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理由が説明できて行動に起こせて、はじめて「理解できる」


以前読んだ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでから無知であることを減らしたいと思った。


人はなぜがわからないと、理解できないし行動に起こせないと思う。


読書をしたい、と思っていた。
なぜかを考えると、私は知らないことを知りたいという気持ちが大きいことに気付いた。


知ってどうするのか?
一番は、いつか生まれる子どもに、多くのことを伝えられる親になりたいと思った。

そして、いろんな考え方を伝えたいし、自分自身も理解したい。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇


小学校3年生のときに、交通事故にあった。
青信号か赤信号かすらわからない、でもおそらくわたしが赤信号で渡ったのだ。

車の間を通れば渡れると思っていたら、止まっていた車を通り過ぎた道路で跳ねられた。
大きくなった頃に考えたら手前の左車線の車は見えていたけれど、奥の右側車線が見えていなかったのだ。


多分、道路は1本の長い線だと思っていて、まさか2本あるとは思っていなかったのだと思う。商店街にある道路は1本だもの。


車に跳ねられたときは、痛いという気持ちと、たくさんの人に囲まれて恥ずかしい、早く立ち去りたいという気持ちがあったのは今でも覚えている。

「大丈夫?」と周りが聞く質問に対して「大丈夫です」と答えて、歩いて立ち去りたいのに歩けなかった。


しばらくして救急車が来た。いやいや痛いけど救急車なんて大袈裟だと思いながらも、たてないからそのまま運ばれた。ベットに乗せられたときもても痛かった。


2ヶ月の入院になる左太ももの骨折。


手術台なのかわからないところに寝かされて、お気に入りのキュロットスカートを切られたのも覚えている。


それからはあまり覚えていなくて、ベッドで左の脚に針金を刺されて固定されていた。

幼いわたしはずっと針金を刺されたところが折れたところだと思っていたけれど、全然違う。固定するためだけに針金さしてた。
あれは今でも意味がわからない。今でも跡になって残っている。


たった2ヶ月だけど、あの時のわたしは何もかも失った気分だった。


きっと両親や祖父母にとても迷惑かけたし、加害者の方にはもっと申し訳ないことをした。

小学3年生で、そこまでの判断ができなかったのだ。もちろんその経験があるから道路を渡るときに気をつけることを学んだけれど、子供を育てるって、とてもとても難しい。


とてつもなく小さい頃、商店街の駐車場で遊んでいて、道路に飛び出して轢かれそうになったことも覚えている。あのとき父に「危ないやろうが!!!」と怒鳴られた。

小さくても覚えている。
でも、あの時のわたしは車が通って轢かれるから危ないと学習していない。

道路に出たら父に怒られると学習したのだ。


小さい子でも、大人でも「何故」が理解できないと学習しない。


どうして道路に飛び出してはいけないのか、どうして小さい頃に手を挙げて横断歩道を渡らないといけないのか。

どうして英語を勉強したいのか、どうして働かないといけないのか、どうして結婚したら子どもを産む思考を植えつけられるのか。


いくつになっても、いろんなことに理由はあるし、説明できないこともあるし、理解できずに行動していることだってある。


もし子どもが生まれたら、教える側にならないといけない。


父親の怒鳴ったことは間違いではなかったし、自分もそうするかもしれない。

何故を説明したり、相手に考えさせたところで、それを学習するか行動に移すかは別問題。


子育てって難しい。
今日見かけたツイートでも、「子どもがパンツに手を突っ込んでうんちを掴んでいた」というものもあった。


そりゃそうだよね。何が正しいか、何をしてはいけないのか、パンツの中に何かが入っていて、それが何なのか、食べ物じゃないこととか、投げてはいけないとか、そんなのわからないものね。


子どもを育てた経験がないからこそ、いろんな情報を知るたびに怖くなる。
わたしに人を育てられるのか、と。

でも世の中の人がみんな正しく育ててるわけではない。そもそも正しいかどうかは本人にしかわからない。正しいの基準だってわからない。


わたしは結構放任主義で育てられたしかなり反発もしたし、複雑な家庭だった気もするけれど、今のわたしは立派に大人になれたと思っている。


立派、の基準だってわからない。私が立派と思っているからそれでいいと考えている。


ただ、なにが普通や正しいかはわからなくたって、子どもにいろんなことを教えられる親になりたい。

そのために、いろんなことを知りたい、経験したい。


海外がとても素敵で楽しくて、でも危ないところもあり、日本とは違うというようなことを、わたしは行ったから説明できる。
行かなくても説明できなくても、子どもはすくすく育つけれど、知っていると教えてあげられることって広がる。


私の母は海外に行ったことが多分なかったけれど「オーロラを見てみたい」と言った幼い頃に聞いた言葉を今でも覚えていて、最近の私の夢になった。オーロラをみること。


それくらい親の言葉って潜在意識とかに残っていると思う。


人に伝えられるようになるためにも、いつかできる子どもに教えてあげるためにも本を読もう。
経験だけが知識じゃない。文字だけが世界じゃない。

でも、本ならいつでもどこでも知らない世界を見ることができる。

無知である部分を少しでも減らしたい。




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