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パブリックってなんだろう? ~映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』~


フライヤー


映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、今年(2020年)90歳のドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン監督の第41作目にあたる作品だ。

フレデリック・ワイズマンは、ナレーションや解説を一切排し、映像そのものにじっくり語らせる手法で、現代社会で起こっているできごとや学校、病院、刑務所などのさまざまな施設にフォーカスを当てたドキュメンタリー映画を制作してきた映像作家だ。そのキャリアは50年以上に及ぶ。

近年ではロンドンの美術館ナショナル・ギャラリーを描いた『ナショナル・ギャラリー』(2014年)や 、ニューヨークのクイーンズの移民の街を描いた『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(2015年)などが話題となり、2014年にはヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(特別功労賞)を、2016年にはアカデミー賞名誉賞を受賞している。

ニューヨーク公共図書館は、ニューヨーク市全5区のうち、マンハッタン、ブロンクス、スタテン島の3区を対象に、人文科学、芸術、ビジネス、黒人のそれぞれをテーマにした4つの研究図書館と、88の地域分館からなる図書館組織で、年間利用者数1,500万人(2002年)という巨大図書館ネットワークだ。2匹のライオン像が置かれた、マンハッタンの五番街と42丁目の交差点に建つ本館<スティーブン・A・シュワルツマンビル>は、映画『ティファニーで朝食を』に登場した図書館として有名だ。図書館は独立法人として、市からの出資と民間からの寄付を財源にNPOによって運営されている。

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(*photo by melanzane1013-New York City Public Library front / CC BY-SA2.0)

ニューヨーク公共図書館のさまざまなプログラムと多彩な活動は、日本の図書館のイメージからすると、驚くべきものがある。

ワイズマンは12週間かけて撮影した素材を3時間25分の作品に編集して、この図書館の現実と本質をじっくりと映し出す。

本館(人文社会科学研究図書館)では、リチャード・ドーキンスやエルビス・コステロやパティ・スミスなどビッグネームの著者やアーティストによるライブやトークショーが開催され、黒人文化研究図書館では、”ブラック・イマジネーション”と題された美術展が開かれ、舞台芸術図書館では、アーティストなどのパフォーマンスが披露される。

注目すべきは、こうした4つの研究図書館によるプログラムにもまして、地域分館で日常的に行われている地域コミュニティに密着したさまざまな活動だ。

パソコン講座、英語教室、読書会、子供の放課後の学習プログラム、子供向けロボット工作教室、シアニダンス教室、読み聞かせ会、演奏会など、地域分館では、民間顔負けの地域密着の多彩な催しが行われる。

ブロンクスの分館での就職フェアでは、求人側から具体的な人材募集やコンサルタントによる面接や履歴書の書き方のアドバイスがなされ、チャイナタウンの分館では、中国系住民のためのパソコン講座が開かれ、ハーレムの分館では、障害者向けに公共住宅への申し込みの案内や優遇住宅の紹介、自宅にネット環境がない人に向けたネット接続機器の貸し出しなど、一般の行政サービスを凌駕するレベルのきめ細かい支援プログラムが数多く用意されている。これらのプログラムへの参加は原則無料である。

日本における図書館のイメージは、本が無料で借りられる施設、自習の場所がある施設、専門的な司書サービスなど、せいぜいそんなところだろう。

こうした一般的な図書館サービスに加え、子供、障害者、低所得者、高齢者、移民、マイノリティなど、社会的に弱い立場の人びとやそういう人びとが多く居住する地域に対しての包摂的なプログラムが用意されているのが、この図書館の大きな特徴と個性だ。

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(*photo by Diliff - NYC Public Library Research Room / CC BY2.5)

本作の原題は、Ex Libris – The New York Public Library というものだ。邦題の「公共」はPublicの訳語として充てられる。

オックスフォード現代英英辞典(第7版)によると、Public(形容詞)の意味としては、上から順に、Of ordinary people、For evryone、Of governmentと記されている。

また、Public(名詞)は、ラテン語のpopulus(=people)からpublicus(国民)に派生した言葉が語源になっている(森住衛「単語の文化的意味」@三省堂のwebコラム参照)。

これらから考えると、パブリックPublicとは、第一義に、「人びと」や「人びとの」という意味であることがわかる。

ニューヨーク公共図書館の「公共図書館」とは、「人びと」のための図書館という意味なのだ。日本の図書館からは想像もつかない、この図書館の多彩な活動の根底にあるのが、この「人びと」のための図書館という理念なのだ。

図書館の幹部の奮闘も映像に登場する。幹部は、民間からの寄付集めに奔走し、市との予算折衝の戦略を練り、行政との関係づくりに腐心し、ホームレスにどう対処すべきかに頭を悩まし、限られた予算でどんな図書を入手するかを議論し、地域分館に足を運んで住民の生の声を聴き、点字本や録音本を充実させる地道な活動を続ける。

翻って日本の場合はどうだろう。

日本において、公共施設や公共事業と言った場合の「公共」という言葉は、国や県や都といった行政を意味する。日本語で「公共」という言葉は、第一義に、「公(おおやけ)の」ということを意味している。「公(おおやけ)」とは「大きな家」という意が転じ、天皇や朝廷、現代では政府や行政を意味するようになった言葉であり、公権力であり、「お上」というニュアンスの言葉だ。

日本語では公共図書館とは、公立図書館のことであり、「公(おおやけ)」が設立し管理運営する図書館を意味し、そこには「人びと」のため図書館という概念は希薄だ。

この映画はPublicが「人びと」を意味する国と、「お上」を意味する国の違いを改めて認識させてくれる。彼我の差の本質は、ここに由来しており、運営主体や寄付の多寡が本質ではないことがわかる。

映画は、このpublic 「人びと」のための図書館という、ニューヨーク公共図書館のさまざまな活動を描きながら、同時に、アメリカの民主主義の歴史と現実を浮かび上がらせる。

舞台芸術図書館で劇場の手話通訳のパフォーマンスの題材として、トマス・ジェファーソンらが起草者となった、アメリカ独立宣言(1776年7月4日)の「基本的人権と革命権に関する前文」の一説が取り上げられる。

そこには、人は生まれながらにして平等で、政府とは人びとの権利の確保のために樹立されるものであり、政府がその目的に反した場合、人民は革命によって刷新する権利を有する、という主旨のことが謳われている。

さりげなく付け加えられるのが、実は、この独立宣言には、当初は英国における奴隷貿易を非難する文言が入っていたが、南部地域への配慮から、最終的には削除されたという事実。ニューヨーク公共図書館には、ジェファーソンが手書きしたこの当初の草稿が所蔵されているという。

グリニッチ・ヴィレッジの分館では、ある女性による、南部主義者ジョージ・フィッツヒュー、リンカーン、そしてカール・マルクスの意見を紹介しながら、アメリカのおける奴隷制を考えるレクチャーが開かれている。

マルクスは、北部(合衆国)が勝利し、リンカーンが大統領に再選された際に送った祝辞のなかで次のように書き記している。

「ヨーロッパの労働者は、アメリカの独立戦争が、中間階級(ブルジョアジー)の権力を伸長する新しい時代を開いたように、アメリカの奴隷制反対戦争が労働者階級の権力を伸長する新しい時代をひらくであろうと確信しています」

リンカーンとマルクスの一瞬の交差。しかしながら、その後の世界の歴史は、およそ平坦なものではなかったことをわれわれは知ってる。

はたして、ゲティスバーグ国立戦没者墓地開所式(1863年11月19日)でのリンカーンの演説における有名なフレーズ、”government of the people, by the people, for the people” のpeople(人民、人びと)には、そもそもアフリカ系アメリカ人やアメリカ先住民は含まれていたのだろうか。観る者の内部で、じわじわとそんな疑問が湧き上がってくる。

ハーレムのマーコムズ・ブリッジ分館では黒人文化研究図書館の館長が、地域に住むアフリカ系住民たちの抱える問題に耳を傾けている。黒人は移民としてアメリカにやってきたと説明されている教科書がいまだに存在していることや白人相手と黒人相手では商品の卸値が異なり、黒人商店主は同胞に高値で売らないと商売が成り立たない実態などが淡々と訴えられる。

黒人文化研究図書館が新たに蔵書に加えた、アメリカで初めて本を出版した黒人女性詩人のことが詳細に説明される委員会報告の模様が映され、ピューリッツァーを受賞した詩人のユーセフ・コマンヤーカや注目の若手作家タナハシ・コーツなど黒人文学者を迎えてのトークイベントの様子の映像が挿入される。

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(*photo by Charles Haynes - Frederik Wiseman_adapted, 2005 / CC BY-SA2.0)

奴隷制、平等を謳い旧大陸から独立したアメリカ、独立宣言において人民という概念から事実上排除された黒人、奴隷制をめぐるリンカーンの理想とマルクスの洞察、ハーレムの分館で語られる今のアフリカ系アメリカ人の暮らしの現実、こうした映像から浮かび上がってくるのは、アメリカにおいてpublic 「人びと」とは誰のことなのかをめぐる歴史だ。

public 「人びと」とは誰のことなのか?その定義は今も揺れ続けている。ニューヨーク公共図書館のさまざまな活動は、アメリカにおけるPublic 「人びと」とは一体、誰のことなのか確認し、アメリカに包摂する実践であることを、この映画は物語っている。

そうしたPublic 「人びと」をめぐる歴史と現実を忘れないことが、アメリカのあるべき民主主義であるという、フレデリック・ワイズマンの主張が見えてくる。



(★)参考文献等 : 
菅谷明子『未来をつくる図書館』(岩波新書 2013年)
大場正明 映画の境界線「アメリカ文明の小宇宙としての図書館 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』」@Newsweek日本版website


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