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楽しい人生だったなーと最期に思えるように記憶に「楽しい」をたくさん残す


今まで見たドラマの中で続きが気になり、めちゃくちゃ面白かったのは半沢直樹だった。


来週に二期がやるとのことで、今日動画で1話から見返していたのだけれど、記憶力の悪い私はまあ覚えていない。


「面白かった」と記憶には残るけれど、どんな話だったかを説明できるほどの記憶力はないのだ。おそらく、アウトプットをしていないからなのだと思う。


私としてはアニメもドラマも映画も2度見ても楽しめる長所と捉えているけれど。




友人に「人生最初の記憶は?」と聞かれて考えると、なにが最初の記憶かわからなかった。


走馬灯のように浮かんだのは、保育所の近くにある小さいポロアパートで父と母と弟と住んでいて、ケーキ屋さんで買ったメロンケーキを父親にぐずって投げつけてケーキをぐしゃぐしゃにしたこと、保育園ではじめてできた友達はブランコで出会ったこと、初恋の人からのホワイトデーのお返しが苦手なマシュマロだったこと、浮かぶのは保育園の頃のことばかり。


2歳の頃に弟が生まれたと思うけれどそんな記憶は全くない。ハーモニーランドによく連れて行ってもらったけれど、そのとき出会ったであろうキティちゃんの記憶もない。


なにが人生最初かわからないけれど、どれも感情が伴うから覚えているのだと思う。


ケーキを投げた記憶はとてつもなく後悔したこと、はじめて友達ができて嬉しかったこと、好きな人からもらえたプレゼントが嬉しいはずなのに食べられなくて残してしまったこと。

そのときの感情をあとで思い返したアウトプットがあったから、覚えている。

全部時間が経ってから誰かに話した覚えもある。いつ、だれにとかは覚えていないけれど。

頭の中でも、言葉でも、アウトプットをするから記憶に残る。
アニメやドラマや漫画や本を見て、「あー面白かった、最高だった」と自分の中で感想を考えるからその記憶は残るけれど、「なにが、どうよかったのか」はなかなか話す機会がないから、どんどん忘れていく。


それでは学生時代のテストはアウトプットをしているのにどうして覚えられないのか?
それは、他の記憶がどんどん入ってくるからだと思っている。
そして、なんで覚えなきゃいけないのか、それを今後どう活かすか、とかは考えないし、感情をともなうこともほとんどない。


数学を解くのは楽しかったけれど、どんな計算式や公式がどういうふうに面白くて楽しいかなんて考えない。それを考える学者がいるから数学という学問があり、説明できる人たちがいるのだろう。


記憶に残すなら感情と共にアウトプットをすること。


でも、日々の思い出は感情だけ残ればいいと思う。
ディズニーランドへ大学の時に行って楽しかった、と覚えていれば2度目も楽しめる。


だからどんな思い出も「楽しい」って最初から最後まで思えるようにすると人生楽しくなると思う。

思い出したくない記憶はいつも苦いものだから。

自分が死ぬときに「楽しい人生だったなー」と思えるように、「楽しい」と思える工夫をして生きていこう。


人生最初の記憶はわからなくても、最期の記憶は「私の人生ぜーーんぶ楽しかった」と家族に囲まれて穏やかにこの世を去る記憶にする。


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