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ニート学生が自衛隊に就職した経緯

 1 趣旨

 本記事では、ニート学生が自衛隊の試験を受けて入隊した経緯を書いていこうと思います。


 2 就職活動

 わたしは大学在学中、自衛隊幹部候補生試験を受験し、卒業と同時に入隊しました。

 幹部候補生試験とは、入隊時に曹長の階級となり、幹部候補生課程修了後数カ月で3尉になるという採用枠です。

 就職活動の期間中、まともに受けたのは自衛隊、警視庁、県警だけでした。

 東京の大学に入ったものの、大学や授業に興味がなくなり、ほとんど授業に出ず、2年生のときには留年が確定しました。

 1年生の時点でほとんど姿を見せなくなったため、知り合いもまったくおらず、空き時間がぽつんとして気まずいので大学のパソコン室でゲーム実況動画を見て時間をつぶすという不健全な生活でした。

 結果、6年間通学しました。おそらく、授業よりも大学のジムに行った回数のほうが多かったのではないかと考えます。


 民間企業にいくつか応募したものの、グループ面接や課題(グループ活動やプレゼンテーション)が面倒なので、途中でメール等に返信しなくなりました。


 自衛隊の採用試験は筆記試験と面接1回でした。

 面接では、陸上自衛隊の方に「きみ、ガタイいいねえ。でも、幹部は、体を動かすだけじゃなくてデスクワークも必要だよ」と言われたので「がんばります」と回答しました。

 大学6年間は体育会やサークルにも続さず、バイトをする以外は半引きこもりでしたが、一人でウェイトトレーニングをやり、キックボクシングジムに通っていたので、筋肉だけは成長していました。

 筋肉がついたこと、またキックボクシングでプロテスト(最低限技術を身につけているという証明)に合格したことは、その後も世間体や外からの印象でプラスになりました。

 キックボクシングやボクシングはあまり集団行動が必要でなく、皆黙々とサンドバッグを殴ってミットをやっているので自分に向いていました。ジム会員は警察官、消防士から、輩、反社の方まで様々で、皆サンドバッグを殴っていました。

 わたしも黙々とサンドバッグを殴る蹴るしている内に脂肪が落ちて、またスパーリングもまともにできるようになりました。


 警視庁の面接では、「君、なんで留年したの」と、屈強な警察官3名に質問されました。面接対策等何もしていなかったので、「やる気をなくして引きこもっていました」と正直に答えました。

 その後、以下のようなやりとりがありました。

「2年留年して、周りは卒業して働いているのに、どう思うの」

「非常に情けない気分です」

「そうやって自覚するのは、立派なことだよ」

 体力テストはできましたが結果は不合格でした。


 県警は、筆記試験に合格しましたが、面接の日が自衛隊と重なっていたので、自衛隊を選びました。

 当時考えた志望動機は以下のとおりです。

・できればニートが一番楽でいい。

・しかしお金がないので実家に寄生しているわけにもいかない。

・アルバイトの教訓で、工場内作業などの単純労働は苦痛なのでやりたくない。

・営業や店員のような、愛想を振りまく仕事はやりたくない。

・サービス残業や長時間労働はしたくない。5時、6時で帰って筋トレや読書、ゲームがしたい。

・体を鍛えてお金をもらいたい。

・しかし格闘家になる才能や決心はない。

・体力が長所の仕事ということで、軍人や警察官、消防士、海上保安官、フランス外人部隊などがよさそうだ。

・消防士と海保は年齢制限が厳しいので、警察と自衛隊を受けよう。インターネットで評判を調べると、自衛隊のほうが楽のようだ。また、休暇がとりやすく、海外旅行にも行きやすいとのこと。一部の自衛隊員は、海外に留学や出張することもできるらしい。

 自衛隊か警察官に落ちたら、フランス外人部隊を受けるためにフランスに行けばいい。


 以上のような邪(よこしま)な理由から自衛隊に入りました。

 警察官のうち、刑事や公安警察も、珍しさから憧れていましたが、そのときは自衛隊を選びました。警察官もどのような業界なのか体験してみたかったなと今は感じます。


 自衛隊の面接試験はあまりよく覚えていませんが、国防、人の役に立つ、等の文言を回答した気がします。

 軍種は、陸自は山にいくと蚊に刺される、海は泳げない、ということで航空を選びました。また、採用はパイロット枠とそれ以外の一般枠に分かれており、特にパイロットに興味がなかったので一般枠を選びました。


 半ニート、半ひきこもりとして学生生活を送った結果、まっとうに就職して働く意欲や能力がなくなっていました。

 民間企業の就職試験で、歯の浮くような忠誠心的文言をしゃべるのにどうしても抵抗があり、結果、公務員ばかり受験するようになりました。

 警察、自衛隊ともに、面接は事務的な印象でした。

 入隊後、わたし自身も採用試験の面接官をすることになりました。面接官は皆近所の基地から派遣されてきた方で、わたしは日曜日がつぶされて残念な気持ちで面接しました。


 3 教訓 ――はじめに筋肉があった。

 わたしの趣味は筋トレですが、ボディビルダーには程遠い状態です。何もしていない人よりは筋肉があるという程度です。

 大学のなかでは底辺に近い学生で、暇にまかせて筋トレとキックボクシングをやってきた以外にほとんどスキルもありませんでした。


 しかし、無事自衛隊に受かってよかったと思います。

 この経験を通してわたしは、筋肉があればなんとかなるという教訓を学びました。この教訓は自衛隊生活でも生かされ、また転職した今でも重視しています。

 ある職場の自衛隊員は「仕事の7割は筋肉でなんとかなる」と話していましたがまさにそのとおりだと思いました。

 自衛隊の一部しか知りませんが、それでもパワハラやうつ病、自殺が非常に多いところです。

 行く先々で部下を自殺・病院送りにする人、潰した部下や役務業者の数を自慢する人、3、4時間直立不動で説教させる人、手書きの反省文数十枚を目の前でシュレッダーにかけて書き直しを命じる人が、バインダーやキングファイルを縦投げする人がうようよいるところです。

 こうした問題環境でも、筋肉・戦闘力があるとないとでは心構えが違ってくるのではないかと思います。

「どれだけ攻撃してこようと、こいつにわたしを殺すことはできない」

「いざとなったらこいつを殺すことができる」

「体力があるからクビになっても外人部隊かプロ格闘家になれる。だから侮辱を耐えるよりは、いざとなったらこの上官を倒す」

 等、余裕をもって仕事に取り組むことができました。

 もちろん、10年間働いて暴力事件を起こすことはありませんでした。

 わたしはよく防衛行動のために、理不尽な人間に対して自分も絶叫してどなったりしたので、追い詰められて精神を壊すこともありませんでした。

 方針は「鏡」で、パワハラ人間に対してはわたしも常に戦闘モードで対応しました。


 4 総括

 6年間のニート学生生活は、大半の人にとっては無意味だと思いますが、わたし自身はいろいろと得るところがありました。

・ある程度人づきあいができなければ味方がいなくなることを確認した。

・読書、特に外国語で書かれた本、学術書を読むことが実生活に有益であることを確認した。

・一人で海外旅行(中国、東南アジア等)に行くことで突撃精神を習得できることを確認した。

・筋肉と格闘技は生存能力を高めることを確認した。

・最低限の社会的地位(働いている、人の役に立っている、組織に属している等)がないと人間の精神は安定しないことを確認した。そのうえで、そうした足場を奪われても自分の精神を失わない人びと(ネルソン・マンデラ、鄧小平、佐藤優)を見習って、精神耐久力を向上させなければならないことを確認した。


 ニートの6年を経て、自衛隊で10年働いたことはよい経験になりました。

 親に払ってもらった余分な学費は、アフィブログの売り上げ等で少しずつ返していきたいと考えています。

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