最近、笑えない話
おはようございます。
相手とコミュニケーション一発目「コムドット好き?」の返答で、なんとなくその後の関係もわかるようになったトラです。
今日は自分の中で最近、笑えなくなった話をしたいと思います。
基本、楽しいことが大好きで、スキさえあればここぞというボケを常日頃、365日考えている僕なのですが、そんな僕が相手の話に対してボケも何も浮かばず、ヘラヘラできない事に気がついた話の内容があります。
「才能と努力」についてです。
今日の内容はエゴ丸出しなので、そういうの苦手な方は読まなくても大丈夫です。
普通の上位互換
自惚れているわけではないのですが、きっと僕は総合的な面で人より基準値が高いです。
ずば抜けてスポーツが上手いこともありませんし、偏差値の高い大学に行ける学力を持っているなど一つに突出した能力はありません。
「なんでもできる」は言い過ぎですが、大体のことはやろうと思えば出来ちゃいます。初めてやってみること、周りが苦労していることをきっと何一つ顔色変えず、取り組める自信があります。
元より、「出来ない事はない」と考える性格なので、あまり苦労や不安を抱えながらやる事は無いかもしれませんが、井の中の蛙の意味も踏まえて、自分は普通の上位互換なんだろうなぁなんて思っています。
どれくらい何でもできるのかというと、「参加してみなよ」と言われたイベントのPRポスターのコンペに作ったものが採用されるくらいです。
そんな僕は自分のことがあまり好きではないので、何かに突出しようと色々と勉強したり、動いてみたりしているのですが、僕の悪いところ「設定した目標が高すぎる」が言葉通り、僕のゴールまでの道のりを長くしています。
前には進んでいるのですが、満たされない日を送っています。
達成感で満たされない分を周りの誰かが僕を褒めてくれることで補っていることが多いです。
そりゃあ、僕も人間なんで褒められると嬉しいし、もっと頑張ろう!って思います。ガチガチに褒められるのはちょっと恥ずかしいので、ニヤニヤしながら、「まぁ、俺だから!」とか周りには濁して笑いの方へ持っていきます。
しかし、最近よく、褒めた言葉の最後に「センスがあっていいなぁ」「元々の才能が俺らとは違うから」と付くことが多くなりました。
頼られることが多くなった分、聞く機会が増えました。
これに対して、僕はいつもみたいにヘラヘラできなくなっていました。
人の努力を読み取れない
才能やセンスを否定しているわけではありません。
でも、その言葉で全てを片付けすぎではないでしょうか?
「その考え方、凄いね!やっぱセンスが違うわ〜」とか言われると、僕が最初から出来ているみたいじゃないですか。
そういう考え方ができるために本を読んだり、自分なりに理解して落とし込んだり、そういったことを繰り返すことで自分の力になっているのですが、才能やセンスで片付ける人には、その過程を全く読み取ってくれません。
努力したところを見てほしい!というわけではなくて、そういう人と比べると「センスを磨く」に費やす時間が多いだけだと思うんですよね。
ただそれだけです。
いつから人が努力した姿を想像できなくなったんですかね?
血豆だらけの手をチラッと見せないとわからないのでしょうか?
目に見える活躍をして自分とかけ離れている人の努力は認められるのに、手を伸ばせば届きそうな人の努力は認めるどころか、見る気もしない、そういった「才能」や「センス」で片付けてしまうのが不思議で仕方がありません。
「自分が寝ている時、そいつはバットを振っている」という考え方ができるだけで両者の悩み(センスや才能で片付ける人、片付けられる人)は解決できると思うんですよ。
特段、結論はありませんが、「俺も頑張ってんだけどなぁ〜」と悩む人や「あいつは別次元だから」と片付ける人は意外と多いんじゃないでしょうか?
そんな僕は、人の努力を見ていることができてるかどうかは明日また書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
良い1日を!
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