の番を待った。ついに私の目の前で個室のドアが開き、私は小走りで個室へと入って行った。この場所がこの予備校で唯一、安心できる場所だ。今日、初めて脱力した気がする。人と接していないにもかかわらず、私は神経を使いすぎたようだ。できることなら、しばらくの間、誰の目も気にしなくていいこの場所で、穏やかな時間を過ごしていたい。もちろん、授業をサボってそんな無駄な時間を過ごすことなど、私自身が許さないだろうが。それに、私がずっと籠ってしまったら、きっと用を足せずに授業に戻らなければならない人だって出てきてしまうだろう。それではあまりにも不憫だ。私は長い溜息をつき、重い腰を上げ、息を止めたときのような緊張感を身に纏いながら個室を出た。

 休み時間もあと5分を切っているというのに、未だに列が続いている。そして相変わらず、人の話す声が耳に入り込んでくる。

 「なんでだよ・・・」

 私は鏡に向かいながら、誰にも気づかれないような小さな声で、ボソッと呟いた。

 「岩岡さん?」

 「ん?」

 自分の名前が聞こえたものだから、とっさに返事をしてしまったが、私と同じ名前の別の誰かに話しかけたのだとしたら、恥ずかし過ぎて、この先ずっと、私は俯きながら予備校生活を送らなければならないだろう。そもそも、なぜいきなり話しかけられたのだろうか。そして、彼女はなぜ私の名前を知っているのだろうか。

 「南高だよね?」
 
 「うん、そうだよ」

 「ずっと、話しかけようとしてたんだけど、なかなかタイミング掴めなくて・・・よろしくね!」

 「あ、ああ、よろしくね」

 どこかで見たことのある顔だと思ったら、彼女も同じ高校だったようだ。心のどこかで期待していたことは認めるが、まさか本当に私が誰かに声を掛けてもらえるなんて、夢でも見ているようだ。心の中に大きなヒマワリが一気に花を開いたのような、明るい気持ちになった。それにしても、もう少しましなタイミングで彼女と遭遇したかった。しかめっ面で、ふてくされている自分を見られたと思うと、最悪な第一印象を与えてしまったのではないかと不安になる。声を掛けてもらったのはいいが、その後はどのくらいの距離で接すればいいのだろうか。彼女はどのようなつもりで私に声を掛けたのだろう。友達になってくれようとしているのだろうか。お昼は一緒に食べていいのか、気軽に声を掛けていいものなのかもよくわからない。そもそも、私は彼女の名前すら知らない。なぜ名前を聞かなかったのかと、自分を責めたが、あのときの私は、言葉を返すことで精一杯だった。できることなら、今の記憶を保ったまま、5分前の自分に戻りたい。戻ったところで、自分の満足のいく行動を取ることができるという保証はどこにもないが。

 とにかく、今は戻らなければならない。もうすぐ4限の授業が始まる。私は、心の中に大きな不安を残したまま、教室へと戻って行った。

―続く―

いつも最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 あなたのスキがすごく励みになります。 気に入っていただけたら、シェアしていただけるとありがたいです。 これからも書き続けますので、ぜひまた見に来てください!