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Vol.2.5 母との家出編

前回の流れから、中学〜高校生時代の思い出を書こうと思っていましたが私の印象に残っている事がありました。
題名にもしましたが、母が父と喧嘩をした後に小学生の私を連れて家を飛び出し、車に乗せられてドライブをした事が度々ありました。
いわゆる『家出』というやつです。
その時の事を少し書こうと思います。

母は父と喧嘩しているといきなり「出ていくで!」と私の手を引いて家を出て車に乗り込み走り出します。
私はいつもの事なので助手席で特に何かを話す事も寝る事もなく、ただボーっと外を眺めています。
母の父に対する愚痴をひたすら聞きながら走ります。
当時はどこを走っていたかも、どれぐらいの時間を走っていたかも分かりませんが高速道路に乗って私の知らないところをただ走っているだけでした。
当時は車にカセットテープが付いており、母は毎回同じ曲を聞いていました。
荒井由美さん(現:松任谷由美さん)の【中央フリーウェイ】という曲でした。
なぜか家出している状況や景色が歌詞とリンクして耳にずっと残っています。
今でもこの曲をたまに聞きたくなり、たまに聞いています。
詳しくは後述しますが私の母は結論から言うと最近亡くなりました。
亡くなった時の事はまた書きます。

母が亡くなってから松任谷由美さんの曲を聞くと当時の記憶が特に鮮明に甦ってきます。
思い出の曲というと語弊がありますが、私にとっては忘れられない記憶です。

家出中の車の車内から窓越しに流れる風景を見ながら曲を聞いていました。
ただただ目的もなく走り続け、何時間走っていたかは分かりませんが、私には永遠に続くのではないかと思うほど、すごく長い時間でした。

長いドライブを終えると家に帰ります。
おそらく母は父が寝るのを待って帰宅していたのだと思います。

この時はまだ携帯電話もあまり普及していない時でしたので、電話がかかってくることもなく、一歩家から出ると父の怒鳴り声などから解放されていたのだと思います。

ただ、ここまで書いてある事を見ると完全に父が悪者になってしまうと思いますが、そんな事ないのが夫婦喧嘩の難しいところです。
当時は母の味方をしておりましたが、今思い返すと家にお金がない事に苛立ちを覚える母がお酒の力に任せて父に言葉でぶつけてしまい、口があまり上手くない父がそれに対して爆発するというのが毎回だったので母にも喧嘩の原因があったのではないかと思ったりします。

今の私が当時に戻れるならば、もう少しいい家庭環境を作れたのかな。とも思いますがそれは所詮、今になってから思う事で願っても叶わないとわかっています。

この時から私は、

喧嘩=怒り=怖いもの。

と考えて怒りという感情が無くなりました。
よく人から優しいとか全然怒らないなどと良い風に言っていただく事が多いですが、私としてもう少し人に怒ったり感情的になってみたいと思う時もあります。
いわゆる反面教師というやつですね。。。

家出をした次の日も次の日も喧嘩を繰り返す両親を見てなぜ離婚しないのだろうと考えていました。
母にその質問をすると『あなたがいるから離婚できない』と言われた事があり、その時心に強く誓いました。

【絶対大人になって自分でお金が稼げる様になったら家を出てやる!】

と。

喧嘩がエスカレートすると父はテレビのリモコンを投げつけたり、家の扉のガラスを割ってしまったり、母に至っては当時家で飼っていた金魚の水槽を地面に叩きつけて散々な状況になった事もあります。
割れたガラスが私の目に入って激痛を覚えた事もあります。
今考えるとやばいですよね、、、

そんな事があっても私は現在は強く、家族を持ち、生活ができています。
もし現在、同じ様な経験をしている方や親の立場で子供にその様な状況を与えてしまっている方がいらっしゃったら誰でもいいので相談してください。
辛い事を一人で抱え込む必要はありません。
誰も相談できる方がいなければ、私もいつでも相談に乗らせていただきます。連絡ください。

長くなりましたが、次回は中学〜高校の事を書いていこうと思います。
本当に思い出をなぞりながら、ただキーボードを走らせているだけですので文脈や言葉の使い方がおかしくてもお許しください。

それでは、本日もありがとうございました。

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