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とらと言うひと

まず終わりに、ではなく初めにわざわざこのノートに興味を持っていただき本当にありがとうございます。

Twitterではとらと言う名前で活動しており、22歳神戸市在住です。

本名は公開していないのですが、少しずつ現実に近い状態で発信しようと思いこのノートを書こうと思いました。

このノートで何を発信するかって、自己紹介のみなんですよね。

ただ、自分が22年間を生きてきて感じた事を 

人生に本気になっている皆さん” 

に届けばいいなと言う気持ちから執筆に至っています。
あと自分がやってみたかったからです。その気持ち9割です。(嘘です)

この文章であなたに勇気を与えれたならそれほど嬉しいことはありません。

幼少期

自分は生まれも育ちも大阪で、割と大阪の繁華街から近いところで育ちました。

ごく普通の家庭で両親と妹との4人家族、二人兄弟の長男です。

幼稚園の頃の記憶が結構あって、雛人形が並べてある雛壇ぶっ壊したり運動場のど真ん中でう○ちしたり葉っぱ食ってみたり。年長さんがクラスの部屋全体を使って作った迷路を全部壊した時はめちゃくちゃ怒られました。

初恋は幼稚園の先生で、気持ちは伝えなかったけど顔は今でも覚えています、名前は忘れました。少しでも気を引こうとして先生の前でおしっこちびっちゃいそうって言ったら、行っておいでって軽くあしらわれたのもいい思い出です。ええ、最低の口説き文句です。分かってます。

お祝い事は家族みんなで祝い、書道、スイミングなど習い事もさせてくれて買ってほしいものも頑張ってたら買ってくれたし、友達にも困らずそれなりに幸せな幼少期だったなと思います。お父さんお母さんありがとう。

小学生に上がって高学年になり、バスケやソフトボールやってみたり、やっと仲良くするメンバーが定まってきてめちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。自転車で行ってはいけないところに行ってみたり防波堤のドラム缶に木を入れて燃やして焼き芋作ったりめっちゃ汚い都会の川に飛び込んだり。書いてみて思うのは、とにかくルールを破るのが好きだったみたいです。一度マンションのエントランスでサッカーしてて自分が倒れたところに自転車も倒れてきて目に突き刺さったこともあります。母親がど天然なので、何を思ったのかそのまま母親の自転車に乗せられてニケツで病院に行き手術しました。今思えば確実に救急車案件です。そして目は物理的に涙腺崩壊してたらしく、あと何ミリかズレてたら失明してたみたいです。今もその傷はあります。

丁度その頃くらいですかね、やたら欲しい物とかを我慢させられて、今までみたことなかった両親の喧嘩が増えた気がして、すごく仲が良かったイメージがどんどん崩れ始めたんですよ。自分に直接被害があったわけではないのですが、子供ながらに両方の顔色伺って。何よりもショックでしたね。子供の俺が一番大人やん。←

自分は小学生から中1まで近所の神社で夏祭りに太鼓を叩く行事に参加していたのですが、練習中に母親と妹が突然きて、「お父さんと喧嘩した!包丁まで出された」などと供述しており、それを聞いて自分がまず感じたのは恐怖だったと思います。お母さんを大切にしろと親父から言われてきたので、さすがに暴力振るうことは無いだろうと思っていたのですが、そこまできたかって感じでしたね。

それから原因は特に興味がないのでよくわからないのですが、母親と妹との3人暮らしが始まりました。

自分は自分の人生を優先するタイプだし、母親は母親なりに迷惑かけたくないと思っていたのか家事を頼まれたことは数えるほどしかないです。遅くまで働いて、洗濯、掃除など全部やってくれました。それが母親の選んだ道だし、ちゃんと子供を産んで育てると決めたならそれは母親として当然のことだと思います。ですがこんな楽しい人生を歩ませてくれているのは、しっかりと感謝しています。そんなこんなで小学生を終えました。

中学高校時代

中学校に入学して、1発目の学級代表になりました。誰も立候補しないしクラスの代表とかカッコよくね?と思いやりましたがただみんなより早く学校に来て入り口で挨拶するだけ、任期満了で惜しまれながらも引退しました。そして部活は小学校の時にソフトボールをガッツリしてたのでその名残で野球部に入りました。自分めちゃくちゃ飽き性なので2年でレギュラー取ってやめました、後悔は全くしてないのでよかった。

そして勉強も飽き飽きしてきて家庭環境的にも寂しかったのか、タバコ吸い出したり夜遊びしたりバイク乗ってみたりし始めたのはこの頃からです。学校も徐々に行きたくなくなり、家には先生が呼びに来るので友達んち泊まって先生から逃げたり悪い事しまくってました。とにかく友達と遊ぶのが楽しくて、悪い先輩と悪いことするのがカッコよくて、荒れ果ててました。

そして自分は勉強もしないくせに仲良い友達がいるからって理由で塾へ入りました。塾にはゲーム機持っていってみんなが終わるまでずっとゲームしてました。塾へも先輩から買った1万五千円の原付で行き帰りしてました。ある日友達何人かと同級生の女の子と塾終わりに喋ることになって、そりゃあもう原付乗って自慢しに行きたいわけじゃないですか、友達後ろに乗せてナンバープレートタオルで隠して爆走するわけですよ、そしたら見事にパトカーに見つかりました。原付でニケツって想像以上にスピード出ないんですよ、なので曲がったタイミングで友達おろして自分はとにかく逃げたんですよ、で防波堤にバイクおいたタイミングでその友達から電話かかってきました、捕まったって。

頭真っ白ですよね。そのまま二人とも本署連行。自分早生まれなんですけどその時14歳ギリギリなってなくて、14歳未満だと触法少年ってのに分類されるらしく調書書いて母が迎えにきて終わりでした。迎えにきた母は怒る訳でも無くただ泣いていました。そして警察に頭下げて帰りました。未だに警察に頭を下げた理由はわかりません。母が自分を怒らなかったのは、少なからず母自身責任感じてたからなのかも。 

ひたすらにこの頃は反抗期だったのでぶつかることもたくさんありました、お前が産まなかったらここまで不自由することもなかったとも言いました。じゃあ死ねよって話なんですが、死ぬ勇気も無くただ人のせい。あの頃は本当に傷つけたと思います。過去の母へ、息子が改心するのはまだ先だ、頑張れ。

そんなこんなで書き切れないほど色々ありましたが他人に迷惑をかけまくって色々な方にお世話になった中学生活を終えました。

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そして高校入学。行ける高校がなかったので俗に言う名前を書いたら受かる所に特にしたい事も無く入学しました。工業高校で女子がほぼいないような高校でした。そして何よりめちゃくちゃヤンキー多い。不良漫画かなと思いましたね。

他地区の中学校で仲良かった子達が何人かいたのでそいつらとグループ化してどんどん友達増えて、学校に売店あるとか最高!みたいなノリで初めはめちゃくちゃ楽しかったのを覚えてます。

でも目標もないのに楽しいのは最初だけ。

ある日授業中に寝てて、先生に出てけと言われたので素直に教室を出たらやたら止めて来て暴言吐くんですよ。それでプチンと何かが切れまして揉み合いになってたら他の先生が止めに来て生徒指導室に入れられたんです。まあ事情聞かれますよね、じゃあ自分が口開く前にその教師が『勝手に出ていくから止めるの必死だよ』って言うんですよ。その時は怒りより悟りです、もうだめだと思いました。ただ、自分がこんなやつなので何をいっても信じてくれない気もして、する事なくて飽きたのもあり何日かしてから自主退学しました。2ヶ月で高校生活は終了しました。

就職

こうしてやる事が無くなったので仕事を探そうと思い、違う高校ですが入学3日目で先生の顔面に靴下を投げて退学になった奴が現場仕事をしていたので、足場鳶って言うめちゃくちゃかっこいい名前に惹かれて仕事内容も聞かずに就職しました。

初めての肉体労働は今思うと比喩ではなく本当に死ぬほどしんどかったです。15歳からだったのでもちろん自分が一番若いので、全ての筋肉を使って仕事をして、休憩中には先輩の飲み物を買いに行く、昼ごはんのお湯を沸かす、ゴミを捨てにいくなど全ての雑務は自分の仕事です。

そして何よりも先輩が今までの比にならんぐらい怖い。中学校の時からある程度怖い先輩もいたので礼儀などは教わってきたのですが、ミスをすると殴られるので礼儀とか関係ないんですよね。そしていじりも今のパワハラとか完全無視のもはやいじめでしたね。真夏の屋上が鉄でできている所にくくりつけられたりとか、ヘルメットもどつかれて何回か割れました。

居酒屋などでバイトはしましたが、初めての就職がここだったのでこれが当たり前だと思っていました。

されるたびにいつか殺す!とか思っていましたが、なんだかんだ不器用なだけで愛情はあったんですよね、出来なかったら煽られて、悔しくて泣いたら更に煽られるけど、帰りに頑張ったなってお菓子とジュース買ってくれたり。色々な事で根性付きまくったし、今の自分に確実にプラスになっています。久しぶりに会いたいな。

そしてこのタイミングでタトゥーを入れました。誰にも相談せずに俺は何にも縛られ無いような生き方をしたいと思ったのが一番の理由でした。周りには子供できたらプールも温泉も行かれへんとか言われましたがうるさいとしか思わなかったですね、それなら海外のプールに連れて行けばいいし、そもそもプールと温泉でしか図れない人生ってなんなんだ。周りと違うことをしている自分を否定したいだけにしか聞こえなかったです。本当にひねくれていると思いますが、自分に取っては大事で意味のあるタトゥーなので、今も全く後悔はして無いです。

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そこから2年ほど続けて会社を辞めました。辞めたのはシンプルに自分が子供で、会社を株式にするタイミングで給料が下がるのが嫌で辞めました。理由を掘り下げていくと長くなるのでここでは割愛させて下さい。

そこから梅田のガールズバーのマネジメントしたり車の無免許運転で逮捕されたり遊び呆けてたんですが(めちゃくちゃ割愛w無料クオリティなので勘弁して下さい。)

ここからは自分の変化について書こうと思います。

人生の気付き、そこからの人生本気運用

まず、なぜ人生を本気で生きて本気で稼ごうと思えたか。これは本当に運命の巡り合わせで、また違う建築会社に就職して、会社の都合で大阪を離れて神戸で暮らす事になり初めて親元を離れての一人暮らしで、こっちに友達もいないのでせっかく一人になったなら時間もできるし挑戦してみようと思ったのと、俺いつまでこんなこと続けんねやろと思ったのがきっかけでした。現場仕事で独立する気はないし、給料も貰える限界近くまでもらっていたのでこの先がないなと思いました。

何かしらの経営をしようかなと思ったのですが、人を使って仕事をするよりも自分1人でどれくらい戦えるか知りたくて、投資を選びました。そして株式投資を選んで、口座を作って本を買いました。それと同時に今ある人脈を生かそうと色々な成功している方にお話を聞きました。すると一人の経営者の方から、FXなら信頼できるサロンがあるよと教えて貰いました。株式ではないですがこの人が言うならと思いすぐにサロンを運営している人にコンタクト取りました。電話で一通り説明を受けて、入会するために必要な金額は40万円。

どっから用意すればいいんだと思いました。貯金は0だしもらっていた給料で払えば生活費が払えない。でもこのまま用意できなかったら”このまま”で終わると思い、まずクレジットカードを作り、消費者金融2社登録して、彼女にも借りて1週間でなんとか用意できました。

彼女は貯金があったのですが、その時付き合って1ヶ月くらいでした。普通だったらこんな大金貸さないと思うし怪しいから辞めときってなるはずなのに、なんでもやってみたら?って次の日には用意してくれました。両者ともに頭おかしいと思います。wこの日は絶対に幸せにすると誓った日。

そして無事に入会して、お世話になった人の為に1秒も無駄にしては行けないと、講師の方に”不安になるレベルのスピード”と言われるくらい頑張って結果を出して現在に至ります。

現在はFXとバイナリーの研究をしていて、覚えたい方にコンサルティングもしています。

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最後に

長々と自己紹介をしましたが何を伝えたいかって結局、本気で頑張れば自分みたいななんもないやつでも出来るんですよ。

勿論彼女にも迷惑かけて、こんなに時間を取られると思っていなかったのか寂しいって泣かれる事もありました。その度に俺が選んだ道はあってたのか?幸せにするために頑張っているのにこれじゃ本末転倒じゃないのかなんて思いながらも頑張ってして取引したら赤字になったりもするわけですよ、友達と遊ぶ時間もないし。トリプルパンチで何度泣きながらチャート見たことか。何度やめようと思ったか。

それでも辞めなかったのは、継続すれば絶対に幸せになれると思ったから。あの時はしんどかったけどこの道選んで良かったって言える未来が来ると信じてたから。今も大金持ちでは無いですが、少しずつ時間配分も出来るようになり、彼女も応援してくれて今は今で幸せかなと思っています。(コロナ自粛でぶーぶー言ってますが)

そして自分には夢が2つあります。

1つはお世話になった人を全員招待して京セラドームで歌手と言う肩書きなしでライブをする

2つ目は動物の殺処分を0にする事。

全て上記2つのための過程でしかないです。

1つ目に関しては母親がゴスペルを趣味でやっていて、妹が音楽の専門学校出身の音楽大好き家系で、自分も音楽が大好きです。歌手ではなく影響力を自分の力でつけてドームって言う歌手ですら立つのがやっとのとこに影響力で立ちたいんです。かーちゃんと妹にもその景色を見せてあげたい、これがTwitterを運用してる理由でも投資をしてる理由でもあります。

2つ目の夢は友達の夢です。これを俺が引き継ぐ形にしました。と言うのもそいつ交通事故で死んじゃったんですよね。誕生日の日に。お通夜に800人来るような素晴らしく熱い男でした。犬が大好きで、殺処分をなくす!って頑張ってたけどもうそいつは叶えれないので、代わりに俺がやります。ちょっと時間かかるけど待っててな。必ずやる。(ここ泣く所です。)

最後まで読んで下さり本当にありがとうございます。どうでしょうか皆さん、少しはとらの事知れました?自分は何にも無い凡人以下で、人生のほとんどを無駄にしてきました。そしてそこから遅れを取り戻して今では一般の20代〜60代より確実に稼いでいます。本当に気持ちさえあれば誰でもできます。

大事なのは、ブレない。負けない。健康に気を遣う。みんな言うからこそ大事な事です。こんなひねくれ野郎でもできます、色んな失敗をしましたが勝つまでやれば良いんです、成長を止めてはダメなんです。

頑張る理由は人それぞれですが、自分はダメな大人をたくさんみて反面教師でここまで来れました。これ以上書くとスティーブ・ジョブズの生い立ちより価値のあるノートが誕生してしまうのでだいぶ端折って書きました。わからないところや気になるところは上にあるリンクからとらのツイッターアカウントに飛んで質問して下さい。答えません。

このノートから少しでも刺激をもらえたとしたらツイートもしていますので拡散していただけるとすごく嬉しいです、200円あげます。

あなたの人生が輝かしいものになることを願っています。ではまたTwitterで会いましょう。

ありがとうございました!

http://twitter.com/TORA_247

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