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【翻訳のヒント】敬語活用のすすめ

こんにちは。レビューアーの佐藤です。先日の記事 敬語はどこまで使う? で、敬語を使いすぎない方がいいと書きましたが、じゃあどうすればいいか?という実践の話が少なかったので、今回はその補足として、謙譲語や丁寧語をうまく活用することを提案したいと思います。

敬語は尊敬語だけじゃない

まず確認したいのは、敬語には次の3種類があることです。

(1)尊敬語 ― 相手を上げることで敬意を表す(例:おっしゃる)
(2)謙譲語 ― 自分を下げることで相対的に相手を上げて敬意を表す(例:申し上げる)
(3)丁寧語 ― ていねいな言葉遣いで敬意を表す(例:ます・です)

敬語というと何となく(1)の尊敬語を思い浮かべがちですが、(2)の謙譲語も、(3)の丁寧語も、相手に敬意を表す立派な敬語です。尊敬語や謙譲語は性質的に文字数が多いため、あまり頻繁に使用すると文全体が長くなります。そこで、丁寧語と組み合わせながら、ここぞというポイントで尊敬語や謙譲語を使うことをおすすめします。

例1

では具体例を見ていきましょう。あるソフトウェア製品の機能を紹介するセミナーがあり、その説明を担当するプレゼンター向けの原稿を訳していると思ってください。

【原文】
In the video you just watched, I mentioned data analysis as a key feature of the product.

【訳例A - 尊敬語+謙譲語】
先ほどご覧になった動画で、製品の重要機能としてデータ分析を挙げさせていただきました。

【訳例B - 謙譲語+謙譲語】
先ほどご覧いただいた動画で、製品の重要機能としてデータ分析を挙げさせていただきました。

【訳例C - 謙譲語+謙譲語】
先ほどお見せした動画で、製品の重要機能としてデータ分析を挙げさせていただきました。

【訳例D - 謙譲語+丁寧語】
先ほどお見せした動画で、製品の重要機能としてデータ分析を取り上げました。

尊敬語、謙譲語、丁寧語を取り混ぜて、4つのパターンを作ってみました。どれも日本語としては同じことを言っています。

ぱっと見比べて、最も違和感があるのは【B】だと思います。「いただく」が2回登場するため、明確に冗長ですね。こんな書き方をする人はいないでしょ、と思うかもしれませんが、翻訳レビューをしているとそれなりに見かけます。癖でうっかり書いてしまう表現なので、注意したいものです。

【A】は、原文の構造を尊重し、「watch」をそのまま「ご覧になる」という尊敬語で表現した訳文です。【C】は、「オーディエンスが(動画を)見る」→「プレゼンターが(動画を)見せる」という転換を加えたうえで、謙譲語として表現した訳文です。どちらも問題はないのですが、【C】の方が、前半と後半の動作の主体が一致するため、文全体の構造がシンプルになります。

【C】をもう一段階シンプルにしたのが【D】です。【D】では、後半部分の「いただく」という謙譲語を、フラットな「取り上げる」という表現に置き換えました。これでも前半に「お見せする」という謙譲語があるため、全体として失礼な印象にはなっていません。この文脈ならば、このぐらいの敬語で十分ではないかというのが私の考えです。

例2

もう1つ例を挙げましょう。こちらは、営業担当者向けの虎の巻で、ある製品の機能ロードマップに変更があったことをお客様に伝えるよう指示する文章です。

【原文】
If you have introduced this feature to your customer, please update the customer that the roadmap has changed.

【訳例A】
この機能を以前にお客様にご紹介していた場合は、ロードマップが変更されたことをお客様にお知らせします。

【訳例B】
この機能を以前にお客様にご紹介していた場合は、ロードマップが変更されたことをお知らせします。

【A】は、このまま完成形としても特に問題のない訳文です。ただ、強いて言えば、この長さの文に「お客様」が2回出てくるのは少々うるさい気がします。

そこで2つ目の「お客様」を単純に省いてみたのが【B】です。「お知らせします」という丁寧語によって、知らせる相手が自分より上の立場(つまりお客様)であることが暗示されるため、「お客様に」と書かなくても、文意が伝わってきます。このように、敬語の特性を利用して、逆に訳文をシンプルにすることも可能です。文脈的に明らかならば、【B】の1つ目の「お客様」を省くことすらできます!

話が少々ずれますが、実は、この原文は敬語を一切使わずに次のように訳すこともできます。

【訳例C】
この機能を以前に顧客に紹介していた場合は、ロードマップが変更されたことを顧客に知らせます。

これも間違いではありませんが、読者がこの訳文だけを見て「顧客」が"your customer"であることを見抜くのはなかなかの難題なので、やはり何らかの敬語を使って、"you"と"customer"の関係を暗示するのが親切ではないかと思います(原文中の所有格を訳文に反映すべき理由については、以前の記事「【翻訳のヒント】原文の情報を無意識にカットしていないかに注意」も参照してください)。

敬語の濃度調節ができるようになろう

敬語は使いすぎるとうるさくなり、使わないと怒られる場合もあります。個人の考えや感覚にも左右される問題なので最適なバランスを見いだすのが難しいところですが、日頃から敬語のさまざまな運用に慣れ、「もっとシンプルに」あるいは「もっとマシマシで」と指示されたときに対応できるスキルを身につけておくことをお勧めします。

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