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これを恋と呼ぶのだろう④

 私は教室に戻ると、急いで次の授業の準備をしながら、トイレで話した《あの子》を自然と探していた。もちろん、《あの子》に怪しまれてはいけない。だから、どこに焦点を当てるわけでもなく、あくまでも自然と目に入ってしまったように装った。だが、そんな中途半端な探し方では《あの子》が見つかるはずもなく、ただただ無駄な時間だけが過ぎていった。《あの子》は今、何を考えているのだろう。私と接して、一体何を思ったのだろう。

 ―キーンコーンカーンコーン―

 自分の席に座って間もなく、授業始まりの合図が鳴った。参考書も筆記用具も机の上に出して、傍から見ればもう準備は整っているはずなのに、授業を受ける心構えなど全くできていなかった。自分の心を整理する時間が欲しかったが、先生は私の事情なんて知りもせず、いつものようにテキストを開いて、淡々と話し始めた。

 「はい、じゃあ12ページを開いて。早速、今日の問題を解いていこう。3次方程式X³+2X²+3X-4=0の解をα、β、γとするとき――」

 この手の問題は私の得意分野だ。授業を聞かなくとも解き方はすでに分かっている。数学は解き方さえ理解していれば、自ずと一つの答えに辿りつくことができるから好きだ。計算は面倒くさいが、覚えなければならないことも少なければ、公式が自然と私を正しい方へ導いてくれる。こんなに楽な科目は他にないだろう。それに比べて、《あの子》の言動はどうだろうか。答えがわからないのは言うまでもないが、公式のように答えを導いてくれるものも何もない。

 《あの子》は一体、どんなつもりで私に話しかけてきたのだろうか。私たちはもう友達だと思っていいのだろうか。友達だとすれば、お昼を一緒に食べていいのだろうか。用もないのに、休み時間に話しかけに行っていいのだろうか。帰り際、「一緒に帰ろう」と声を掛けてもいいのだろうか。どこまでが私に許されているのか、不安で仕方なかった。少しでも間違った選択をすれば、私は《あの子》に「不合格」の烙印を押され、白い目で見られることに耐えながら苦しい予備校生活を余儀なくされるかもしれない。いや、もしかすると、もうすでに冷ややかな目で見られているのかもしれない。私はただ《あの子》にからかわれていただけかもしれない。いつも一人ぼっちでいる私に声を掛けたらどんな反応をするのか見て面白がっていただけかもしれない。一緒につるんでいる友達に私の様子を報告して、ゲラゲラあざ笑っているのかもしれない。考えれば考えるほど、嫌な思考が次から次へと頭の中から湧いて出てきた。この数学の問題を先生が教えてくれるように、《あの子》への対応の仕方も、誰かが教えてくれたらいいのに。そうすれば私は、何も心配することなく受験勉強に専念できるのだ。やはり、友達を作ろうとするとろくなことにならない。私は一人でいる方がいいのかもしれない。そうだ、一人がいいに決まってる。私は半ば強引に自分を納得させた。

 ―キーンコーンカーンコーン―

 「では、今日の授業はここまで。」

 気がつけば、教壇に立って数学の問題を教えてくれていた先生はもういなくなっていた。先生の板書をノートに写してはいたものの、先生が何を話したのか、この問題の答えは何だったのか、全く記憶に残っていない。記憶に残っているものといえば、授業が始まる前に交わした《あの子》との会話だけだ。会話と言えるのかどうかも怪しいが。それにしても、1時間近くずっと《あの子》のことを考えていたというのか。友達でもないのに。大学受験のための大切な授業をないがしろにして、今日初めて言葉を交わしただけのただの他人である《あの子》を優先してしまったことに、受験生として深く後悔した。

 もうこんなくだらないことを考えるのは、これで終わりにしよう。私は受験生だ。切り替えなければならない。次の授業の準備をしようとしたが、ついさっき受けていた授業が4限の授業だということに気がついた。4限の授業が終わったということは、もうお昼の時間だ。《あの子》は今何を思っているのだろう。私はあの子とごはんを食べた方がいいのだろうか。ああ、まただ。この話は自分の中でけりがついたはずなのに、どうしても考えずにはいられない。だめだ、調子に乗ってはいけない。きっと《あの子》にとって私など、どうでもいい存在でしかないのだから・・・

―続く―

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