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齋藤太郎のちろり持参ですVol.5

連載 齋藤太郎の“ちろり持参です”
文・齋藤太郎 写真・児玉大輔

築90 年の古民家は古酒・熟成酒のワンダーランド
いにしえ酒店(東京都品川区)

江戸の宿場の風情も残る品川の船溜まり近く。築90 年の木造建築群をリノベーションしたコミュニティ施設「shinagawa1930」の一画に日本酒の「古酒・熟成酒」専門の酒販店がある。自ら “異端” と言う店主が、奥深い古酒・熟成酒の楽しみへといざなう。

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「酒は売りません」――。「いにしえ酒店」の開店を告知するホームページにはそんな言葉が躍った。
 2021年5月、旧東海道の面影が残り情緒あふれる街、北品川に開店した「いにしえ酒店」は、日本酒の古酒・熟成酒専門店だ。
もともと同店は2016年11月に方南町(東京都杉並区)で営業していたが、これまでの酒屋にはない〝新たなサービス〟を展開するために移転したという。

 「古酒・熟成酒が持つ物語やロマンを五感で感じてほしいと思っています。いにしえ酒店では単なる飲み物としての日本酒ではなく、日本酒が持つ価値や魅力を提供します。そのコンセプトを伝えたくて、あえて〝酒は売らない〟と言っているんです。店舗でちゃんとお酒は買えますよ(笑)」

そう話すのは店主・薬師大幸(やくしひろゆき)さん。キャリア20年以上を誇る現役ITエンジニアというユニークな経歴を持つ。

 「いにしえ酒店の実体は、古酒・熟成酒の価値を体験できるテーマパーク『いにしえワンダーランド』。第一弾アトラクションは『いにしえワンダーシップ』と『いにしえLABO』です」

 「いにしえワンダーシップ」は、酒蔵を船、消費者を乗客、薬師さんを船主と見立てて、オリジナルの熟成酒を育ててゆくプロジェクトだ。一方、いにしえ酒店2階に急ピッチで〝DIY中〟の「いにしえLABO」は、
「その名の通り実験室で、熟成に関するあらゆる実験を楽しめる場所です。以前私の個人的好奇心で、お酒を3か月間毎日朝から晩まで加温し続け人工的に熟成させたりもしました。あまりに大変でもう2度とやりたくないと思う反面、毎日が楽しくて仕方なかった。そんな”普通ではない”異端の楽しみ方を存分に味わってもらいます。その他にもお酒に関するセミナーやイベントを開催したり、書籍などを置いてお酒への探究心や価値を訴求します」

 酒そのものを売るのではなく体験を伝えたい。ネット通販ではなく、薬師さんが店舗を構えることにこだわったのは、そのコンセプトを形にすることで、酒屋の新しい役割を提案できるのではないかと考えたからだ。いにしえ酒店が入居している、昭和の長屋建築をリノベーションした複合施設「sinagawa1930」の風情も、古酒・熟成酒をめぐる旅の雰囲気を盛り上げてくれる。

前かえk前掛けもかっこいい。


「1階店舗には、誰もが知っている、名前だけで売れる酒は1本もありません。ですから、お客さま一人一人にその酒が持つ物語や蔵の想いを伝えています。とても非効率ですが、多くのお客さまが、まるで宝物を見つけたかのように目を輝かせてくださいます。その酒が出来たプロセスや蔵元の想いをイメージしながら自分のお気に入りの1本を見つける。その体験を味わってほしいのです」

薬師店内には全国から集めた古酒・熟成酒が並ぶ。「日本酒業界において、古酒・熟成酒には明確な価値の定義がありません。また流通の構造上、残念ながら酒屋も儲かりません。 その状況を打破し、 日本酒の魅力を飲み手とともに再発見してゆきたいと考えています」(薬師さん)。

顧みられなかった古酒の価値を広めたい

薬師さんが体験にこだわるのには理由がある。

「私は『古酒・熟成酒=高付加価値』なのではなく、『熟成』という行為・文化にこそ価値があると考えています。その価値が体験を通じて心に刻まれ、失われることの無い宝物になります」

 薬師さん、実は下戸だったと言う。今もたくさん飲める方ではない。なぜそこまで古酒・熟成酒を愛するようになったのだろうか。

「IT業界で約20年、業界の浮き沈みを経験しながらもがむしゃらに働き、小さな会社の取締役になるなどそれなりの成果を残してきました。ですがそれと引き換えに心は修復しがたいほど消耗し、心の平穏を求めて人と関わる仕事がしたいと思うようになりました」

 一度IT業界を離れて医学の道を目指すなど、人に喜ばれ、世のためになる道を模索する中で、ある時、気晴らしに日本酒を口にした。

「とても美味しかった。それから各地の有名なお酒を探して飲むようになったのですが、量を飲めない私にとって大きな問題がありました」

 1日で飲める量が少ないため、飲み切るまでには相当な時間がかかってしまうのだ。薬師さんは、その間に日本酒の味が大きく変化していくことに気が付いた。

「ほとんどの日本酒は、出来立てが最もおいしい酒質です。私はその状態をほとんど味わえない。そんなもどかしさを感じているときに知ったのが日本酒の熟成です」

 古酒・熟成酒についてさらに知りたいと思ったが中々情報が得られない。扱うお店も少なく、業界では認められていない存在なのだと悟った。それなら自分がその価値を広めてみよう――。

「ビジネスとしてまだ誰も手を付けていない世界が面白そうだと思いました。しかも渇望していた人と関わることの出来る世界です」

 薬師さんは、それから酒を提供する仕事を学ぶために飲食店オーナーとなり、経営やマーケティング、宣伝活動などを現場の最前線で学んだ後、満を持して酒店を開業する。

「古酒・熟成酒ファンや蔵にはよくぞ、と歓迎されています。私も誰かに期待されること、業界に期待されることが面白いと思えるようになりました。みんなが楽しいと思ってくれるから私も楽しい。周りの人々に楽しませてもらっています」。

 新生店舗のオープンによって、次のステップを踏み出した薬師さん。「あめいろの酒」が誘うワンダーランド構想はまだまだ拡大中だ。次はどんな宝物に巡り合わせてくれるのだろう。

いにしえ薬師さんと筆者

いにしえ酒店
(INISHIE SAKE STORE)
住  所:〒140-0001
      東京都品川区北品川1-21-10
      SHINAGAWA 1930 B 棟
代 表 者:薬師大幸氏
営業時間:土・日・祝11:00 ~ 18:00


sinagawa1930 とは……sなぐぁ
 「sinagawa1930」は、築90 年の風情ある貸長屋5 棟をリノベーションした複合施設。京急電鉄グループのR バンクが運営する。コンセプトは「つながりとシナジー」。地域と利用者、テナント同士など多彩な交流で新しい文化やビジネスを発信していくねらいだ。「いにしえ酒店様のコンセプトと建物のコンセプトが合致してよかったです」(R バンク・清水さん)。現在、い
にしえ酒店の他、ソーシャルカフェ「PORTO」が営業中。
詳細は公式サイト(https://shinagawa1930.jp)で。

しみあうさ
R バンク・清水麻里さん。

画像7広島 藤井酒造「龍勢」「夜の帝王」:冷酒から熱燗まで楽しめ、食中酒としても重宝する。

木戸泉古酒千葉 木戸泉「二十年の古酒」「DEEP GREEN/ BLUISH PURPLE」:熟成のプロフェッショナルが自信を持って送り出す古酒と熟成酒。

長良川岐阜 小町酒造「長良川」:変化の多様性を楽しめるのも古酒ならではの楽しみ方だ。

車坂和歌山 吉村秀雄商店「車坂」:染み渡るような旨味とそれを引き立たせる苦味のバランスが秀逸。

蔵守東京 小澤酒造:バランスが良く飲みやすい。初めて古酒を飲む方にもおすすめ。

竹内岐阜 武内合資会社「秘蔵 古酒」:熟成感の中に、カスタードのようなほのかな甘みが印象的な古酒。

竹生島滋賀 吉田酒造「竹生島」:濃厚かつエレガントで、紹興酒やシェリー酒を思わせる味わい。

画像14滋賀 吉田酒造「竹生島」:濃厚かつエレガントで、紹興酒やシェリー酒を思わせる味わい。

こはくそん三重 丸彦酒造「琥珀尊」:醸造は昭和43年。熟れた香りと味わいのバランスの良さが素晴らしい。



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