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特大ジャンプのその日まで

こんばんは、打ち合わせも何もない休みの日が幸せすぎてこんな時間になってしまったトラです。
早起きしてぐうたらするの最高です。

今日はまるで現代ポエムかのようなタイトルの通り、今行っている全ては自身の特大ジャンプのための準備だというお話です。
僕の活動を知っている人はもう結論話しているので、読まなくても大丈夫です。

〇〇の楽しい

本格的なプロジェクトと呼べる活動を2つ同時進行で進めている今日この頃、自分の大学生活はこんなんでいいのかなぁとふと思いました。

先に言っておきますが、2つのプロジェクトを嫌々やっている訳ではなく、なんと言うんでしょうか、よくいる大学生みたいなことをあまりしていないなぁと思ったんです。

飲んだくれたり、「あはは、俺ら今青春してるぜ〜!」といったような典型的な大学生ではない気がします。
周りからどう見えいているかわかりませんが、漠然と体感で感じました。

セカセカとあちこちの企業とミーティングや連絡を重ね、家にいるときは机に向かい資料を作ったり、プログラミングしたり、いわゆる仕事と向き合うことが多いです。
程々の多忙を感じており、「楽しい」を感じている自分もいます。

しかし、インスタを開けば外で楽しんでいる友人たちがいます。
よくわからないストーリーには友達と充実している様子や東京の友達はパンケーキの写真をあげたりしています。
自分の充実度を外に出したいとかそう言う訳ではなく、そういったストーリーを見ると自分とどうしても比較してしまうものです。

僕が体験しているのは「大学生の楽しい」ではなくて「仕事の楽しい」の方に近い気がしていて、この「大学生の楽しい」がたまに羨ましく見える時があります。

溜め込む時期

以前、どこかのnoteにも書きましたが、自分は表に出るような人ではありません。なので、「大学生の楽しい」をやってもインスタにはあげないし、実際楽しいと感じるのかもわかりません。

大学生が自分の楽しさを外に出すことまでが一連の流れとするならば、僕の楽しさの一連の流れとは何なんでしょうか?
結論はシンプルで「いつか自分が笑うこと」がゴールな気がします。

「大学生の楽しい」と違って、「仕事の楽しい」は楽しいことが詰め込まれている訳ではありません。
プログラミングだって得意じゃないし、絶対範囲外だろってことまでやっています。全てが楽しい訳ではないんですね。
でも、「仕事の楽しい」を取ってしまうのはいつか自分が笑って、「ドヤ、俺ら凄いだろ!」って言うための特大ジャンプをするためだと思います。

今はその特大ジャンプの踏み込んでパワーを溜める時期だと考えています。
周りが自分の充実している瞬間を出すたびに、「しめしめ、いつかの俺の特大ジャンプに驚けよ〜」と思いながら苦手なことでも泥臭く取り組んでいます。

特大ジャンプのその日まで、膝を抱えて、筋肉を使って、目だけは上を見て、溜め込みたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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