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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第三話 只野真葛(ただのまくず)(1)

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 歴史の年表をみていると、出来事と出来事のつながりよりも、そのつながらなさのほうが気になってくることがある。
10世紀から11世紀にかけて、清少納言や紫式部らが活躍し、千年の時間に耐える重大な仕事をなしとげたにもかかわらず、19世紀後半に樋口一葉が現れるまでの間、女性の書き手の名が文学史年表からほぼ姿を消してしまうのは、なぜだろう。

 江戸後期の列島に生きた書き手、只野真葛ただのまくず(1763-1825)は、この断層を埋める意味をもつ仕事をしたキー・パースンのひとりであるように、私は思う。

 真葛は、少女時代に手にした重大な問題を、どこまでも手放すことなく考え続けた、たぐいまれな思想家であり文学者だった。
その彼女が全身全霊で自分の問題に打ち込み、出版のあてもないままにその答えを書き記そうとした畢生のライフワークが、『独考ひとりかんがえ』である。
 文政元年(1818)12月、真葛はその序文をこう書き出している。

 「此書すべて、けんたいのこゝろなく、過言がちなり」。
 この書はすべて、へりくだる心なく、無遠慮な言葉に満ちている。

世の常の人であれば、身を控え過言を慎むのも当然である。だがこの真葛は、35歳を一期と定め、死出の道、冥土の旅と覚悟してこの地にくだってきた以上、すでに世に無きも同じ、とうに終えた命と思っている。今さらどれだけ人に誹られ、憎まれても痛くも痒くもないし、この本を憎み誹るほどの人などは、恐るるに足りない。
 序文はさらにこう続く。
私の胸には今、人びとへの慈悲と哀傷の思いが満ち満ちている。自分だけの身を富まそうとして外国の脅威を思わず、国の浪費も構わず、目先の利に血眼になって黄金争いに明け暮れる、狂気の沙汰を目のあたりにする嘆かわしさゆえに、私は筆をとったのである。痛くも痒くもないのはそれゆえなのだとお心得のうえ、この書をお読みいただきたい。

 このとき真葛56歳。何とかして『独考』を世に問いたい真葛が、添削と出版の斡旋を求め、最初の読者に選んだのは、何の面識もなかった当代きっての読本作家、曲亭馬琴(1767-1848)。仙台に住んでいた真葛は、江戸在住の妹・萩尼(栲子たえこにこの書を託し、文と金一封をそえて、九段下飯田町に住む馬琴のもとに届けさせた。

曲亭馬琴(『國文学名家肖像集』1939年5月25日、著者ハンナ(?)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyokutei_Bakin.jpg パブリックドメイン)
(『国文学名家肖像集』永井如雲 編 博美社、1939年  五渡亭國貞貞筆 摸本編者所藏)

その時の情景を、真葛の4つ年下にあたる馬琴は、のちに追憶している。

 家の者が出払って一人でいたとき、尼僧が一人の供を連れて訪れ、ご主人にお渡ししていただきたいものがあります、と言った。自分は来客は取り合わず、わずらわしい交わりも避けていたので、そのまま従者になりすまして、主は留守にしておりますと小芝居をした。
尼は一通の書状と金一封、それに草紙三巻を懐から取り出し、取次ぎを乞うた。困りますそれは、と従者は断ったが、尼はきかない。仕方なしに受けとり、奥で書状を開くと、紹介者もいないのに、宛名は本名ではなく戯作者名で「馬琴様」、差出人は「みちのくの真葛」とだけあり、身元も本名も記されていない。なんと尊大で無礼な手紙であろうか。

旧飯田町(千代田区飯田橋1丁目)の馬琴宅の井戸跡
馬琴宅の井戸跡

馬琴を怒らせた「みちのくの真葛」とは何者だったのか。その草紙にはどんなことが書かれていたのか。

→ 只野真葛(2)へつづく

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◆参考文献

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◆著者プロフィール

野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。

〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』  みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!
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