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【自己分析1】幼少期の自分の嫌いだったところ

こんにちは、自分のことを詳しく書いた自分HPを作ろうかと思っているトラです。

今回から、しばらく自己分析シリーズでnoteを投稿しようと思います。どのくらい続くかはわかりません。
なぜ、急に自己分析シリーズを始めようとしたかというと、ES提出やグループディスカッションやインターンから逃げている自分に、「逃げていないよ。」と言い聞かせるためです。

では、早速今回は「幼少期の自分の嫌いだったところ」というテーマで進めていきたいと思います。

自分の思ったことを言えなかった

僕のことを知っている人からすると驚愕かもしれませんが、幼少期は自分から発信するのが本当に苦手でした。

今でも明確に覚えている象徴的なエピソードがあります。

自宅で家族揃って朝ごはんしていた時のことです。
僕の座る席と反対にあった大好きな唐揚げを「食べたい」と言えなかったことがありました。
親が厳しいとか「ダメ!」ということは本当になかったのですが、当時の僕は何を思ったのか、「もし、ダメと言われたらどうしよう。ダメと言われるくらいなら言わないほうがいい」と勝手に考えていたことがあります。

それくらい、自分が発言するのが怖かったんです。

他にも、友達と遊ぶ時「仲間に入れてー」というのが怖かった時があります。
子供は信じられないくらいまっすぐで、自分の嫌いな人とか苦手な人が仲間に入ろうとすると、真っ正面から拒否する時があるじゃないですか。
虐めようとしているのはなくて、純粋な拒否。

同じように、「もし、断れたら…」と考えるというのが怖かった時があります。

我慢が苦じゃなかった

一人っ子だと自由奔放、何しても許されるみたいなイメージがあるとお思いかもしれませんが、逆に孤独耐性も高いと思います。

僕の周りに一人っ子は僕くらいしかいなく、友達には兄弟、姉妹がいて自分とは別に遊び相手がいるじゃないですか。

遊び相手になる兄弟が欲しいとずっと思っていましたが、そう簡単に手に入れられるわけではなく、ゲームを通信できる相手(まだオンライン通信が普及していない時)が羨ましいと思う反面、1人で遊ぶことに慣れているので、無いものにいつまでも求めるわけではなかったんですね。

だから、子供ながらに割り切って闘いごっこを1人でしていて、いつも見えない敵と戦っていました。

THE・怖がり

発言が怖いというところからお分かりかもしれませんが、幼少期の自分はTHE・怖がりでした。

父親に海や山、川など連れて行ってもらう機会がたくさんあったのですが、何かあったらどうしようと憶測が恐怖を生み、海に入らなかったり、山の入り口で待っていたりしていました。
他にもスクーターの擬似運転(実際に運転はしていません)やフラッとした遠出も怖くて拒否していました。

機会を与えてくれる環境だったのにも関わらず、機会を逃していた幼少期です。

一方で、同い年の従兄弟はアクティブで、海がない地域から来ていることもあり、夏休みに来たときはガンガン海に行ったり、恐怖心というものがなかった人でした。

当時は思っていませんでしたが、「あの時、やるだけやっておけばよかった」と今になって思います。

今、「成長」を求める

昔の自分と比べると、全く正反対な気がします。
堂々と発言できるし、恐怖心というものはなくなりむしろ、未知への挑戦が好きという戦闘狂みたいな性格になっています。

過去のこれらの経験があって、今、貪欲に「成長」を求めているのではないかと思います。

「機会を逃してはいけない」

常にそう言い聞かせながら過ごすようにしています。
同時に、機会を逃さないためにいつでも万全の準備をしていたいとも思います。

まとめ

「幼少期の自分の嫌いなところ」と今の自分のルーツになっている気がしました。
どうして真逆に変化してったのかはいずれ書こうと思います。おそらく、中学校あたりの自己分析で解決されたような気がします。

臆病から今の僕ができていて、ともて感慨深いものになりました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、また!

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