寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第2回 ジョージア篇(9)
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ジョージア篇(9)
ジョージア式おもてなしとピロスマニの街
終点シグナギは冷たい霧雨の中だった。
バス停周辺には人影もなく 降車10秒で心が折れかける。
Wi-Fi頼みのスマホでは道案内も使えず、道順をメモしたノートを右手の親指と人差し指にはさみ、残り3本指で傘の柄を握り、左手に 小ぶりとはいえ雨の上り坂で重さが2倍くらいに感じるスーツケースを引っ張って歩き出した。
閉口したのは、石畳というよりレンガ畳の坂道を登るハードさ。言っちゃ悪いけどレンガとレンガのジョイント仕上げが雑で、一歩進むごと荷物のキャスターが悲鳴をあげる。その上、坂の上から雨水が滝のような勢いで流れ落ちてくる。
霧雨で30m先も見通せない中、宿までは複数の分かれ道をクリアする必要がある。
スーツケースの取っ手を握る指先は凍えて感覚がなく、びしょ濡れの靴の冷たさにすっかりへこたれた視線の先に、写真で見覚えのある城門が救助船さながらに見えた時は安堵と感謝のあまり、神よ、と天を仰いだ。
その先も分かれ道の選択を誤っては行ったり来たりを繰り返し、30分ほどかけてゲストハウスの扉を叩き、出迎えてくれた高齢の夫婦にようこそ、と温かな手で背中を包むように出迎えられた時は、乾きと疲労で倒れる寸前にオアシスにたどり着いた砂漠の遊牧民ベドウィンはこんな気持ちだろうか、と思った。
ダヴィドと妻、ダヴィドの弟、兄弟の両親が一家で経営するゲストハウスは全10部屋。
私が予約したバストイレ付きシングルルームは驚くことに一泊税込40ラリ(約2250円)、手作りの夕食35ラリ、朝食15ラリ。もちろん全部お願いした。
そこから翌日チェックアウトするまでこの宿で受けたさまざまな心遣いやサービスは「お客様は神様からのつかい」というジョージアの諺そのままのような体験だった。
まず、案内された部屋で荷を解くや食堂に案内され、よかったら、とぶどう畑とワイナリーも経営する彼らの自家製ワインを勧められた。
赤と白のワインボトルにその場でカットしてくれたトマトとチーズ。花のような香りのアンバーと、ベルベッドのような濃厚さと渋みを感じる赤。塩をパラリとふっただけの素朴なトマトとチーズとの相性ばつぐん。
朝、カハの宿を発ってからの苦労と今ここの安堵をかみしめつつ、誰もいない食堂の窓からこのままひとり霧雨の景色を味わいながらワインを傾け、ぬくぬくと過ごしたい誘惑を必死に振り払い、せっかくきたんだ、ボドゥべ修道院まで足を伸ばそう、と決める。
宿から歩いて約30分のボドゥべ修道院は、4世紀、トルコのカッパドキア出身でジョージアにキリスト教を伝えた聖ニノの墓があることで知られる聖地中の聖地。
聖ニノといえば、そう、結婚式を見たトビリシのシオニ大聖堂の守護神でもあるお方。人々の信仰心は厚く、アルメニアに次いで世界で2番めにキリスト教を国教に定めて以降、ジョージアは異教の国々との戦いが宿命に。
ボドゥべ修道院も、カハが守るアルメニア教会同様、戦いのたびに破壊と再建がくり返されたそう。
現在の修道院には ジョージア国内外から訪れる巡礼者の姿が引きもきらない。私が訪ねた時も、霧雨が降り続いた天候にもかかわらず、シグナギから続く道には人の姿が絶えず、修道院の祭壇下に置かれた聖ニノの石棺前には、多くの参拝者が列を作っていた。
ジョージア人とおぼしき高齢の参拝者が身をかがめて棺を覆うガラスにキスをしたり、そこに手をおいたまま涙ぐむ姿を目の当たりにすると 神なき私さえその敬虔な姿に粛然とし、思わず一緒に蝋燭に火を灯させてもらった。
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