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思ったことを書き連ねるだけのnote

11月30日、フロンターレの今季ホーム最終節を観に行くために乗っていた電車でのこと。

昼前という時間だったからか、電車に乗り込むと多くの親子が乗っていた。

席が空いている、と思って向かうとオジさんが我先にとサササッと席に座った。目的地に着く直前で折り返す気まずさを胸に、端の方の席の前で待つと目の前には父母の間に4〜5歳の男の子が座っていた。その男の子が発した言葉に更に気まずい思いをすることになった。


「テレビが見えなーい」


お母さんは「ちょっとやめなさい!」というように子どもを制した。私は徐々に、徐々ーにドア前まで移動した。

対面のドア前にはまた別の親子がいた。お母さんと3歳くらいの男の子と7〜8歳くらいの男の子の3人。

お兄ちゃんの方が手袋を外すと、すかさずお母さんが「電車内では手袋外さないで。インフルエンザが移っちゃうっておばあちゃんも言ってたでしょ!」と言って、手袋を付け直させた。

以上、気になった親子たち。

気にしすぎ…と言われてしまったら、あら失礼しましたとしか言えないのだけれど、それぞれに対して思うところがあったのは事実なわけで。

まず1組目のテレビが見えなーいの親子。

正直これに関してはどうすることが正解だったのかイマイチ分からない。旦那さんに話したところ「あぁ〜ごめんね〜これなら見えるかな?」と、話しかけながらどいていくスタイルを提案された。…間違いではないけれどその勇気は無かった。

子どもは無垢だから仕方ないけれど、こういう時に家庭内のしつけや教育が見えてくる気がしてしまう。「ああ、きっとお家でも思ったことは何でも声に出すタイプなんだろうねぇ」と。別に親も子も責めたいわけでは決してないのだけれど、日頃の行動がこうやって子どもに影響して結びつくことに、ちょっと怖さも感じた。

そして2組目。手袋を電車内で付け直させた件。

子どものことを想ってなのだということは勿論わかっている。そりゃあ予防出来た方が良いもんね。でも、これはちょっと過剰では?とも思ってしまう。自分がそんな幼少期を過ごしていないということもあるんだろうけど、潔癖?なのか?とも疑ってしまった。失礼ながら過保護っぽいなと思った。

子は一定期間まで親からの影響を最も強く受けると思ってるんだけど、どの段階からこの親からの影響は薄まっていくのかな?親(家族)との「当たり前」が当たり前じゃなくなる瞬間はいつなのだろうか、、?

まだ読み切っていないのだけれど、今『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』を読んでいる。

色んな面で言えるのだけれど、フィンランドは「自立」に向けた教育が随所に盛り込まれていることが分かる。授業の時間割は早くから自分で組むし、色んな制度は学生も大人に混じって議論する。

自治をするという意味で、昔生徒会に所属していたことを思い出す。

自治、っていう名目だけで何かフワッとしてた記憶があるし、教育実習生だった時に目の前で繰り広げられる生徒会活動を見て思わず先生に「これで良いんですか?」と聞いてモゴモゴさせてしまった経験すらある。(あれはちょっとショックだったなぁ)

日本の教育は…とごちゃごちゃ言うつもりはあまりないけども、これで良いのかなぁとは思ってしまう。

まぁそれもこれも教員免許持ちながらも教師にならなかった人が言うのも何なんですけども。。

免許10年で失効したら、私が持ってる資格が無くなってしまうので新たな資格を取りたいなぁと思う昨今でありました。

(……話がいつも以上に全然まとまらん)

(あ、『天使にラブソングを』めちゃんこ良かったので皆さんも是非…)

(本当に思ったことを書き連ねるだけの日)

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